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1-13 帰る場所がある生活

 ――その日の夜。浮遊島のオクタゴン――改め、自宅の居間にて。俺とアマネ、フランの三人は食卓を囲んでいた。部屋の四隅ではカンテラの灯が揺らめき、(だいだい)の光が三人の横顔を穏やかに照らしている。


「フランちゃん、美味しいですか?」


「うん、おいしい。アマネおねえたま、おりょうり、とてもじょうず」


「ふふ、ありがとうございます」


 食卓の上には、今の俺達には不釣り合いな程、豪勢な食事が並ぶ。引越し祝いも兼ねて、アマネが腕に()りを掛けてくれた結果だ。


 (もっと)も、「引越し」といっても身一つの旅暮らしだったので、持ち物を運ぶ手間なんて(ほとん)どなかったのだが、それでも――こうしてテーブルに色とりどりの皿が並んでいる光景は、嫌でも「新しい生活の始まり」を意識させてくれる。


「おにいたま、なんでおぼうしかぶってるの?」


 フランが、もぐもぐしながら首を傾げた。


「ああ……(かぶ)ってないとどうも落ち着かないんだよな」


――――――――――――――――――――――――

セツナの弱点 その四

ニット帽がないと落ち着かない

――――――――――――――――――――――――


「おにいたま、にあってる」


「はは、ありがとう」


「おにいたま、あとでえほんよんで」


「ん、絵本な、わかった」


 リビングの中央奥には分不相応にデカいテレビが鎮座していた。現実世界の延長線上とはいえ、文明の香りは確かにこの家の中にも息衝(いきづ)いている。


「おねえたまはあとでいっしょにおふろはいろ」


「ふふ、そうですね。入りましょうか」


「おにいたま、おねえたまのおっぱい、やわらかい。ふわふわ」


 ――知ってる。


「コ、コホン。フランちゃん、そういうことを言ってはめっ!ですよ」


 三人で過ごすこの時間は、まるで本物の家族のような錯覚を覚える。フランが夢中で食事を頬張る姿を横目に、アマネがそっと切り出した。


「それでその……せつくん。先程ラクシュさんとノクシュさんが(おっしゃ)っていたことですが……自殺された、というのはやはり、真実なのですね……」


 声の色でわかる。彼女が心配しているのは「自殺した」という事実そのものじゃない。そこまで追い込まれる程、俺が傷付いていたことの方だ。


「せつくん、お辛いとは思います。軽々しく『元気出して』とも『生きてたらいいことがある』とも言いません」


 アマネは、真正面から俺を見る。


「ただ、話したら少しは楽になるかもしれません。もしせつくんがその気になられたら、遠慮なく話してみてください。私で良ければ、いくらでもお聞きしますから」


 ――アマネは優しいな……。


「私は……せつくんが一緒に居てくださるだけで幸せですから」


 俺の自殺。「ある出来事」によって(もたら)された、十二年間の鬱病。出来れば、あの一連の地獄はもう二度と思い出したくもないし、口に出したくもない。俺の人生史の中でも、全面黒塗りにしておきたい部分だ。


「心配してくれてありがとうな、アマネ。でもごめん。やっぱり今はまだ……話せる程に整理出来てない」


「大丈夫ですよ、せつくん。せつくんのペースで」


「おにいたま、だいじょぶ?」


 フランが、純粋な瞳でこちらを覗き込んでくる。


 ――フランは、同じ痛みを知らなくていい。俺がそう決めた。


「……………………」


 言葉を探して黙り込んだ俺を見て、アマネがそっと立ち上がる。次の瞬間、温かな腕が俺を包み込んだ。胸元に押し付けられた頭越しに、柔らかな香りが鼻を(くすぐ)る。


「大丈夫ですからね。私はずっとせつくんの味方です」


 足下には、フラン。心配そうに俺の裾をぎゅっと掴み、大きなジト目で見上げてくる。


「おにいたま、なかないで」


「……泣かないよ。ありがとう、二人共」


 俺はフランの髪を優しく撫でた。この温もりが、どれ程救いになるか――もう言葉では言い表せない。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ん……フラン、寝ちゃったか」


 夜も更けてきた頃。俺はソファに(もた)れ、膝を枕にしたフランに絵本を読み聞かせていた。


 ページを閉じる頃には、フランはすやすやと寝息を立てている。寝顔だけを切り取れば、本物の天使でも通るだろう。


「色々ありましたからね、フランちゃんも疲れてしまったんでしょう」


 キッチンには、慣れた手付きで食器を洗うメイド服姿のアマネ。俺とフランの姿を見て、にこやかに微笑んだ。


「フランをベッドまで運んでくるよ」


「すみません、せつくん。ところで……部屋はどうしましょうか。フランちゃんはまだ一人で眠れませんし」


「うーん、まあ(しばら)くは俺の部屋でいいか」


「かしこまりました。フランちゃんもせつくんに懐いていますし、きっと喜びますね」


 眠るフランを慎重に抱き上げ、二階へ向かう。仄暗(ほのぐら)い階段を上がると、窓越しに月明かりが落ちていた。静けさで満ちた回廊を抜け、一室の扉を開ける。フランをベッドにそっと寝かせ、布団を掛け直した。


「んん……おにいたま……」


 寝言を(こぼ)したフランの頬が、月光を受けて白く光る。思わず口角が緩んだ。


 居間へ戻ると、アマネが淹れた珈琲の香りが漂っていた。


「お疲れ様です、せつくん。よろしければ珈琲をどうぞ」


「ありがとう、いただくよ」


 食卓に腰を下ろし、アマネと向かい合うように座る。


「フランは良く眠ってるよ」


「そうですか。安心しました」


「はぁ。珈琲が染みるな……」


「ふふ、満足していただけたようで何よりです」


「まあなんやかんやあったけど、取り敢えず拠点が決まって良かったな」


「そうですね。フランちゃんもいるのにずっと宿屋暮らしという訳にもいきませんから。ラクシュさん達に感謝ですね」


「十傑か……。まさか会えるとは思ってなかったが……ありゃ化物だな。観察眼も国政の手腕も、十四歳のそれじゃねえよ」


「当時、『人類史上最高頭脳』と謳われたせつくんがそれほど評価されますか……」


「言い過ぎだ……。アインシュタインやノイマンじゃあるまいし……」


「ふふ、ですが十傑……敵に回したくはありませんね」


「全くだ。俺達に友好的なのが有難(ありがた)い限りだ」


 カップの縁が鳴る。その音の間を縫うように、アマネが静かに問う。


「……せつくん、ラクシュさん達が(おっしゃ)っていた〈極皇杯(きょくのうはい)〉……出場されるのですか?」


「ああ、出るよ」


 迷いは、思ったより少なかった。


「ラクシュ達が言うように、俺が『最後に笑って死ぬ』ために、十傑入りがその答えになるなら、俺は挑んでみたい」


「確かに〈極皇杯〉を優勝すれば、一生遊んで暮らせるだけのお金と、『あらゆる願いが叶う権利』が与えられます。せつくんの夢は叶うかもしれません」


 アマネは、そこで一度言葉を切った。


「ただ――」


「ただ?」


「せつくんにあまり危険なことはしていただきたくないというのが本音です。もし……せつくんがいなくなったら……私は……」


 今にも泣き出しそうな声だった。この世界の命の軽さを考えれば、彼女の不安は正しい。


 新世界は、絵に描いたような「異世界ファンタジー」の皮を被った地獄だ。モンスターとダンジョンだけでも面倒なのに、そこに「ユニークスキル」という凶器を全人類に配布してくれている。そりゃ治安も地を這う。


「大丈夫だ」


 俺はゆっくりと息を吸い、静かに言葉を返す。


「今は春……年末の開催までまだ半年以上ある。ちゃんと優勝出来るだけの実力を付けて挑むよ」


「はい……。すみません、取り乱してしまって」


「いいさ」


 アマネが、ほっとしたように微笑む。カップの中で揺れる珈琲が、ゆらりと細い波紋を描いた。


「それでせつくん、明日はどうなさいます?」


「そうだな……。拠点は決まったが色々やらなきゃいけないことはある。仲間も欲しいし冒険者ランクも上げなきゃいけねえ」


「仲間……ですか。そう、ですね。本音を言えば、私としてはせつくんと二人の時間を邪魔されたくはないのですが」


 アマネが、少しだけ頬を膨らませる。


 ――気持ちは、嬉しい。


 だが、この世界で「二人きり」なんて甘えた言葉を選べるほど、命は軽くない。


「アマネの気持ちは嬉しいが、この新世界……そうも言ってられないからな。自分達の身を守るためにも頼れる仲間は必要だろう」


「残念ながらその通りですね。どうしましょう。冒険者ギルドで仲間を募りましょうか」


「うーん、冒険者パーティか。誰でもいいって訳じゃないしな。信頼出来るかきちんと見極めてから仲間に迎え入れたい」


「そうですね……。でしたら、冒険者ランクを先に上げるのは如何(いかが)でしょう」


「冒険者ランクか……」


「せつくんが神話級ユニークスキルだと公言しても、〈審判ノ書(バイブル)〉でもない限りは誰にも信じてはいただけないでしょう」


「まあ、十傑を含めても世界に十数人しかいないからな。『神話級です』なんて自分で名乗ったら、普通は頭を疑うよな。(はた)から見ればピエロでしかない」


「はい。ですから『目に見える指標』として冒険者ランクを上げるのです。強い冒険者には自然と人も集まります。仲間も集めやすくなるのではないでしょうか」


「そうだな。それが良さそうだ。取り敢えず明日は冒険者ギルドに顔出してみるか」


「はい。問題はフランちゃんをどうするかですね」


 アマネが、少し困ったように眉を寄せる。


「フランちゃん、あの様子だと私達から離れたくないようです。ただ、万一のことを考えると、冒険者ギルドに連れて行くのは危険かもしれませんし……」


「だったら俺一人で行くか?アマネとフランには留守番してもらって――」


「すみません、せつくん」


 アマネが、即座に遮った。


「私、せつくんと離れ離れになると正気じゃいられない自信があります」


「お、おう、そうか」


 そこまで言い切られると、笑うしかない。


「だったら仕方ない。三人で行くか。フランは俺達で守ってやれば大丈夫だろ」


「かしこまりました」


 アマネはそう(しと)やかに返事をすると、頬の赤みを誤魔化すように珈琲を口に運ぶ。少し間を置いてから、もじもじと上目遣いで続けた。


「それでその……せつくん、夜の方なのですが……」


「あ、ああ……まあ、フランの前じゃ出来ないからな……」


 ――アマネは人より性欲が強い。そして多分、俺もそうだ。「アマネとは付き合えない」と言っておきながらアマネを抱くのだから、俺は最低だな……。


「じゃ、じゃあせつくん、私の部屋で……」


 アマネ、フランとの共同生活が、こうして始まった。灯りが落ち、カンテラの残光が揺らめく。二階の闇の中で、三人の新しい日常が静かに動き出していた。


 ――帰ってくる場所がある。


 それだけのことが、今の俺には、少し怖いくらいに眩しかった。

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