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1-12 夢と理想のマイホーム

 オクタゴンは、まるで絵画の中から抜け出したような静かな威厳を(たた)えていた。磨き抜かれた白亜の壁は陽光を受けて柔らかに輝き、長い歳月を経ても(なお)新しさを失わない。屋根瓦は深い群青色に塗られ、朝露を受けて宝石のように瞬く。


 正面には広い庭園が広がり、刈り込まれた生垣と季節の花々が整然と並ぶ。中央に置かれた噴水は優雅に時を刻み、石畳の小径は玄関まで真っ直ぐに続く。玄関の手前で、天を仰ぐ女神像が訪れた者を見守る。祈りの姿は、朝の光を浴びて淡く染まっていた。


「おにいたま……おっきいおうち!」


 フランが無邪気に目を輝かせる。俺はその頭を撫でながら、ラクシュに問い返す。


「差し上げる……?この家を……?」


 代わりに応じたのは執事のクロードだった。端整な面差しに冷ややかな理性を宿し、(うやうや)しく一礼する。


「ラクシュお嬢様とノクシュお嬢様はこの国、牧歌郷(ぼっかきょう)アルカディアの姫君であらせられます」


「ワタクシの国で起こった不始末ですもの。ケツは自分で拭きますわ!」


「……ラ、ラクシュお姉様……げ、下品だよ……」


 ラクシュは胸を張り、悪びれもせずに笑った。


「事件を解決してくださったお礼ですわ。遠慮は無用ですの」


「……も、もう一つ、サプライズがあるよ……」


 ノクシュが指をパチンと鳴らす。直後、大地が低く唸りを上げたかと思うと、世界そのものの接合部が外れたように、足許(あしもと)の大陸片がゆっくりと宙へ持ち上がった。


 土塊も樹々も、根を断たれる痛みすら覚える間もなく空へと引き剝がされ、風だけが遅れて悲鳴を上げる。振り返れば、地表は遥か下方へ遠ざかり、彼らはまるで神の(てのひら)に掬い上げられた世界の断片となっていた。


「なっ……!」


「そらとんでる!」


「――浮遊島(ふゆうとう)、ですわ」


 ラクシュが嬉しそうに言い添える。


「ご案内いたします。セツナ様、アマネシエル様、フラン様」


 クロードが黒い縦格子の門を開けると、油が良く馴染んだ金属音が鳴る。彼は石畳の小径を歩み始めた。ラクシュ、ノクシュがその後に続く。


「せつくん、驚きはありますが……付いて行ってみましょうか」


「ああ……」


「おにいたま、おんぶ」


「おう」


 フランを背に乗せ、舗装された石畳の小径を進む。オクタゴンの重厚な扉は木目の美しいオーク材で出来ており、取っ手には銀の装飾が施されている。扉を押し開ければ、香り高い木の匂いと、磨き上げられた床石の冷たさが迎えてくれた。


「これは……また立派な……」


「元々はシェアハウス物件ですわ。お父様の所有物ですが、もう使っておりませんので、譲っていただきましたわ」


 オクタゴンの中に一歩足を踏み入れると、まず感じるのは「住まいの温もり」だった。広過ぎず、華美過ぎず、それでいてどの部屋にも手の行き届いた清潔さがある。手入れの行き届いた屋内には、無駄な飾りはなく、それでいて一つ一つの調度品が上質で、主の審美眼を物語っていた。


 玄関は、磨かれたフローリングが朝の光を反射し、(ほの)かに温かな色を放っている。壁には淡い生成りの布壁紙が張られていた。靴箱や傘立ては質素だが、どれも丈夫で、木肌が温かみを添えている。


「こちらが居間ですわ」


 フローリングを敷いた、正八角形の大空間。その隅には長方形の食卓と、幾つかの木製の椅子。中央奥には目測百インチの大きな液晶テレビ、その前にガラス製のローテーブル。L字型のソファは革張りで、腰を掛ければそのまま眠ってしまいそうな座り心地だった。


 壁の一角には大きな暖炉。今は火が落ちているが、(すす)の黒さがここで何度も炎が灯ってきたことを物語っている。吹き抜けとなった天井の(はり)には、(まき)が爆ぜる音が似合いそうな木の重み。壁際には本棚があり、旅の記録や料理の本、そして古びた地図が無造作に並べられていた。


「おにいたま……おっきいねぇ」


「はは、そうだな……。俺には過ぎた家だ」


「この各階正八角形のオクタゴン、一階は今ご覧の通り、中央にこの正八角形のリビングがございます」


 クロードが淡々と説明を続ける。


「このリビングを囲むように、外周に沿って八つの区画――水回りや設備を配置しております。この玄関からリビングを正面にして時計回りに申しますと、玄関、キッチン、倉庫、トイレ、エレベーターと階段の区画、ランドリー、バスルーム、シャワールーム――という構造です」


成程(なるほど)な。リビングから一歩でアクセスできる訳か」


(おっしゃ)る通りです。二階と三階は個室階となっております。リビングは三階までの吹き抜け構造ですので――」


 見上げれば、二階・三階へと続く空間が、一気に目に入る。リビングの天井は高く、その周囲をぐるりと囲うように二階・三階の回廊が走っていた。全面ガラス張りの手摺(てすり)の向こうには、このオクタゴンの外周に沿って配置された個室の扉が並ぶ。


 上階からは、いつでも一階リビングの様子が見下ろせる構造。何処(どこ)となく、ホテルのロビーを思わせる高級感があった。


「一階のリビングを囲う各設備の真上にそれぞれ個室がある形でございます。エレベーターと階段の区画がございますので、二階と三階には各七部屋ずつ、個室が一周する形でございます」


 居間から続く台所。窓を開ければ外の庭園が見える。窓辺にはハーブの鉢が並び、朝露を含んだ香りが漂ってくる。利便性の高そうなシステムキッチンには小さな傷が刻まれているが、それが逆に温かい。誰かがここで何度も料理を作り、片付け、磨き上げてきたのだとわかる。


「アマネ、どうだ?」


「いいキッチンです。料理も捗りそうです」


 テレビの裏――リビング奥の階段を上がれば、二階の回廊に淡い陽光が差し込み、床に光の帯を形作っている。扉の並んだ廊下には無駄な装飾はないが、金属の取っ手や蝶番はきちんと磨かれ、誰かがつい先程までここを整えていたかのような気配を残していた。


 個室の一つの扉を開ける。適度な広さの部屋に、ベッドと机、小さなクローゼット。個室用の冷蔵庫とテレビ。コンパクトなユニットバス。窓辺のカーテンが風に揺れる度に、浮遊島の庭と空がちらりと姿を見せる。オクタゴンの他はただ何もない平原が広がっているだけだ。


 ――ここで仲間が増えていくのだと想像してみる。アマネの部屋。フランの部屋。いつか出会う誰かの部屋。それぞれの生活音が、中央の正八角形のリビングに集まり、同じ屋根の下で交わる。


 全体として、このオクタゴンは「豪奢さ」ではなく「丁寧な暮らし」によって美しさを保っている。何処(どこ)を見ても塵一つなく、けれど過剰な緊張感はない。人の手で守られ、日々を積み重ねてきた静かな幸福が、この家には息衝(いきづ)いていた。


 ――オクタゴンを一巡した俺達は居間に戻った。アマネが手慣れた動きで紅茶を淹れ、ラクシュ達の前にカップを置く。俺はソファに腰を下ろし、膝の上にはフラン。ラクシュは紅茶を嗜みながら、穏やかな声音で問い掛けた。


「それで、いかがかしら。セツナ様。お気に召しましたかしら?」


「ああ。文句の付けようがない。……だからこそ、本当にいいのかと思うが」


「ええ。構いませんわ」


「どうにも腑に落ちないんだが……」


「セツナ様は真面目ですわね?でしたら――出世払い、という形ではいかがかしら」


 ラクシュが肩を(すく)めて笑う。


成程(なるほど)……それなら」


「契約成立、ですわね」


「恩に着る」


「ノクシュおねえたま、くまさん、だっこする」


「……フ、フランちゃん。……こ、これで遊びたいの?」


 フランはノクシュが抱えるクマの縫いぐるみを気に入ったらしく、両手を伸ばしている。ノクシュは甘えられると弱いようで、俺の膝の上に座るフランと縫いぐるみで遊び始めた。


 その様はまるで妹を可愛がる少女に過ぎない。しかし、実情は十傑・第十席――世界最強集団の一角だ。


「しかし……ラクシュとノクシュはまだ十四歳なんだろ?それで十傑か……」


「セツナ様、ラクシュお嬢様とノクシュお嬢様は、既に国王様に代わって我が国の政治の実権を握っておいでです。お嬢様方のその才を考慮すれば、十傑入りに疑義を唱える者はおりません」


 クロードの声は静かだったが、誇りが滲んでいた。そう告げる彼は、立ったままラクシュの背後に控えている。彼の出で立ちと気品から、彼が凄まじく優秀な執事であることが容易に(うかが)えた。


「本来、十傑の一席には一人で座るのが通例ですわ。ただ――ワタクシ達は二人で一人前。それでようやく……第十席」


 ラクシュは少しだけ肩を(すく)める。


「つまり、ワタクシ達二人を合わせても遠く及ばない存在が、この新世界には九名もいらっしゃる、ということですわ」


「……う、うん。……み、みんな凄い人達だよ」


 双子の姉妹――ラクシュとノクシュはそう言って謙遜する。世界最強の十傑だからといって一切(おご)るところがない。その様は、とても十四歳とは思えなかった。だが、彼女達の笑顔の裏には、明確な覚悟があった。


 ――国を背負う者の覚悟。


「……じ、十傑は変わり者揃いだけどね」


 ――十傑。「頂」である(はず)の彼女達がこう言い切る時点で、上位陣の化物っぷりがよくわかる。


「――セツナ様、ワタクシも聞きたいことがございましたの」


「なんだ?」


 アマネが不思議そうに小首を傾げる。ラクシュは紅茶を一口、口に含み、マグカップを机に置いた。陶器がコトンと心地の良い音を立てる。


「――あなた、神話級ユニークスキルですわね?」


 その瞬間、空気が、ぴきりと凍った。静観していたアマネが大きく目を見開く。俺は反射的に立ち上がっていた。


「な、なんで――」


「ワタクシ、これでも政界のトップですのよ?人を見る目には自信がありますの」


「……そ、それに壮絶な過去を背負ってる。……そ、そうだよね?」


 ノクシュの声は怯えがちなのに、内容だけは容赦がない。フランは縫いぐるみを抱えたままぽかんとしており、クロードは微動だにしない。重々しい空気がリビングを満たしていた。


「…………セ、セツナさんは自殺した……んだよね?」


「――ズバリ、異世界転移者、ですわね?」


 図星もいいところだった。この新世界に十数人しかいないとされる神話級ユニークスキル持ちであること。そして、前世で俺が「自殺した」という事実。異世界転移者であるという事実。それを(まと)めて言い当てられた。


「セツナ様の人生は……本当に、胸が痛みますわね……」


「…………わ、私だったら……耐えられない……。…………こ、壊れちゃうよ、こんなの」


 一般的な占いのテクニックに、「バーナム効果」というものがある。


 ――『あなたは今、何か悩みを抱えていますね?』


 こんな言葉を投げ掛ければ、(ほとん)どの人間は「当たっている」と感じてしまう。誰だって、一つや二つは悩みを抱えて生きているからだ。誰にでも当てはまることを「自分だけに向けられた言葉」だと錯覚してしまう、この心理現象をそう呼ぶ。


 ――しかし、ラクシュやノクシュの発言は最早(もはや)、バーナム効果の次元ではない。「誰にも該当しないと思われること」を的確に指摘し、言い当ててみせたのだ。


「大学入試共通テスト全科目満点……確かに、神話級の器ですわね」


 あの日の解答用紙と、白い試験会場の空気が、胸の奥で一瞬だけ蘇る。


「そんなことまで……」


「せ、せつくん……」


「おにいたま……?」


 ――これが十傑……!化物か……!?いや、「化物」なんて言葉では……足りない。


 一度、深く息を吸う。俺はゆっくりとソファに腰を下ろし直した。


「……ご名答だよ。化物か?お前ら……」


「セツナ様、言葉をお慎みください」


 クロードが低く(いさ)める。だがラクシュは、楽しそうに口角を上げた。


「褒め言葉と受け取りますわ」


「せつくんのことをそこまで的確に言い当てますか……第十席……」


「セツナ様、そのことについて特段この場で問い(ただ)すつもりもありませんわ」


「そうか……」


「ただ一つ、人生の後輩(・・)からのアドバイスですわ」


 ラクシュは両肘をテーブルに突き、顎を手に乗せる。琥珀色の瞳が、真正面から俺を射抜いた。


「――十傑を目指しなさいませ。それが、あなたの『最期に笑って死にたい』という悲願を叶える一番の近道ですわ」


 心臓が、どくんと跳ねた。


 ――その言葉を、どうして。


「十傑……」


「フラン、おにいたまがじっけつになったら、うれしい」


「せつくんなら問題ないかと」


「……十傑にはどうしたらなれるんだ?」


「ただ神話級ユニークスキルというだけでは足りませんわ。十傑には圧倒的な力が必要ですの」


 ――十傑。「一振りの剣で空を割った」、「世界の大陸を一つ消滅させた」――(いず)れも神話のような逸話を持つ化物集団。無論、今の俺にそんな力は……ない。


「方法は(いく)つかありますわ。一つは、現十傑の誰かを倒すこと。ただ、これは天地が引っ繰り返っても不可能ですわね」


「…………セ、セツナさんが〈天衡(テミス)〉を使ったとしても……ま、負ける気がしないかな」


 ――〈天衡(テミス)〉のことまで……!


「……ほ、他には……じ、十傑メンバーの推薦、そして過半数の賛同で入ることも出来るけど……だ、誰でもじゃないから……」


「ですので最も簡単な方法は――〈極皇杯(きょくのうはい)〉で優勝することですわ」


 アマネが息を呑んだ。


「〈極皇杯〉――全世界から集まった者達と争うバトルロワイヤル形式の予選、各ブロック予選を勝ち残ったファイナリスト八名がトーナメントを戦う本戦――という、あの大会ですね」


 クロードが補足する。


「アマネシエル様の(おっしゃ)る通りでございます。毎年聖夜に行われる祭典。エントリー数は毎年一億人にも上るとされます」


「優勝すれば一生遊んで暮らせるだけのお金と、『あらゆる願いが叶う権利』が与えられる……でしたね」


「はい。そして、近年は〈極皇杯〉優勝者が十傑の席に迎えられる、という流れが定着しております。昨年優勝者のトールライム様も第八席に座しておられます」


「〈極皇杯〉の優勝――」


 ――一億人の頂点……。俺に……出来るのだろうか。


「……ク、クロード……セ、セツナさんに改めて挨拶してあげて」


「そうですわね」


 ラクシュとノクシュが目配せをする。クロードは静かに頷き、俺の前に進み出た。


「セツナ様、私奴(わたくしめ)も今年の〈極皇杯〉に参加させていただく所存でございます」


 そう(うやうや)しく発したクロードが懐から取り出したのは、何処(どこ)か見覚えのある、古びた書物。金の装飾を施した革表紙。黄ばんだ羊皮紙。不思議な存在感を放つ書物は――俺に神話級ユニークスキルを告知した、ソレであった。


「〈審判ノ書(バイブル)〉……」


 俺が思わず呟くと、クロードは小さく頷き、〈審判ノ書(バイブル)〉をテーブルの上に広げた。クロードは静かに、そのページに手を置く。


 フランが緊張で喉を鳴らす。次の瞬間、白紙だったページに、じわじわと金色(こんじき)の光が滲み出した。


 光はゆっくりと線を描き、絡まり合い、(やが)て、完全に文字の形を取る。黄ばんだ羊皮紙のページには、こう、記されていた。


――――――――――――――――――――――――

            神話級

            戯瞞

            Loki

――――――――――――――――――――――――


「それではセツナ様――」


 クロードが静かに微笑む。


「〈極皇杯〉の本戦で、お待ちしております」

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