1-10 だって仕方ないじゃない
「いつからこんな人身売買をしていた?」
蝋燭の火が微かに揺れる。揺らめく灯りが照らす聖母――マザー・エニスの顔は、薄ら笑いを浮かべていた。
「六年前だったかしら。だって仕方ないじゃない。教会も経営難なのよ。あなたは賢そうだし、わかるでしょう?」
「わかんねえよ……!」
怒鳴り声が地下室の冷たい空気を震わせた。その瞬間、拘束を解かれた一人の少年が、半べそを掻きながら階段を駆け上がっていく。小さな足音が、闇に吸い込まれていった。
「待ちなさい……!」
マザー・エニスの声が裏返った。聖母の仮面が剥がれ、修羅のような形相が露わになる。それは身の毛も弥立つ光景だった。あの脹よかな身体が、信じられない程の速さで階段を駆け上がっていった。
「――せつくん!」
「アマネは奴隷商を拘束しておいてくれ!こっちは任せろ!」
「はい!」
「おにいたま……!」
フランの小さな声を背に、俺も踏鞴を踏みながら追う。夜の静けさの中に、焦燥と鉄錆びた血の匂いが混じっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――真夜中の教会。ステンドグラスの裏に仕込まれた灯りが、青白く聖堂を照らしている。その中心で、マザー・エニスは怯える少年を壁際へ追い詰めていた。俺が足を踏み入れると、彼女はゆっくりと振り向き――再び慈愛の笑みを顔に貼り付ける。
「私と戦うつもり?」
「ああ、言ってわかんねえならやるしかねえだろ……!」
〈エフェメラリズム〉を手に取る。その鉄の棹がステンドグラスから射し込む月光を反射して煌めいた。
「ふふっ、多少計画が狂ったけど構わないわ……。セツナさん、あなたも奴隷として売り飛ばしてあげる。よく働きそうだもの」
「やってみろ、クソババア」
――今求められているのは……アマネが子供達を解放するまでの時間稼ぎと子供達の安全確保。そのためには……マザー・エニスの討伐は必須……!
刹那――教会中のステンドグラスが、パリンと音を立てて、一斉に砕け散った。千の破片が宙を舞い、回転しながら月光を反射する。色とりどりの欠片が、まるで神の意思に従うかのように俺へと殺到する。鋭利な刃が容赦なく四肢を傷付けた。
「ぐっ……!」
――これは……「硝子を操るユニークスキル」か……!
反射的に腕を前に出し、目や頸動脈、心臓を咄嗟に庇う。急所の代わりに腕が切り裂かれ、その度に耐え難い痛みが雷のように走った。鋭い硝子片が皮膚を裂き、黒スキニーの上からも血が滲む。
「ごめんなさいね、私、少しだけ強いの」
竜巻のように俺を襲う硝子片。切り付けられる度に血飛沫が花のように舞う。
「うっ……!ぐっ……!」
「この子が教会に逃げてくれて良かったわ。私の武器がこんなに沢山あるもの」
マザー・エニスは微笑みながら、少年の頬を撫でた。その仕草は聖母のように優しく――だが、その眼差しは冷たい石のようだった。
「もう気付いているでしょうけど、私のユニークスキルは『硝子を操るユニークスキル』――中位級ユニークスキル・〈聖硝〉よ」
人間は単純な生き物だ。自分が圧倒的優位に立っていると判断した瞬間、人は気持ち良くなって、勝手に口を滑らせる。――今、こいつは自分の喉元を、少しずつ差し出している。
周囲を旋回しながら俺の全身を切り刻む無数の硝子片の中、俺はニヤリと口角を上げた。確信したのだ。勝利を。
掟の発動条件は簡単だ。相手を視認していること。それだけだ。
『掟:切断を禁ず。
破れば、片耳を失う。』
マザー・エニスを見据え、その文言を思考の中で「定義」する。すぐさま、硝子片が俺の脚を浅く切り裂いた。だが、その直後――微かな、ぷつん、という音が聖堂に響く。
床に、何か柔らかいものが転がった。
「えっ……」
それが、自分の右耳だと気付くまで、マザー・エニスは一瞬時間を要した。頬を伝う温かい感触。顎を滴る血。ゆっくりと手を伸ばし、自分の頭に触れた瞬間――顔が一気に歪む。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
悲鳴が鼓膜を突き刺す。金属臭い血の匂いが一気に濃くなった。
神話級ユニークスキル・〈天衡〉。その能力は、「両者間に掟を定め、破った者には罰を与えるユニークスキル」だ。俺の定めた掟に反したマザー・エニスは、俺の指定した通りの罰を受けた。たったそれだけのことだ。
「あなた……!一体……!何をしたの……!」
マザー・エニスは錯乱しながらも再び手を振る。無数の硝子片が渦を巻いて襲い掛かる。彼女の頭の中では、「攻撃」と「耳」は結び付いていない。冷静さを失った今、その答えに辿り着ける筈がない。故に――次の罰が発動する。
『掟:切断を禁ず。
破れば、視力を失う。』
「行きなさい、〈聖硝〉……!」
マザー・エニスが叫ぶ。だが、その瞬間、彼女の瞳から光がすっと抜け落ちる。
「え……?」
揺らいだ硝子片の制御が乱れ、意味を失った光の破片が、カラン、カランと乾いた音を立てながら床に落ちていく。
「何……何……? 見えない……! 何も見えない……!」
マザー・エニスが視線の定まらない目で辺りを掻き毟る。その手が、床を探り、血溜まりを掻き、転がった自分の耳に触れた。
「あ……あああああああああああああああああああああっ!!」
悲鳴は先程よりも一段高く、甲高い。聖堂の天井に反響して、割れた鐘の音の如く響き渡る。
〈天衡〉による掟が解除される条件は二つ。
一、両者の何れかに罰が下ること。
一、掟そのものを上書きすること。
先程耳を失ったことで一度掟は解除され、再度新たな掟で上書きした――ただ、ただそれだけだ。
「ああああああああああああああああああああ……!目が……!目が……!」
因みに掟の罰として、直接的な死は指定出来ない。というか、出来ない方が良いだろう。掟は両者間に課される。こちらも相応のリスクは背負うことになる訳だ。
「マザー・エニス。残念だったな、大好きな金が見られなくなって」
要するに、〈天衡〉の戦い方は――「相手の行動パターンから、『一方的に相手だけが踏む地雷』になる掟を見つけ出し、有効な罰を指定する」こと。
理論上は、それで誰にだって勝てる。流石、神の名を冠する世界最高位の神話級ユニークスキル、汎用性も無限大という訳だ。
「私は神に愛されてるの……!こんな結末……認めない……!」
マザー・エニスが叫びながら後退る。視線の定まらない目で虚空を睨み、血の跡を踏み潰しながら、ただただ喚く。
俺は静かに歩を進めた。聖堂の床に、赤黒い線が幾つも引かれていく。
「そのアンタより俺は神に愛されてたみたいだ。丁度、法と掟の女神の寵愛を受けててな」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
『掟:狼狽を禁ず。
破れば、気絶する。』
最後の掟を定めた瞬間、マザー・エニスの身体がびくんと痙攣し、その場に崩れ落ちた。砕けたステンドグラス越しに差し込む月光が、その惨めな姿をまるで弔うかのように照らしていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――おにいたま!」
背後――教会の正面玄関へと振り向くと、そこにはフランが立っていた。震える唇で何かを言おうとして――俺に駆け寄り、泣きながら抱き付いてくる。
「ありがとう……おにいたま。フラン、こわかった……!」
「もう大丈夫だからな、フラン」
銀髪の頭を撫でる。柔らかい。フランは涙を拭い、俺の胸に頬を擦り寄せた。
「――せつくん!」
フランの後を追って教会に足を踏み入れたのは、見慣れたメイド服の美女――アマネだ。彼女は傷だらけの俺を見るなり、青ざめた。
「酷い怪我です……。今、癒しますからね」
アマネが神に祈るように手を組む。淡い緑光が俺の身体を包み、裂けた皮膚と服までもが修復されていく。――中位級ユニークスキル・〈癒光〉。無機物まで治すその力は、何度見ても異常だ。
「子供達は寝室に帰し、奴隷商は身動きが出来ないよう拘束しております。仲間がいないことも確認済みです。警察も呼んでいますので直ぐ来ていただけるかと」
「ありがとう、アマネ。仕事が早いな」
「いえ。せつくんが命懸けで戦ってくださったお陰です。……せつくん」
アマネは淑やかな仕草で姿勢を正す。そして、俺に深々と頭を下げた。
「子供達を救ってくださり……本当に、ありがとうございます」
「大したことはしていない。それに……まだ課題も残ってる」
俺は、抱き付くフランの背を優しく叩いた。
――そうだ。ここは孤児院。マザー・エニスを倒しても、子供達の「居場所」は消えたままだ。
「子供達をどうするか……ですね」
フランは涙の跡を残したまま、俺の服をきゅっと握り締めていた。その小さな指先が、俺の心を掴んで離さない。
一方のアマネは、部屋の隅で縮こまっていた男の子を優しく抱き寄せている。
――その時、教会の扉が勢い良く開いた。
「――話は聞かせてもらいましたわ!」
冷たい夜気と共に、教会の正面玄関に三人の影が現れる。十四、五歳くらいだろうか――対照的な雰囲気を持つ二人の少女と、その背に控える、俺と同年代と思しき燕尾服の若い執事。
左右非対称のツインテール。桃色が多くを占める、水色とのツートンカラーの髪。白い着物に赤い袴――快活そうな少女が花柄の白い和傘を肩に掛けて笑う。
「どうですの!?最高のタイミングですわ!」
「……ラ、ラクシュお姉様……よ、夜なんだから静かにしないと……」
もう一人の気弱そうな少女は、ゴシック調のロリータドレスを身に纏い、花柄の黒いゴシック傘を差していた。片手にはクマの縫いぐるみ。髪型は同じツインテールだが、水色が大部分を占め、桃色がアクセントになっている。
そんな二人に控えるように立つのは、清潔感のある短い黒髪に端正な顔立ち、黒い燕尾服を完璧に着熟した執事風の青年。彼は沈黙を貫いたまま、静かにこちらを観察していた。
白い和傘の少女――ラクシュと呼ばれた少女が、両手を腰に当て、堂々と胸を張って言い放つ。
「十傑・第十席――ラクシュですわ!」
「……お、同じく十傑・第十席――ノ、ノクシュ……」
「クロードと申します。どうぞ、お見知り置きを」
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