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忘れ物を介して

 翌朝、涼しい春風が頬を撫でる。いつもより早く家を出て学校へ歩みを進める未来は頭を悩ませていた。


 「どうしたもんかいな……」


 彼が履いている靴は軽量が売りの製品のはずだが、どこか重たく感じられる。


 昨日のキリヤマ書店で初めて隣の席の朝陽と会話をした未来。それは決して甘酸っぱいものではなく、お互いが少し距離を取ろうとするようなものだった。


 そんなやり取りを終えた彼は購入した参考書をうっかり書店に忘れてしまったのである。しかし彼が気づいた頃にはもう店が閉まっている時間で、今日の11時から開店だ。行くとしたら放課後だろうか。

 

 だがその時間だと朝陽がバイトで来ているかもしれない。


 あそこで働く朝陽からは、来るなと言わんばかりの言葉を投げつけられたばかり。流石に本気で拒絶しているわけではなかろうが、昨日の自分の発言が原因というのもあって気軽に行けるような状態ではない。


 未来の背中が太陽の光に照らされる中、彼はどう対処しようかと考えを巡らせていた。それに彼と朝陽は高校では隣の席同士。普通だったら声をかけたいところだがこれまた難しい。


 未来はふと周りを見渡す。春を象徴する桜達は既にその多くが散り、所々で木々がもう緑の葉を付けているのが見受けられる。

 悩んでいてもしょうがないと、とりあえず彼は気持ちを切り替えてこのまま学校へ向かうことにした。


 しばらく歩みを進めて見えてきたのは、治森(おさもり)高校の文字が刻まれた校門。未来はいつもよりもその文字にどこか厳格な印象を持った。

 校舎の中に入り、靴を履き替える。まだこの時間は登校する生徒も少なく、廊下には彼が上履きの音だけが響く。


 1年A組の教室前まで着いた未来。教室のドアを開けるとそこには、昨日初めてちゃんと会話を交わした朝倉朝陽が自分の隣の席で何か問題を解いている。


 教室の窓から差し込む陽の光が彼女の白い健康的な肌を輝かせ、首元まで伸びる茶髪が眩い光を反射させている。そんな彼女の姿に再び未来の心の奥の何かが騒めいた。

 

 普段からその美しさと器用な姿に人が集まり、謙虚ながら少し楽しげに接する彼女も確かに美しい。だが昨日書店で見せた姿や今目に映っている彼女の姿は、周りの視線から解放されたかのように全体的に儚さが増し、どこか達観したかような目つき。


 危うく未来は再び昨日と同じ言葉を口に仕掛けた。どこか普段と違う彼女の姿は普段あまり人に興味を持たない自分の何かに強く訴えかけている。


 そんな一瞬の思考の終え、彼は自分の席へ歩みを進める。リュックを下げ、椅子を引く。机には隣の席の朝陽の影が伸びていた。


 リュックから今日使う教材を取り出し、机の中に入れようとした瞬間、中で何かが突っかかった。中を覗くと分厚い本のようなものが。手を伸ばしてそれを手に取ると、昨日書店で忘れたはずの参考書が姿を現した。


 (なんでここに?)


 そう思ったのも束の間、彼はすぐに理解した。隣に座る朝陽は知らん顔を貫いているがこれは恐らく彼女の気遣い。

 机の上ではなく、机の中というさりげない配慮は、恐らく少しでも周りに騒がれるのがお互い好ましくないという事に対してのものだろう。今日は運良く未来が早めに登校したため、この教室にいるのはこの2人だけだが。


 参考書の重みを手で感じつつ、未来は顔を朝陽に向けて礼を口にする。


 「ありがとな、朝倉」


 日光に照らされる彼女は相変わらず姿勢をノートに向けていたがペンを動かす手を止め、こちらに顔を向ける。


 「いえ、あくまで書店で働く身と当然のことをしたまでです」

 「そうか」


 口を聞かれることはないと思っていた未来は、本気で拒絶されていないことを確認して少しホッとした。とりあえず面倒くさい事態になることは無さそうだ。しかし朝陽は立て続けに口を開く。


 「ですが芹沢さんのその参考書、かなり厚みがありますよね?」


 彼女が会話の続きを促す態度に驚きつつも未来は頷く。


 「ああ、そうだけど何か?」


 朝陽はカバンからフォルダを取り出し、数枚のプリントを取り出す。

 それは最近行われた定期考査。高校生活初めてのテストだった。彼女の答案用紙にはどれもほぼ満点を象徴するような点数が付けられている。解答欄には赤い丸がびっしりと広がっている。


 「自分でも言うのはアレですが、私は有難いことに学年1位の成績を取らせていただきました」

 「お、おう」


 普段とは違って自分の点数を相手にはっきりと見せつけるような態度を見せる朝陽に、少々困惑する未来。


 「そんな私から失礼なのは充分承知の上で言わせていただきたいのですが……」

 

 そこで朝陽は一旦言葉を区切る。そしてすぐさま口を開く。


 「芹沢さん、あなたはいくつの教科で赤点を取りましたか?」


 その言葉に未来は反射するように顔を背けた。隣の席の優等生とは対照的に、未来の成績は芳しくなかったのだ。殆どの教科で赤点を取ってしまった彼にとって、あまり触れられたくはないものだった。


 「……全部じゃねぇ」

 「全部じゃないのは分かっています。ただ余りにも多かったのではないですか?」


 未来は顔を背けながら、苦虫を噛み潰したよう表情を浮かべる。


 「アンタにしては珍しいな、優越感にでも浸りたいのか?」


 そんな彼の言葉を無視するように朝陽は続ける。


 「もし少しでも成績を上げたいと考えているのなら、そのような参考書は絶対に辞めるべきです」


 アドバイスでも言っているのだろうか。彼は朝陽の方へ顔を向け直す。彼女の顔を照らす太陽の輝きとは反対に、彼女は無愛想な表情を浮かべている。それは決して誇らしげな表情ではない。


 「成績の上げ方が分からない人が陥りがちですが、あなたのような人は『分厚いから』といったような理由でそのような参考書を取ってしまいがちです」


 図星だった。

 未来も内容は適当にページを捲って眺めただけで、決定打はその分厚さだった。


 「もし成績を上げたいのであれば、薄めのものをおすすめします。先が長いと人間、途中で諦めてしまうものですから。内容量が少ないもので繰り返し勉強した方が、遥かに効果があります」


 流石優等生といったところか。彼は目を見開き、朝陽の手元に視線を送る。

 やはり彼女も重厚なものではなく、薄い冊子を広げて勉強をしているようだった。


 「流石だな。その辺も気にしてるのか」

 「細かいところから勉強の質は変わっていきます」


 彼女の淡々とした声を聞きつつ、未来は朝陽の細かい気配りに感心した。恐らく彼女は地頭もいいのだろう。しかしそれと相乗効果をなすように彼女も自分で出来る事を模索しているのだろう。


 ただ未来の出来の無さを触れたことについては、言われた側の彼も少し不満であり、素直には礼を言えない。


 「…俺もこれからは気にしてみるよ。ただ朝倉、少しデリカシーってもんが無いんじゃないのか?」


 彼の言葉にも動じた様子は見せず、朝陽は言葉を紡ぐ。


 「それを言うのなら芹沢さん、昨日のあなたの発言もあまり好ましいものではなかったと思いますが」


 未来自身、決して昨日の発言は下心を籠めたものではない。それにあの言葉自体が悪口ではないというのに。


 「そこまで根に持つことか? もちろん俺も唐突すぎたとは思ってるけど」

 「分かってないですね」


 朝陽は首を横に振る。


 「私自身、自分が周りからどういう視線で見られているかは分かっているつもりです。だからこそ、別に親密でもない人から容姿のことを言われると少し警戒してしまうものです」


 そういうものなのだろうか。未来には正直分からない。そんなに他人に容姿を触れられることは嫌なのだろうか。もちろんそれが悪口に繋がってしまうような発言なのなら理解は出来る。

 だが彼が何を言っても今の彼女の姿勢は変わらないのだろう。


 「分かった、俺がアンタに警戒心を持たせるような行動を取ってしまったのならもう一度謝る」

 「いや、謝罪の言葉は昨日頂いたので結構です」

 「……アンタ案外めんどくさいな」


 未来はかなり呆れていたが、朝陽の方は相変わらずだ。


 「めんどくさくて結構です。それで安易に近づかれることがないのなら」

 「左様ですか」


 そんなやり取りをしていた2人だが、廊下からは騒がしい声が徐々に聞こえ始めた。恐らく他の生徒も登校し始めた頃なのだろう。

 

 2人は交わしていた視線を離し、自分の机に向き直る。


 いつもと変わらない日常の始まりを、朝陽から伸びる影に包まれた参考書が見守っている。





 




 


 


 

 今回もご覧いただきありがとうございます!初めての2日連続投稿、手がガクガクです……

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