歓喜と寝坊
翌朝、天気は快晴。文字通り雲一つなく、校庭は朝の光に照らされている。
土曜登校のために小さく悪態をつきつつ治森高校の校舎へ足を運ぶ生徒達。その光景を1年A組の教室から朝陽が眺めていた。彼女の隣の席にはまだ、最近になって少し早めに登校するようになった未来の姿はない。
一瞬隣へ意識を向けた朝陽だが、これが彼の通常運転だったと思い直す。
「最近はやたら会う機会が多かっただけだし……」
小さく呟く彼女は、机に広がったノートの端を摘まむ。
彼女は窓の外に広がる下界の中にしばらく視線を向ける中、教室には既に何人かが教室にやってきた。彼らは教室に入って早々、窓際の席に座る朝陽の姿に視線を奪われる。
そんな彼らの存在にも振り向くことなく、朝陽はぼんやりと外を眺めていた。クラスメイト達も輪になって談笑を始めた。
「やっぱ今日も可愛いよな、朝倉さんって!」
「分かる! しかも参考書やってる感じじゃない?」
「ああ確かに! 朝倉さん、地頭もすごいのに真面目だなぁ……」
半分聞き流す朝陽にとって悪い気はしない。寧ろ少し嬉しいという気持ちまである。
だがそれでも何かが満たされない。
自分がこれまで注目されてきた実感はある。それはこの高校生活だけでなく、小学校、中学校と続いてきたものだ。
絶世の美女などではないものの、それなりに自分が周りの視線を集めるぐらいには顔立ちが整っていることは知っている。それに中学に入ってからは成績という面でも一目置かれるようになった。
だが肝心の本人が誰かの内側に踏み込みような性格ではないため、告白されるというイベントを体験したのはたった一回。しかもその一回も彼女を満足させるようなものではなかった。
(今頃あの子はどうしてるんだろう……)
朝陽が約16年間の人生において、唯一振った男の子がいた。彼女はそんな男の子の記憶に、年月を重ねるたびにモヤがかかるものの忘れることもなかった。
そんなことに思考を巡らせる彼女の姿はより儚さに磨きをかけ、周りの視線をさらに強く惹きつける。
周りの喧騒と切り離される朝陽の耳に、快活な声が飛んでくる。
「あ、みんなおはっよー!」
「お、今日も元気だな溝呂木」
「おはよ美鈴ちゃん!」
教室の入り口付近のグループと弾むような声で会話を交わす美鈴の登場は朝陽の目先をも変えた。
無邪気な笑顔を振り捲く美鈴。そんな彼女はこちらに視線を向けている朝陽に気づくとさらに笑顔を輝かせ、忙しなく駆け寄ってくる。
美鈴は朝陽の席に近づいていく中で口を開こうとする。だがそれよりも先に朝陽が挨拶の言葉を口にする。
「おはようございます、溝呂木さん」
一昨日から朝陽が先に挨拶をするようになった。そして今日も朝陽からの挨拶に美鈴は嬉しそうに唇をプルプルと振るわせ、その身で悶える。
「ん〜! おはよ朝倉さん!」
嬉しさのあまり、今日も和樹に抱きつこうとする彼女だったが今この瞬間は、未来と同様彼の姿もない。
美鈴は歓喜の色を隠せない状態で思考するように周りをキョロキョロした後、朝陽に視線を向き直る。
「ねね、朝倉さん!」
「はい」
美鈴は朝陽の視線を交わしながら彼女の呼びかけに答える。
「あのさ、今日は和樹と未来がいないから朝倉さんに抱きついていい?」
美鈴の言葉に朝陽は一昨日、そして昨日の光景を思い出す。一昨日は和樹、昨日はまた彼と未来の首に飛びついていた美鈴。彼女は朝陽からの挨拶に純粋に喜ぶが故に、男子2人の首をキツく締め上げていた。
「あ、あの、お、お手柔らかにしてもらえるなら、どうぞ……」
控えめな様子ではあるものの、朝陽は美鈴の頼みを無下にはしなかった。
朝陽からの返事に美鈴は笑みをさらに深めて飛びついたものの、朝陽の体に加わる力は思いのほか優しい。
了承した側の朝陽だったが、やはり抱擁には少し動揺しているようで、自身の両腕を空中で迷わせている。
一方、相変わらずの美鈴の様子に慣れた様子のクラスメイトだったが、朝陽が朝陽の抱擁を受け入れた姿勢には驚いたように目を丸くさせる。
「へー、朝倉さんってああいうの意外とオッケーなのかな?」
「今度俺もお願いしようかな」
「お前は黙ってろ」
そんな彼らの視線に少し気恥ずかしさを覚えた朝陽はそれを紛らわせるように、自分にしがみつく美鈴に声をかける。
「あ、あの……」
「ん? どうかした朝倉さん?」
美鈴は朝陽の体からそっと離れる。
「えっと、高山さんと芹沢さんは……」
美鈴の彼氏である和樹、そしてそんな2人の友人である未来。いつもだったら3人で行動するのをよく見る。
「あー、2人ともなんか寝坊したらしいよ。私も今日はなんか早く起きちゃって、先に学校に来たんだ!」
あっけらかんと答えつつも、朝陽に再び向けられた朝陽の満面の笑顔。
その笑顔は、街を垂らす太陽の光に負けないぐらい、朝陽の足りない何かを照らした。
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