終わる夏休み
僕と太田君を助けに来てくれたと思った男性は、突如、腐乱した姿となり、それでも尚、海面に浮かび、太田君を誘って居た・・・。
そして、太田君は・・・海面から姿を消した・・・。
西崎君に引っ張られながら、力尽きる様にして岸まで辿り着いた僕は、この時になって、やっと(助かった・・・)と思いました。
僕は海中から浜辺へと体が引き上げられるに連れて、それまで浮力で支えられてた体重が疲れきった身体にのし掛かり、脚を縺れさせる様にして砂浜に倒れ込みました。
この時、僕はまだ右手で西崎君の左の手首を掴んでたのですが、僕がそれを離さないままだったので、西崎君もよろめいて、一緒に倒れてしまったのです。
僕はここで始めて、自分の右手の感覚が無い事に気が付きました。
起き上がろうとするのに右手も使いたいのに、西崎君の手首を離したくても離せ無いのです。
僕と同じく起き上がろうとした西崎君は、空いてる右手で僕の指を離そうとしました。
彼は力を入れて、僕の指を一本一本引き剥がし始めましたが、それでも、なかなか外れません・・・。
それは僕の指が、自分の力で固まってしまってたからでした・・・。
『溺れる者、藁をも掴む』と言いますが、後にも先にも僕が『死に物狂い』と成ったのは、あの時だけでした。
「どうなってる!?太田は?・・・太田が・・見えなくなってるよ・・・?」
それは新谷君の気の抜けた声でした。
腰が抜ける一歩手前だったのかも知れません。
彼はまだ、太田君が溺れたという事実を、認められ無かったんだと思います。
すると僕の右手を引き剥がしてた西崎君が「太田がぁ!!溺れたんだ!!沈んだ!!警察に!!直ぐに警察に電話してくれ!!」と、新谷君を睨み付けて叫びました。
新谷君は、蒼白になりながら「わ・・わかった!」と言って、砂浜に置いてある鞄に入った携帯電話を取りに、転げる様にして駆け出したのです。
新谷君が警察に電話を掛けながら僕らの方へと駆け寄ってくると、その脚はガクガクと震えてました。
それでも新谷君は、携帯電話を震える両手で支える様にして耳に当てながら、僕らの居る場所を伝える終えると、続けて、さっきまでの状況を僕と西崎君に聞きながら伝えてくれました。
新谷君は警察との電話を続けながら、警察が言う事を、僕らに向かって復唱しました「こちらから直ぐに・・・・はい。ヘリコプターと船を出して捜索します!・・・はい。到着には30分ほど掛かると思われますが、溺れた友達を探そうとして海に入るのは絶対に止めて下さい!!・・・はい。こちらから消防の方にも連絡しますので、後は安全な場所でお待ち下さい!」・・・・。
僕と西崎君は新谷君の復唱を聞きながら、1人で沖の遠浅まで行ってしまった角村君の事が、今さらながら心配になりました。
ここまで自分達の事で精一杯だった事に気付いたのです。
『友達を探しに行くな!』と警察に言われましたが、もう1人、行方不明になってたらと焦り、目で沖を探しました。
するとその時でした、角村君が僕が戻ったコースを使って岸の近くまで泳いで来てるのが見えたのは。
(角村は、無事だった・・・)
そう思った僕は犠牲者・・・いや。一緒に泳ぎに行った友達をそう言うのは間違ってるのですが・・・その・・犠牲者が増えなかった事に・・・一瞬ですが、安堵したのです・・・。
しかしでした。
僕は角村君が無事だったのを見た瞬間、安堵したのに・・・。
自分の中に、怒りが沸いて来るのを感じました。
それは、彼は泳ぎが上手いのに、僕と太田君を振り返って見る事も無く、沖まで行ってしまった事と、沖まで流されてる太田君を助けようともせずに見送ってしまった事に対してでした!
ただ僕は、前者は責める事が出来ても、後者は責める事が出来ないのを自分でも分かってました。
太田君の間近で泳いでたのに、彼を助けられなかったのは、寧ろ僕の方だったからです・・・。
だから僕は、岸から砂浜の陸へと上がって来た角村君に向かって、何も言うことが出来ませんでした。
今、思えば『良く無事で戻って来てくれた!お前だけでも無事で良かった!!』と言って上げれば良かったのにと、思ってます・・・。
この時点で、太田君の命は絶望的だったのですから。
しかし、そんな僕の代わりに角村君を責め立てのは、他ならぬ西崎君でした。
砂浜のに座り込んだままの僕と、脚を震わせながら立つ新谷君は、そんな二人の争いを、ただ呆然と見て居ました。
しかし、責め立てられる角村君は『心、ここに在らず』といった感じだったので、西崎君は更に激昂するばかりとなりました。
しかし、そんな角村君が僕達に背を向け項垂れた後。ふっ・・と、一度、沖を見たのです。それから急に僕の方へと振り返って言ったのです。
「お前も見たのか?」
角村君の、恐怖とも絶望とも言えない目を見た僕は、一瞬で全てを悟りました。
その言葉は『太田が流されて行くのを、お前も見たのか?』とは、聞いて無いのです。
だから僕は思いました。
(角村は・・・『僕が見た者と同じモノを見た』のだ)と・・・。
僕と角村君の間に流れる空気に、激昂してた西崎君も、何の事か?と、押し黙りました。
僕は・・・自分が見た『腐乱死体にしか見えない男』の姿は、自分が太田君を助けに行っても、自分も溺れると思って作り上げた幻覚なのかも・・・そうして逃げる理由にしてるのかも・・・と、思おうとしかけてました・・・。
しかし、違ってたのです。
でも、今のままでは西崎君も新谷君も何の事か分からず、特に西崎君はまた怒り出すとしか思えませんでした。
だから僕は、西崎君と新谷君が信じてくれるかどうかなど考えずに『ここに居る皆が太田君を溺れさせてしまった』という意味で、4人は同じ立場になってるのだから『僕が見たモノを話さなければならない』と思いました。
「あ・・・・あれは、やっぱり、ここで死んだ人だったろうか?」
僕のその言い方は、さっきの確信とは程遠い、言い方でした。
僕の言葉を聞いた角村君は、すぅっと大きく息を吸うと「腐乱死体が・・・泳げる訳・・・無いからな・・・」と言って、急に震え出しました。
西崎君と新谷君は唖然としてしまいました。
それは、もしかしたら、僕と角村君に呆れたのかも知れませんでした。
こんな非常時にそんな事を言い合ってるのですから・・・。
しかし、その直後、角村君が顔をくしゃくしゃにして、泣き出したのです。
その姿を見てた僕も、急に涙が出て止まらなくなりました・・・。
只、僕の涙と、彼の涙とは、意味が違ってたと思います。
きっと角村君の涙は、恐怖と後悔からの涙で。
僕は涙は・・・心底『ホッとした』からでした。
それは自分でも残酷だと思いますが。
あの時、僕は。
『僕は角村君と同じ恐ろしいモノを見たんだ・・・あの、この世成らざる者に誘われてしまった太田君を助けに行ったとしたら、僕ら2人も一緒に犠牲になってたに違いない・・・だから太田君を助けられなかったのは仕方なかった・・・』と、思う事ができたのが、唯一の救いだったのです。
西崎君と新谷君は、困惑した表情になりました。
太田君が行方不明になってて、それは溺れて海に沈んでしまって・・・多分もう、死んでるって時に、お前達は何を言ってるんだ?!って事なのでしょう。
しかし、だからこそ、こんな状況で僕と角村君が、示し会わせたような嘘を言ってるとも思えなかったのだと思います。
泣きじゃくってる僕と角村君を見て、暫くの間、西崎君と新谷君は黙り混んで居たのですが、そんな状態の僕らに向かって放たれた新谷君の一言で、皆は我に帰りました。
「これ・・・・母さんに・・何て言おう・・・」
つ づ く