当然の報い
あの日から、マクシムさんは私を見つけては声をかけてきた。私を探して、この繁華街に足繁く通っているのだろうか。ただ一緒に飲みに行くだけで、手を出してくる様子はない。他の男たちとは何もかもが違う。でも、一緒にいたらすごく楽しい。彼の穏やかな声も、飾らない笑顔も、私の頭から離れない。この心地よさは、彼の術中にハマっているだけなのだろうか……。警戒心が消えない。
今日も客引きに行こうかな。マクシムさんがいつもデート代をくれるから、娼館のノルマは達成している。それでも、無意識のうちに彼を探してしまう。今日も会えるかな。そんな淡い期待が、胸の奥でひっそりと灯る。
「ナンシー、行こっか」
声をかけると、ナンシーが申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめーん、今日は客が決まってるの。今から迎えに行くとこ」
「そっか、頑張ってね!」
今日は一人か。人混みの中、私は独り獲物を探す。
繁華街に出て客を吟味する。今日は商人風の男が多いな。彼らの金回りはいいけど、欲深い目つきが嫌になる。
突然、後ろから強く腕を掴まれた。まるで鋼の鎖に繋がれたかのように、逃れることができない。
「えっ……」
血の気が引く。心臓が嫌な音を立てる。嫌な予感が全身を駆け巡る。
「やっと見つけたぞ……」
低い声が耳元で響く。この声は――肌が粟立つ。
「あっ……ローガン君……」
油断した。
半月も経ったから、もう諦めたと思っていたのに。完全に私の計算違いだ。身体が震え、全身から力が抜けていく。当然の報いだと、頭の片隅で冷酷な声が囁く。
「こっちに来い。武器の場所は後で吐いてもらうからな」
ローガンの手が一層強く私の腕を締めつける。
「やめて! 離して!」
声を上げるしかない。必死に声を振り絞って叫んだ。私を助ける者はいない。そう知っていたはずなのに、それでも、藁にもすがる思いで。
「誰か助けて!」
誰も助けてくれない……仕方ない。私がしてることは犯罪だ。その報いが来たんだ。そう思って、ぎゅっと目を閉じた。暴力に慣れてしまった娼婦の末路。これが私に相応しい結末だ。
「おい、その子を離せ」
怒気を含んだその声の方に、私はゆっくりと顔を向けた。信じられない光景が、私の目に飛び込んできた。そこに立っていたのは、マクシムさんだ。彼の顔には、普段の穏やかな笑顔は一切なく、凍てつくような冷たい怒りが宿っていた。彼の表情は、まるで別人のようだった。
「あぁ? 何だテメェは」
ローガンは私を掴んだまま、マクシムさんを睨みつける。その顔は、獣のように歪んでいた。
「何があったか知らないが、女性に乱暴はするな。話し合いでどうにかしろ」
ローガンは眉間に皺を寄せ、マクシムさんを睨みつけた。ローガンは大柄な男だ。マクシムさんより頭一つ分は大きい。その体格差は、私に絶望を突きつける。マクシムさんは、この男に敵うはずがない。
「マクシムさん! ダメ! この人たち強いから!」
私の声は、恐怖で震えていた。
「おい! この女逃さず捕まえとけよ。おい、貴族さんよ、いい度胸だな」
ローガンの仲間らしき男が、私をさらに強く掴む。
「暴力で来るなら相応の覚悟はあるんだな?」
マクシムさんの声は、静かでありながら、どこか芯が通っていた。
「はぁ? うるせぇ奴だ」
マクシムさんが……私のせいで殺されちゃう……。私の罪が、この優しい人を巻き込んでしまった。私の心は、絶望で満たされた。
そう思った、その時――
結果は逆だった。
「え……?」
「ローズさん、大丈夫?」
一瞬だった。
まるで何事もなかったかのように、ローガンを殴り飛ばし、私を掴んでいた男を気絶させた。彼の動きは、見る者全てを置き去りにするほどの速さだった。まるで、そこにいたはずの存在が、次の瞬間には別の場所に移動したかのように。彼の拳がローガンの頬を打ち砕く音が、耳の奥で響いた。
「相手はAランクの冒険者よ……? マクシムさん……何者なの……?」
私の声は、まだ震えている。
「言っただろ、ただの田舎貴族だって。今日も飲みに付き合ってくれるかい?」
彼の微笑みはいつものように穏やかで、まるで今しがた人を打ち倒した人物とは思えない。その笑顔に、私は安堵と、そして新たな疑問を感じた。
「あ、うん……」
「ローズさん、ご飯は済ませちゃったよね?」
「少し食べたけど、あんな目にあったらなんかお腹空いちゃったな……」
「僕、忙しすぎて朝から何も食べてないんだよ……」
彼は困ったように、けれどどこか嬉しそうに笑う。
「いいよ、じゃあ、どこ行く?」
「えーっと、また連れて行ってくれない……?」
「そうなるよね……いいよ。行こっか!」
マクシムさんの腕に抱きついて歩く。細い腕のはずなのに、さっき感じた力強さが残っている。あんな風に助けられたら……カッコよく見えちゃうよね……。彼から漂う優しい香りに、私の心は少しずつ溶けていく。まるで、硬く閉ざされていた扉が、ゆっくりと開かれていくような感覚だった。