守るべき者
一年後、僕たちは娘を授かった。小さな命が、僕たちの腕の中にいる。
「僕に子供が……ありがとう、ローズ」
僕の胸は、感動でいっぱいになった。
「二人で大事に育てていこうね。私は親の顔も知らない、この子にはそんな思いはさせたくないから」
ローズの言葉に、僕は強く頷いた。彼女の願いは、僕の願いでもある。
「あぁ、もちろんだ」
曾祖母様、お祖父様、お祖母様、そして両親と共に、新しい家族の誕生を祝った。豪華な食事と、温かい会話が弾む。
ローズの希望で、メイドのリザにも同席してもらった。リザは相当緊張していたけれど、僕たちが家族として受け入れていることを示せたのは良かった。
リザにも子育てを手伝ってもらうことになるだろう。彼女はもう家族だ。この屋敷が、さらに温かい場所に変わっていくのを感じる。
子供の成長は本当に早い。あっという間に、たくさんのことを覚えていく。
「この子ももう二歳ね。歩き始めてから本当に早かった」
ローズは、娘の成長に目を細めている。
「本当だね、もう喋ってるもんな」
拙い言葉で何かを伝えようとする娘の姿は、僕たちの心を溶かす。
今日は三人でシャーリーズパークに行く。デザイナーのシャーリー・ベルナールがデザインしたキャラクターのテーマパークだ。娘が生まれてから、僕たちの休日の過ごし方も大きく変わった。
「ほら、ピンキーキャットだよ! この子あのキャラクターが大好きなんだ。ぬいぐるみ買って帰ろうね!」
ローズが、娘の好きなキャラクターを見つけて、声を弾ませる。その笑顔に、僕も自然と笑顔になる。
一日中、美味しいものを食べたり、乗り物に乗ったりと、大人も子供も楽しめるテーマパークだった。娘の弾ける笑顔を見るたびに、この幸せがずっと続けばいいと願った。
「服も買いたいなぁ。あ、これ可愛くない?」
ローズが、子供服の店で可愛らしいデザインの服を見つけた。
「なるほど、子供のイニシャルが印字できるみたいだ。確かに可愛いな」
「じゃあこの子は『E』だね!」
娘のイニシャルが『E』であることを確認し、ローズは嬉しそうに頷いた。
しかし、そんな楽しい場所に似つかわしくない集団が近づいてくる。少し前から彼らの存在を感じ取ってはいた。確証は無かったが、どうやら狙いは僕たちの様だ。彼らの放つ微かな殺気に、僕の背筋が凍りつく。
「ローズ、奴らから殺気を感じる。人混みに紛れよう」
僕は、娘を抱きかかえるローズの腕を掴み、囁いた。
「え……この子だけは守らないと」
ローズの声が震える。
「いや、二人とも僕が守る」
僕は娘とローズを庇うように、人混みの奥へと進もうとした。
ダメだ、人数が多い。何人いるんだ。彼らは、まるで獲物を追い詰めるかのように、僕たちの動きを封じようとしている。
「ローズ、パーク外に出るぞ、人数が多い。今日は休日だ、オリバーの所に行く」
僕の頭の中は、最善の逃走経路を考える。オリバーの屋敷は、ここからそう遠くない。
人の少ない方に誘導されている。分かっているのに逃れられない。僕たちの背後からは、容赦なく追手が迫ってくる。
パーク外に出て、細い路地に入った所で囲まれた。彼らの顔には、冷酷な笑みが浮かんでいる。
「おい、誰の依頼だ」
僕は彼らを睨みつけ、問い詰めた。しかし、誰も応えない。こいつらは冒険者だ、しかも腕がいい。並の賊ではない。
冒険者達の後ろから、一人の女性がゆっくりと歩いて来た。その姿を見て、僕の心臓が嫌な音を立てる。
「マクシムさん、覚悟は出来た? 逃げるのは無理よ。全財産はたいて雇った腕利きの冒険者達よ」
彼女の声が路地に響き渡る。その声の主は――。
「サーシャ……」
まさか……こいつらの雇い主はサーシャか……。信じられない気持ちで、僕は彼女を見た。
「警告したわよ? 私は執念深い、後悔させてやるって」
サーシャの表情には、憎しみと歪んだ満足感が浮かんでいた。
「おい、彼女と子供は関係ないだろ!」
僕は、怒りを込めて叫んだ。
「は? そいつがマクシムさんを誑かしたんでしょ?」
彼女の言葉に、僕は愕然とする。彼女の目は、完全に憎悪に染まっている。
「なぜ分からない! こんな事したってお互い何のメリットも無いぞ! サーシャはまだ若いんだ。いい人は幾らでもいるだろう!」
僕は、必死に彼女を説得しようとした。
「いいえ、私は学生時代から貴方と結婚する事を決めていた。周りにそれを言い触らしてたの。それをこんな風に裏切られて、私の傷付いたプライドは戻らない」
彼女の言葉は、悲痛な叫びにも聞こえた。
「そんなくだらない事で……」
僕の口から、思わず冷たい言葉が漏れてしまった。
「くだらない事? 私にはそれが全てだったのに……?」
サーシャの瞳から、一筋の涙が流れ落ちた。
だめだ、話が通じない。彼女は、もう僕の言葉など届かない場所にいる。
「ローズ、子供を離すなよ!」
僕は、ローズに叫んだ。だとしたら、二人を守って逃げるだけだ!
僕は走った。全速力で、追手から逃れようと必死に走る。傷だらけになろうとも、二人を守る。例え、死ぬ程の傷を負ったとしても。
僕には戦闘技術がある。訓練で培った体術と剣術で、迫りくる冒険者たちを捌いていく。しかし、二人を守りながらは限界がある。僕は、ローズと娘を腕の中に抱きしめ、必死に走った。
あと少しだ……オリバーの屋敷は、もう目と鼻の先だ。
「オリバー! 助けてくれぇー!」
僕の叫びが、夜の闇に吸い込まれていく。頼む! 届いてくれ……!
「おい! どうしたマクシム!」
聞き慣れた声が、闇の中から聞こえた。オリバーだ!
「良かった! 居てくれたか……サーシャが雇った冒険者達だ。僕たちを殺そうとしている」
僕は、息を切らしながら状況を説明した。
「おい……マクシム、その傷……」
オリバーの顔が、驚きと怒りで歪む。僕の体には、すでにいくつもの切り傷ができていた。
「回復術を頼むよ……あと、ローズと娘をレトルコメルスまで逃がしてやってくれないか。親友の君にしか頼めない」
僕は、震える声で懇願した。
「しかし……」
オリバーは、躊躇する。彼一人では、僕たちを守りながら戦うことはできないだろう。
「頼む! 一人ならこんなヤツらどうとでもなる!」
僕はオリバーの目を見つめ、力強く言い放った。
「マクシム! ダメ! オリバーさんと一緒に戦って!」
ローズが、僕の腕の中で叫ぶ。
『回復術 ヒール』
オリバーが、僕の傷に治癒の光を放ってくれた。痛みが和らぐ。
「ありがとうオリバー」
「分かった、ローズ達は任せろ。ほら、剣だ!」
オリバーが、自分の剣を僕に差し出す。僕はそれを受け取ると、構えた。
「マクシム!」
ローズが、僕の名を叫ぶ。彼女の瞳には、涙が溢れていた。
「ローズ! 分からないか! 足手まといなんだよ! オリバーと逃げてくれ! 必ず後を追うから! 約束だ、僕のペンダントを渡しておく!」
僕は首から下げていたペンダントを外し、ローズの手に握らせた。それは、僕の命の証だ。
「――絶対だよ! 貴方がいないと無理なんだから……」
ローズの声が遠ざかっていく。彼女はオリバーに抱きかかえられ、暗闇の中へと消えていった。
オリバーに頼めばもう大丈夫だ。武器もある。必ず生き残って、彼女たちの元へ帰る。
「来い!」
僕は、迫りくる冒険者たちに向かって、雄叫びを上げた。
一体何人いるんだ……次から次に、新たな追手が現れる。どんどん傷が増えていく。腕が、足が、重くなっていく。体力も……クソッ……。意識が、遠のきそうになる。
最期に聞くのは、サーシャの高笑いか……。
ローズ……すまない……。君たちを幸せにすると誓っておきながら……。
でも……幸せな時間をありがとう……。
僕の意識は、深い闇の中へと沈んでいった。