私は生きているの
自分は今生きていると思いますか?
私って生きているの?
私は生きているのだろうか。
なにをバカなことを言っているんだ、もちろん私は生きている。それは理解できているはずだ。
現に私は今もこうしてブルーライトをたくさん浴びながらパソコンに目を向け、ブラインドタッチを駆使して文字を打っている最中だ。時折打ち間違えてはバックスペースキーを打ち円マークを誤入力して、なにをしているのだと悲しんでいる最中ではないか。無意識の部分で言えば現に鼻から息を吸い、少し荒めに鼻から二酸化炭素の多い空気を出している最中である。
それなのになぜ私は生きているのかなどと考えているんだろうか。私は日本、とりわけ空気が綺麗なわけでも賑やかでもない東京の外れの6畳ワンルームに座っている、わかっている、私は生きている。でもそれはどう証明されるのか。例えばここで私が死ねば死んだという事実の反証として私は生きていたんだということは証明できる。では今現時点で生きていることを証明するためには?そしてそれは誰に証明するんだ?今すぐコンビニにでも駆け込んで私は生きていると思いますか?なんて店員に声をかけようものなら夜勤で疲れてるのに頭のおかしな奴に話しかけられてしまったと思われるだけではないか、そいつがオカルト好きなら幽霊と思って驚くかもしれないな。ならばSNSになにか投稿してみようか、十数人しかいないフォロワーという名の無関心で無機質ななにかに向けて発信してみようか、私は生きています!今生きているの!きっと十数人のフォロワーも愛想をつかして減ってしまうだろうか、いや彼らはスルー、無関心に呼吸と同じように私の投稿はスクロールされて終わるだろう。
今確かに私は存在しているはずなのに存在しているのか疑っている。それは生きがいとか生きる理由とかいう大それたものじゃなく単純に生きているのかただそれだけ。
今生きているかの証明にはならないがきっと2025年4月2日の夜中3時頃に私が生きていたと確認するために私は今文章を入力しているのだろう。未来の私はきっとまた同じようなくだらない悩みによって足と思考を止めてしまうだろうから。この文章を読めば、なんだこのかっこつけた気持ちの悪い文章だと羞恥心で背筋を凍らせるかもしれないが、とりあえず私は今生きているぞと書き記したい。
もしこんな文章を未来の私以外で読んでいる稀有な方がいるんだとしたら教えてほしい。あなたの2,3分は私の手によって無駄にされた、申し訳ないと謝罪させていただきたい。
何度思考を整理して考えても私が今生きていることを証明するすべが見当たらない、シュレディンガーの猫のように私を観測してくれる他者がいる環境であれば私は生きていると考えることもできるかもしれないが、6畳のワンルームで一人パソコンに向き合いこんな文章を書いている状態は生きているなんて言えない。これが性を実感できていないということなのか、生きていると実感したい。私は必要とされたい。求められたい。私がいなきゃダメなんだと言われたい。変わりが務まる誰だっていいことをしたくない。私は私、でも私じゃなくても私。私は生きているんだろうか、俺は今を生きていると言えることはとても幸せなことだと思う。
お久しぶりですとまるでブログのような書き出しから失礼します。
久しぶりにこのサイトを開きログインしてみると右上に感想が投稿されましたとの通知が...!
目立つように色まで変えて、純粋に驚きました。こんな私の自己満お気持ち表明文章にも感想を書いてくださる方がおられるのかと嬉しいという簡単な言葉では表せない気持ちに今なっています。ありがとうございます!