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記憶のサイコロ

作者: 喜國 畏友

 目が覚めると、僕は知らない部屋にいた。

 いや、違う。正確に言うと、覚えていないのだ。 この部屋にどうやって来たのかを。思えば、記憶が曖昧の箇所が多いような気がする。


 周りを見渡すと、白い壁、シンプルな机と椅子、そして中央には一つの珍しいタイプのサイコロが置かれていることに気づいた。

 

 サイコロは透明で、中にはキラキラした液体のようなものが揺れていた。それがまるで生きているように動いていた。気味が悪いったらありゃしない。


「おはようございます」

 不意に声がして、振り返ると黒いスーツを着た如何にもエリートですって感じ男が立っていた。

 顔は笑っているが、目は笑っていない。

 君が悪い男だ。


「あなたの記憶の一部は削除されました」

 彼は事務的な口調でそう言った。


「は?...なんだって?」

「このサイコロを振れば、記憶の断片を取り戻せるかもしれません。ただし……条件があります」

 黒服の男は、サイコロを見ながらそう言った。


 条件? いや、記憶って何の? 殺される?

 嫌な予感しかしない。


「このサイコロには6つの面があります。それぞれの面に対応する記憶があります。ただし、あなたが望む記憶が戻るとは限りません。そして、記憶を取り戻すたびに、代わりに何か大切なものを失うリスクがあります」


「失うって……たとえば?」

「それは振ってからのお楽しみです」

 男はにこりと不吉に笑った。


 僕はサイコロを手に取り、眺めた。振るべきか、振らざるべきか。

 一度、落ち着こう。冷静になれ。

 この状況を整理すると、記憶が戻る代わりに記憶が消されるリスクを孕んだサイコロを振らなきゃいけない。

 

 記憶が戻るということは、ここにいる理由や、自分自身の真実がわかるということだろう。でも、失うものが何かはわからない。

 もし、消されるのが今こうして考えてる記憶だったら?

 いや、それ以上に自分にある記憶すべてを.....


「選んでください」

 男が無慈悲に無遠慮にそう言う。

 選ばなければ、ここから出られなず、何もかもが進まないのは明らかだった。


 僕は覚悟を決め、サイコロを振った。

 コロコロと音を立て、サイコロが床で止まる。

 出た目は……『3』。


 すると、頭の中で何かが炸裂したような感覚が走った。そして、断片的な記憶が蘇る。

――青い空、笑い声、そして「サラ」という名前。

 は?誰だ? サラって。

 懐かしくて、暖かい感情が胸を満たした。だけど、その瞬間、何かが消えたような感覚もして.....


「ふむふむ、彼女の名前を取り戻しましたね。その代わりに……あなたの母親の顔を忘れました」

 男は淡々と興味深そうに言った。


「なんだと!?」


 頭の中を掻き乱されるような感覚。思い出そうとするが、どうしても母親の顔が浮かばない。

 それ以外の母親の記憶は変わらずあるというのに。


「さあ、まだ振るか、それともここでやめるか……選んでください」


 僕はサイコロを再び見つめた。

 このゲームを続けるか否か――それが僕の次の選択だった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 僕は拳を握りしめ、男を睨んだ。

 いっそのこと、アイツを殴り飛ばせば...


「こんなバカなゲーム、誰が続けるか!」

 サイコロを床に叩きつけようとした瞬間、男が静かに首を振る。


「それは無意味です。この部屋から出たいなら、サイコロを振り続けるしかありません。仮に私を殺してもね」


「出られないって、どういうことだ!」

 叫ぶ僕の声が空虚な部屋に反響する。でも、男の表情は微動だにしなかった。


「ここはあなたの記憶の狭間。あなたが真実を求めなければ、外の世界に戻ることはできません」


 狭間? 真実?

 どういうことだ。僕はそもそも何を忘れているんだ?

 さっき浮かんだ「サラ」という名前。懐かしい気持ちはするけど、誰なのかがわからない。


「僕の記憶を勝手に弄るなんて……何が目的なんだ?」


 男はニヤリと笑う。

「目的ですか? あなたが知りたがるなら、その記憶も取り戻せますよ。ただし、代償を払う覚悟があるならね」


 その笑みが、底知れない闇を孕んでいるように見えて、僕は言葉を飲み込んだ。


 だが、このままここで止まっているわけにはいかない。何かを取り戻さなければ、何もわからないままだ。


 僕は深呼吸し、再びサイコロを拾い上げた。手の中で透明な液体が揺れるのが見える。それが僕の記憶だというのか。


「いいよ...振ってやるよ」

「賢明な判断です」


 男の声を背に、僕はサイコロを転がした。


 コロコロコロ……。

 床を転がる音が妙に耳に残る。

 そして、出た目は『6』。


 その瞬間、僕の視界が一瞬真っ白になった。次の瞬間、また新しい記憶が流れ込んでくる。


――静かな湖、二人で肩を並べて座る僕と少女。彼女の笑顔。柔らかい声で語りかける。

「私、あなたがいてくれて本当に良かった」


 その言葉の後に、何か言おうとした僕。だけど、そこで記憶は途切れた。

 心臓がぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われる。


「……彼女と湖で話した記憶ですか」

男が感心したように呟く。そして続けた。

「しかし、その代わりに……あなたの一番得意だった才能が失われました」


「才能?」


 男は腕を組み、僕の様子を観察するように首を傾げた。

「例えばスポーツ、芸術、学問……あなたの人生で最も輝いていた能力が、今のあなたには思い出せないはずです」


 僕は混乱した。心当たりがない。得意なもの?  今、何をして生きていたのかさえわからない。


「サラって……誰なんだ?」


 僕はついに尋ねた。男はその質問を待っていたかのように口角を上げる。


「彼女についての記憶を完全に取り戻したければ……次は1か5を出せば戻るでしょう」

「1か5……?」


「そうすれば、彼女に関する重要な断片が蘇ります。ただし、あなたにとって最も愛しいものを失うでしょう」


 愛しいもの。

 その言葉が胸に突き刺さる。僕は恐る恐るサイコロを手に取った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 もう、迷いはない。


 次の一投で、僕の記憶と運命が変わるかもしれない。だが、振らなければ何も始まらない。


「……いくぞ。」


 サイコロを振る。

 コロコロ……。


 目が止まった瞬間、僕の心臓が大きく跳ねた。

出た目は――『5』。


 視界が暗転し、僕の体がどこか深い闇に沈むような感覚に襲われた。

 やがて、光が差し込み、僕は再び記憶の中に引き込まれた――。


「これで、すべて終わる」


 記憶の中の僕は、巨大な機械の前に立っていた。無数のコードが絡まり合い、その中心に透明なドームがある。

 中には――サラが眠っている。


 彼女は静かに目を閉じ、まるでガラスの中に閉じ込められた人形のようだった。


「サラ……」

 僕の声が震える。


 記憶の僕は、彼女を救うために何かをしていた。いや、自分を犠牲にしていた。

そのことを、いまの僕は理解している。


「約束を守るためなら、僕は何だってやるさ」

記憶の中の僕はそう呟き、機械のスイッチを押した。


 激しい光が弾け、耳をつんざくような轟音が響く。サラの入ったドームがゆっくりと開き、彼女の体を覆っていた何かが霧散していく。

 その瞬間、記憶の僕は崩れ落ちた。


……違う。僕はただ倒れたわけじゃない。僕自身が、サラを解放する装置そのものの「動力」だったのだ。

僕の存在は、彼女を自由にするために消費された。


「そうだ……僕は、彼女を救うためにすべてを捨てた」

 記憶が完全に戻った瞬間、胸が熱くなった。同時に強烈な虚無感も押し寄せる。


 僕がここにいるのは、その代償を払った結果なのか。


 現実に戻ると、あのスーツの男が満足そうに微笑んでいた。


「すべての記憶を取り戻しましたね。これであなたがなぜここにいるのか、おわかりでしょう」


「僕は……サラを助けた。そして、その代わりに僕は……消えた」

 そう呟いた僕の声は、まるで他人事のようだった。


「その通りです。あなたはもう現実の世界には存在しません。ここは、あなたの存在が残した最後の『記憶の狭間』なのです」


 僕はサラを助けた。その選択に後悔はない。

 でも、彼女は本当に救われたのだろうか? 僕がいない世界で、彼女は幸せになれたのだろうか?


 その問いが心を締め付ける。


「サラは……どうなった?」

 僕は必死に男に問いかけた。


 男は静かに腕時計を確認し、「どうぞ」と手を差し出した。そこに現れたのは一枚のスクリーンだった。


 スクリーンには、サラの姿が映し出されている。

 彼女は以前よりも元気そうで、どこか明るい笑顔を浮かべていた。


……僕がいない世界でも、彼女は幸せそうだった。


 胸にぽっかりと穴が空いたような感覚。それでも、救われた気もする。

 僕の存在は無意味じゃなかったのだ。


「あなたが消えたことで、彼女は救われた。そして新しい人生を歩んでいます」


 男の言葉が胸に突き刺さる。

 僕の目には涙が浮かんでいた。それが悲しみか、安堵か、自分でもわからない。ただ、一つだけわかったことがある。


「サラが笑っているなら……それでいい」


 僕は静かにサイコロを床に置いた。


「それで、僕はどうなるんだ?」

男は小さく笑った。


「あなたの役目はこれで終わりました。これで、完全に消えることになります」


 僕は静かに目を閉じた。

 サラの笑顔が最後の記憶として焼き付いている。


「ありがとう、サラ」

そう呟いた瞬間、僕の存在は光の中に溶けていった。


――どこかの空の下で、サラは一筋の涙を拭いながら、どこか懐かしげに空を見上げていた。

「どうしてかわからないけど……ありがとう」


 その声が、かつて僕がいた場所に届いた気がした。


          『記憶のサイコロ』- 完 -

後書き

 


 こんにちは、喜國畏友です。


『記憶のサイコロ』を読んでいただき、ありがとうございます。何をお話しすれば良いのか迷ってしまいましたので、この作品を作った経緯について少しお話しさせていただきます。


 私が小学生の頃、尊敬する担任の先生が授業中にこんなことを言いました。


『人は何かを得るとき、必ず何かを失っている』


 この言葉が強く心に残り、深く考えさせられました。その時、ふと思ったのです。こんなテーマを扱った小説を描いてみたいな、と。


 そして、思いついたのが『サイコロを振ることで新しい記憶の代わりに今の大切な記憶が消える』という、設定でした。


 このように、作品の背景について簡単にですがお伝えさせていただきました。最後まで読んでいただいた方には、心から感謝の気持ちをお伝えします。ありがとうございました。そして、読者の皆様に対して、深い敬意を表します。

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