0・9話 そして私は寝慣れたベッドの上で目覚め、過酷な人生が始まっていることを、理解する。
寝慣れたベッドの感触。年間契約している、そこそこ小ぎれいな一室。肩をさすってみるが、切り傷はない。痛みも痒みもない。違和感としては、肩こりぐらいだ。
妙にリアルな夢だった説、ということのようだ。ホっと一息つく。
そして。
ベッドの上で、一息ついた数秒後。
世界の残酷さを、私は知る。
ノックもなく、扉が勢いよくひらく。
濃厚な香り。旨そうな香り。嗅いだことのある香り。
既視感と違和感と吐き気。
「起きたか。飯だ」
私は顔色を変えないようにするのが、精一杯だった。脂汗が滲む。
けだるそうな顔をした勇者が差し出してきた、旨そうな湯気のたつ器。
差し出された食器を、私はほとんど反射的に、叩き落としていた。
スープが床に広がっていく。
粉々になってしまった食器。
勇者が驚愕の顔になっていた。
私は呼吸を忘れるように喉をキュっとさせながらも、勇者の顔色を観察する。
そして。
その顔に「怒り」は浮かんでいなかった。
焦り。動揺。驚愕。
そもそも勇者は、部下扱いしているパーティーメンバーへ食事を持ってくるような殊勝な奴ではない。
自分の部屋まで持ってこさせることにためらないはないタイプだが、逆は絶対にない。
あるということは、意図があると考えるべきだ。
そして私のよく知っている勇者野郎ならば。
万が一の気の迷いの、気まぐれだったとしても。
好意を台無しにされたなら。
間違いなく反射的に怒鳴ってくる。
激怒だ。
声を荒げ、罵る。俺様の好意をなにすんだっ、と。壁や床に当たり散らすぐらいの残念人間な言動を繰り返すはずだ。
それが私の知る、勇者の持つキャラクター性だ。
なのに、こいつの顔から依然見てとれる感情は。
粉々になった食器やスープを見下ろしたまま。
焦り、驚愕、動揺。汗。おどろおどろしい眼球の動き。
それらからみてとれる感情、気持ち。
露呈。
バレてしまったのか、どうしてだ?
そんな情報を、勇者の表情は語っていた。
少なくとも好意で持ってきた食事を台無しにされた人物が浮かべてよいそれではなかった。
そしてようやく出てきた声は、絞り出すようなか細い声音で。
「なんで、どうして」
だった。
残念だ。
勇者の声音でより確信が深まった。
私はあらゆる確信をもって首を振る。
「遅効性の毒入りスープなんて、飲みたくない」
「なにを」
隠そうとしているようだが、か弱い声はすでに震えていた。指先の震えも確認できる。
私は以前スープまみれの床を指さす。
「じゃあそれ、舐めてよ。犬みたいに」
「ふ、ふざけるなよ」
分かっている。こんな挑発的な言いようをしてしまっては、勇者を怒らせるだけ。
動揺している勇者に、怒りという感情を覚えさせるだけ。
逆に冷静さを与えてしまうことになるだけ。
なのに。
「どしたのさ。あ、スープ零したんだ」
ミャーさんだった。
毒入りスープの毒部分の精製をした人物のはずだ。もしかしたらスープを作ったのも、かもしれない。
チラっと勇者に目くばせ。
勇者は可哀そうなぐらい動揺を隠せていない。額の汗から、「えと」「あの」「ちょっと落としちゃって」などなど。
なぜか自らやらかしたことにしている。まったく頭が回っていないようだ。
そしてそんな勇者を、ミャーさんは冷徹な瞳で評価している。私がベッドの上に座ったままであること、割れた食器の位置関係。瞳を目くばせして、状況を把握している。
直接食器を叩きとおした現場を見られたわけではないはず。
でもすぐに露呈してしまう気がした。
毒入りスープを飲ませようとしたことがバレている、と。
そのあとは、いつのも陽気なミャーさんに戻り、食器の片付けのために宿屋の店主を呼んでくれて、一緒に片付けもした。
少しだけ安堵してしまった。
記憶にある通り、最終装備更新とアイテム補充のためにダンジョン探索予定だったが、中止となった。
私の殺害が目的であるなら、毒入りスープを飲ませることができなかった時点で、この計画はご破綻ということだ。
私は少し安堵していた。
どういう原理が働いたのかはわからない。
でも頭をかち割られて、殺された日の当日に戻っているのだ。魔法や魔術の範疇を逸脱したレベルの現象だ。奇跡と呼ぶべき状態。おそらく神々の権能とされる、極秘スキルが発動した、のではないだろうか。私にもともとそういうスキルがあったのか、あのダンジョンの場がそういう作用があったのか。
わからない。
でもしばらくは大丈夫。
過去に戻ったことも、どうして勇者らが私を殺そうとしているのか、もこれからゆっくり探りをいれよう。
そんな風に考え、私は早々に眠りについた。
そして。
私は、私の甘さに、吐き気を覚えた。
部屋に、宿屋に火が放たれていた。気付いた瞬間、一瞬で部屋が火の海になっていた。部屋全体に発火性のなにかが撒かれている。
窓から飛び出ようとしたが、窓から顔を出した瞬間、爆裂魔法が飛んできた。
一瞬見えた限りだが、黒魔術師のタナカだった。そしてタナカに指示を飛ばしているのは腕を組んだミャーさんだった。駄目勇者は背後で両膝を抱きかかえて座り込んでいた気がする。壁役のウォークライさんもいた気がする。
炎が踊り狂う部屋で、私は、爆裂魔法に吹っ飛ばされたまま、あおむけに倒れた。
「そんなにしてまで。私を殺したいの?」
私は逃げようと思えば、逃げられたかもしれない。床にでも穴をあけて脱出できたかもしれない。
でも私はもう動く気持ちがなくなっていた。
どうしてかわからない。
でも2年も一緒に旅した仲間が。どうあっても、どうやっても。多少、世間に異常が知られる可能性があっても。
私を殺そうとしてくるのだ。
もうなんだか。そう考えると。
一気に疲れちゃったよ。
そして。私は。
喉を焼かれ。
火に焼かれ。
死んでいった。
そして。
また暗転。
そして。
世界の残酷さと残虐さを。
私は。
見知った天井と寝慣れたベッドの上に寝そべっていることで、理解した。
勇者が当たり前のように、毒入りスープを持って、ノックもせずに部屋へ入ってきた。
「起きたか。飯だ」