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9.前世の記憶

アレクシスが視察に出掛けて2週間、マリアンネはイレーネとハンナに毎日磨き上げられた。食事も3食しっかり用意されたため肉付きも良くなってきた。本人は気づいていないが、日に日に美しくなっていく姿に使用人らは幸甚の至りであった。手を掛けたら掛けただけ成果が表れているのである。


一方、使用人らと一通りの交流を持ったマリアンネは暇をもて余していた。


「ねぇ、モーリッツ?貴族の令嬢は普段何をなさっているのかしら?」


「普段ですか?」


「ええ。アレクシス様は令嬢が嗜むことをしていたら良いのではっておっしゃっていたけど、私は働いてばかりだったから何も知らないし思いつかなくて…」


「そうですね、趣味といった類いですと、お花を愛でたりお茶を嗜んだり読書をされたり刺繍をされることが多いでしょうか?」


「趣味ねぇ」


マリアンネは余暇など無かったため、家事以外のことをしたことなどない。


(花を愛でるって庭の手入れとは違うのかしら?お茶を嗜むなんて、茶葉もお菓子も来客用で普段は口にしなかったものね。執務以外に文字を読むなんて疲れちゃうし、本なんて読んだことなかったわ。衣装を繕って使い回してたから、これでもかって程針仕事はしたけど。裁縫はしても刺繍はしてないかな)


うーん、と私室の中を見渡し何か役に立つことはないかと考えた。


(何かするなら、無駄なことはしたくないのよね。少しでも役に立つことをしたい)


(!!!)



そこでマリアンネは閃いた。


この2週間、マリアンネはふかふかの柔らかいベッドで深い眠りにつけたためかたくさんの夢を見た。それは、忙しい日々を送っている間にすっかり忘れ去られていた前世の記憶であった。


(前世の記憶の中から、今の世界で役に立つものはあるかしら?前世の人生も足せば、私は50年歩んでいることになるわ。経験でいったらなかなかのものよ)


マリアンネは前世の記憶を掘り起こしてみることにしたのだ。


それは、1人の日本人女性のものであった。30歳まで生きた彼女は、一般的な家庭に生まれた。最後は働きすぎた疲労から入浴しながら寝てしまい溺死した。


(私、どれだけ働くのよ…)



はあ、とため息をついているマリアンネにモーリッツは進言した。



「何もなさらない日があってもよろしいのですよ。ゆっくり心穏やかにお過ごしいただければ何よりでございますので」


「そう言ってもらえるのはありがたいのだけれど、何かしてないと落ち着かなくて…」


(落ち着かない…、落ち着く…、好きなもの……)


あ!と何か閃いた様子のマリアンネにモーリッツは声をかけた。


「何かご所望がございましたら、何なりとお申し付けくださいませ」


今まで何も望まなかったマリアンネは、少し考えた後いくつかお願いをした。


「それでは、裁縫道具と綿は手に入りますか?裁縫道具は借りることができればそれで構わないわ」


「裁縫道具と綿ですか?何かお作りになるのですか?」


「ええ。やってみたいことがあるの」


「かしこまりました。裁縫道具も新しいものを奥様にご用意いたしますよ」




用意してもらった道具を使い、マリアンネは母のドレスを切り始めた。


(この衣装を着ることはもうないでしょう。母の形見ではあるけれどかさばるわ。人形に着せるくらいの大きさにリメイクしてみよう)


母のドレスをそっくりそのままのデザインでミニチュアを作り上げた。


(できたわ。良くできてる。記憶に残すだけというのも良いけれど、これならいつでも見て想いを馳せることも出来るわ)


そして、残りの生地と貰った綿で、テディベアを作っていった。


(このドレスの生地は上質だとおっしゃっていたわ。その生地で作ったぬいぐるみならアンティークとしても価値はありそうね)


前世ではくまのぬいぐるみが大好きだった。たくさんのテディベアを集めたり、自分でも作ったりしていたのだ。今の世界で生活するためにしていた裁縫は、前世では趣味であった。


(ありがたいことにたくさんのドレスを用意してもらえた。私が持参したものは元々私が着れるものでもなかったし、この生地で作れるだけ作ろう。リメイクね)


完成品をはじめは目につかない所に隠していたのだが、数が増えてくるとチェストの上に並べてみた。


(並ぶとかわいいわね。なかなか良くできたわ)


この数日、マリアンネが何かをコツコツ作っているのが気になっていたイレーネとハンナは、チェストの上に並んだテディベアを見て感嘆した。


「こちらは、奥様がお作りになられたのですか!?なんとかわいいのでしょう!こちらに使われている生地はもしかしてドレスのものですか?」


「ええ。もう着なくなったドレスを使って作ったの。捨てるだけではもったいないでしょ?それに思い入れのあるものは捨てるのも難しい。かといって、手元にあっても使うわけではないのならば形を変えてしまおうかと」


「これは、こちらにいらした日に着ていらっしゃったドレスですね。切ってしまって良かったのですか?」


「ええ。こちらも見て?あのドレスを小さくしたものを作ったのよ。これならば思い出も褪せないと思うのよ」


「まあ!こちらも素敵です!あのドレスとまったく同じデザインですもの!私も今までの衣装をこのような形にしてみたいです。愛着があるものはほんとうに捨てられなくて困っていましたので」


イレーネとハンナは触ってもいいかと確認をとると、テディベアとミニチュアドレスを隅々まで観察していた。


(需要はあるのかしら?そういえば人形らしいものはあるけど、ぬいぐるみって見たことないわね。そもそも前世の記憶の方が発展してる世界なんだけど、どういうことなのだろう)


「それにしても可愛らしいですね。こちらは何ですか?」


「テディ…、うーん、『くまさん』よ。動物のクマを愛らしく模したものなの。他の動物でも出来るかしらね」


(『テディベア』はきっとここで私が使って良い言葉じゃないわね)


するとイレーネが少し考えて提案した。


「愛らしいと言えば、野ウサギも良いかもしれませんね」


ハンナも負けじと提案する。


「この辺りではキツネも見られるじゃないですか。尻尾のふわふわがとてもいいと思うのですが」


「でもハンナ、ふわふわにするには毛皮が高くて買えないわよ」


イレーネとハンナは2人で盛り上がっていた。この辺りは狩猟が盛んだ。身近な動物がマリアンネの想像していたものと違った。


「ふわふわにはできないけれど、『うさぎさん』と『きつねさん』も作れるかしらね」


(少し小さいものにすれば、まだまだたくさん作れそうだわ。それに、キーホルダーのようにするのも悪くない)


2人に目を配ると、ニコニコしながら『くまさん』を見つめている。


(癒しの効果がありそうね)


マリアンネは2人に小さいものを作り、持たせてあげることにした。


翌日には2体の小さい『くまさん』が完成し、2人に渡すと大喜びだった。


「私たちに作ってくださったのですか!?いただいてもよろしいのですか?」


「ええ。かわいがってあげてね」


紐をつけてあげたため、2人は仕事の邪魔にならない位置に身に付けた。


『くまさん』は瞬く間に使用人に知れ渡り、自分も欲しいという者が続出した。私の手作りでよろしければとマリアンネは欲しいと言ってくれた使用人らにも作ってあげた。


侯爵邸の使用人らが優しい笑顔を浮かべて働く姿にモーリッツは驚いた。もともと皆真面目に穏やかに働いていたが、屋敷の雰囲気がとても明るくなったのだ。


マリアンネの元にモーリッツがやってきた。


「奥様、使用人らにお作りになられた物をお渡ししているようですね」


「ええ。勝手にごめんなさい。余計なことをしてしまったかしら」


良くなかったかな?とマリアンネは恐縮した。


「とんでもごさいません!皆楽しそうに職務に励んでおります。こんなに屋敷の雰囲気が明るくなるなんて、奥様のおかげでございますよ。あの、私にも1つ作っていただくことは可能でしょうか?」


「ええ。構いませんよ」


するとモーリッツはチェストの上に並んだ『くまさん』を眺めた。


「あのドレスをこのような形に変えたのですね」


辛い思い出を乗り越えて前向きに生きている様子のマリアンネに安心した。


「綿は足りますでしょうか?ご用意いたしましょうか?」


「お願いしてもよろしいかしら?」


こうして、1つの趣味であった裁縫は小さいながらも侯爵邸内に幸せをもたらした。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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