2.アレクシス・ローゼンハイム
「旦那様、いいかげん、そろそろ奥様をお迎えになられてはいかがでしょうか?」
執事のモーリッツは、ローゼンハイム侯爵であるアレクシスに物申した。
「わかってはいるが、私のところに嫁ぎたいと思う令嬢がどこにいるというのだ」
「世界中お探しになれば必ずいらっしゃいます!」
「いたらこんなに拗らせてないよ。とりあえずいいだろ、この話は」
「そんな訳にはいきません!旦那様はもう30歳でございます!後継者がおりません!跡継ぎを真剣にお考えくださいませ!」
このモーリッツは、先代の頃から務めている大ベテランだ。この侯爵邸でアレクシスに物言いできる貴重な存在である。
「跡継ぎか」
「割り切って、跡継ぎを産んでくださるだけで良い方をお選びになったらよろしいのですよ」
「そんな非道だ」
「いえ、政略結婚ですよ。問題はございません。旦那様はお優しすぎるのでございます。もう少し権力に物を言わせてもよろしいのでは?」
「…」
まだアレクシスは納得のいかない様子であった。
「跡継ぎだけ産んでくだされば自由にして良いですとか、離縁するなどといった取決めをされたらよろしいのです。一種の契約でございますよ。愛だなんだおっしゃるようでしたら、そういうものはあとからついてくることもございます」
アレクシスは一度結婚したが、訳あって離縁した過去がある。それもかれこれ10年ほど前のことだ。侯爵家としては、当主が結婚せず、跡継ぎがいないことは大問題だった。特に30歳を迎えてからは、モーリッツの催促が加速している。
「わかったよ、考えるよ」
その返事にモーリッツは満面の笑みで答えた。
「良かったです。それでは早速ですが、こちらにフォルスター伯爵をお呼びします。旦那様に良さそうな縁談があるとおっしゃっていましたので、一度お話をお聞きになりませんか?」
「もう、手配してあるのか」
「いつ気が変わるかもわかりませんから、その気がございますうちに、進めて参りましょう」
モーリッツは抜かりなかった。アレクシスは、跡継ぎに関しては後回しにできない問題であるしそろそろ真剣に考えなければならないなと、今回ばかりは前向きに検討することにした。
数日後、フォルスター伯爵がローゼンハイム邸にやってきた。
「私に良さそうな縁談があると聞いたが、どういった話なのだ?」
「はい。実は以前から、モーリッツ様から侯爵様のご結婚相手をお探しになっていると伺ってまして。私は比較的社交も多く、顔も広かったものですから、私に相談してくださっていたのです。侯爵様は元々ご結婚に関して後ろ向きでいらっしゃることもお伺いしております。そこで、一種の契約のような形での縁談はいかがでしょうか?」
「契約?政略結婚ということか?」
「政略といえば政略ですが、正直に申しますと、彼女を助けていただきたい意味合いが強いのです」
「助ける?」
「はい。政略といえば、お互い利点があるものがよろしいかと思うのですが、この場合は少し異なるのかと思いまして。私からのお願いが強い形になってしまうものですから」
とても申し訳なさそうにしているランドルフに、アレクシスは詳細を促した。
「私には20歳になる姪がおります。名はマリアンネ、現ハインツェル伯爵の姉でございます。ハインツェル伯爵家は弟の婿入り先だったのですが、先代が亡くなり、弟が出ていき、マリアンネの母も数年前に亡くなっております。それ以降、マリアンネが幼い伯爵の代わりに経営していたんですが、なかなか厳しい状態が続いておりまして。私が支援を開始できたのはマリアンネの母の死から半年ほど経った頃ですから、辛い日々を送らせてしまいました。現伯爵である甥のユリウスは、もうすぐデビュタントを迎えます。私には息子がおりませんので、ユリウスをフォルスター家の跡継ぎにと考えております。そしてマリアンネのこれからの人生は、彼女自身の為に生きて欲しいと考えているのです。二人とも養子として迎えるには正直なところ、フォルスター家には余裕がございません。そこで、マリアンネに縁談を用意したいのです。侯爵様もお相手をお探しであると伺ってましたので、いかがかというお話なのです」
「つまり、貧乏伯爵家で暮らしている姪を嫁にという話なのだな?」
「はい。フォルスター家やハインツェル家への支援は望んでおりません。ただ単に、マリアンネの生活を守ってあげて欲しいだけなのです。マリアンネの幸せだけを願ったものです」
アレクシスは話を聞いて、しばらくの間考えた。
「話としては悪いものではないな。こちらが不利になることはなさそうだ。ただ、私が社交界で『呪われた侯爵』と呼ばれているのを知っての上でか?」
アレクシスの結婚が進まない理由は、社交界での噂が原因であった。これは前妻であるエルヴィーラが広めたものだったが、この事がアレクシスの女性に対する不信と結婚に対する躊躇いとなっている。
「私は侯爵様の社交界での噂も存じております。それが故、なかなか年頃の女性でローゼンハイム侯爵様との縁談を望むものを探すのが難しいところでございました。しかしマリアンネは、この噂を全く知りません。マリアンネはデビュタントは出来たものの、それ以降社交の場には一切出かけておりません。そのため侯爵様への先入観など持っていないのです。侯爵様にとっても悪いお話ではないと考えております」
「マリアンネ嬢が私のことを知らないのはわかった。伯爵はどうお考えだ?私のことは怖くはないのか?」
「モーリッツ様やここで働いている皆さんの様子を見る限りでは、噂は噂でしかないと考えております」
「わかった。ただし、この縁談を進めるには一つだけ条件がある」
「はい」
「マリアンネ嬢に縁談について話を通して欲しい。もちろん、相手が私であることもきちんとな。彼女が望んでもいない結婚をするつもりはない。彼女の了承を得た上で話を進める。それで良いだろうか?」
「はい!侯爵様、ありがとうございます!早速マリアンネに確認を取りたいと思います」
そして、ランドルフ·フォルスター伯爵は帰っていった。
「まさか、こんなにすんなりと旦那様が縁談をお受けになるとは思いませんでした」
モーリッツは驚きと喜びもありつつ、安堵からか脱力した。
「いや、私も正直なところ自分の決断に驚いている」
「へ?」
モーリッツは脱力しているところへの、アレクシスの答えに、変な声を出してしまった。
「彼女がどんな人物か聞いただけではわからないが、慈善事業の一環と思えば女性一人養うくらい何てことない」
「は?」
またモーリッツは変な声を出してしまった。
「いえいえ、旦那様?縁談ですよ?ご結婚ですよ?奥様になっていただくのですよ?」
「ああ。そうだよ。愛は後からでもついてくるのだろう?とにかく今日の話を聞いて、彼女を保護してあげなければと思ったんだよ。今まで一生懸命やってきたんだろう?変な所に行かされたらかわいそうじゃないか」
どういうことだ?とモーリッツは首をかしげた。
「フォルスター伯爵はマリアンネ嬢の扱いに困っている。養子に迎えられないしハインツェルに残しておくわけにもいかない。縁談を設けることで誠意を見せようということだろう。私との縁談が流れたらどうなる?後先短い貴族の後妻となるか癖のある女好きにしか身請けなど出来ないのでは?」
「変なところとはそういうことですか」
「では、モーリッツは伯爵の話をどう思った?そもそも君が連れてきたんだぞ?」
「はい。私がお願いしたものでしたが、今日の話では何か裏があるような気がしてならなかったものですから」
「ああ。裏があるだろうね。でもフォルスター伯爵は善か悪かで言うと、善だと思う。ハインツェル姉弟に対してはね」
「いったい、どのあたりでそう思われたのですか?」
「フォルスター伯爵は、マリアンネ嬢の生活を守って欲しいと言っていた。彼にとって縁談は建前といってもいいかもしれないな。そもそも姉弟を養子に迎えることは出来ると思うぞ。でもマリアンネ嬢にとっては幸せになれるものではないと判断したのだろう」
「そうなのですか?」
「ああ。ではなぜこのタイミングでハインツェル伯爵を養子にするのだ?母親が亡くなったタイミングではダメだったということだろう。今漸く迎える準備が整ったのではないか?」
なんだか難しい話にモーリッツは頭がついていかなかった。
「そもそもモーリッツが私の縁談をお願いしたくらいだ。彼はとても人柄の良い人物なのではないか?」
「はい。フォルスター伯爵のことはそのように思っております」
「では、今回の話に乗らせてもらおう。ただ、次に会う時にはきちんと話を聞くとしようか」
後日、マリアンネの了承を得たとフォルスター伯爵から知らせが届いた。
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