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16.バッハマン登場

あれから2週間ほどたったある日、とある人物が訪ねてきた。


「やあ、久しいなアレクシス。元気にやっとるかな?」


「これは叔父上。突然どうしたのですか?」


ずいぶんと身なりも身体も裕福な男とアレクシスは応接室で向かい合っていた。


「いや、お前も30を迎えただろう?変わりがないか確認しにきた。ローゼンハイムが心配でな」


「ご心配いただかなくても結構ですよ。貴方に迷惑をかけることは致しませんので」


(姉上が言ってたのはこれか?)


叔父であるバッハマン伯爵に動きがありそうだと警戒するようコルネリアに言われていただけに、アレクシスは当たり障りなく対応した。


「ん?」


すると手を組むアレクシスの指に光る物が目に入ったバッハマンは驚きの声をあげた。


「アレクシス!その指輪は何だ!?婚約?いや、結婚したのか!?」


「はい。ご報告差し上げず申し訳ございません。出来る限り公にはしたくなかったものですから。つい2週間ほど前に挙式いたしました」


「なんと!?どこの令嬢だ?今はどちらに?」


バッハマン訪問の先触れを受けとると、マリアンネには侍女と街へ出掛けるよう指示した。面倒なことに巻き込みたくなかったからだ。今頃は手芸店を訪れているであろう。


「妻は街へ出掛けています。前から観劇を楽しみにしていましたので」


観劇をするには予め鑑賞券が必要な為、予定変更が難しかったことを示唆した。


「そうか。で、どちらの令嬢だ?」


貴族だから仕方がない、避けられぬ質問内容である。


「伯爵令嬢です。結婚の条件として生家とは縁を切ることとしましたのでこれ以上の説明は叔父上とはいえ出来ませんので了承願います」


「ははっ!複雑なのか。呪われた侯爵に嫁ぐんだ、致し方無いか」


訳ありと知ると、何やら考え込んでいる。


(これだから嫌なんだ。定期的に私の様子を伺って。心配なら縁談の1つでも寄越せば良いのにそれすらしない。この侯爵の後継を狙っているのは見え見えなんだよ)


「せっかくだ。結婚を祝おうじゃないか。実は手土産に新しい酒を持ってきた。私を晩餐に招待してくれんか?」


はあと大きく息を吐くと、アレクシスはモーリッツに目配せし承諾した。


「お気持ちありがたく頂戴します。ですがこちらも新婚なので察して頂けるとありがたいのですが…」


「ああ。悪い悪い。急だったしな、長居はしないよ。きちんと夫人にもご挨拶したいだけだ。そうだコルネリア様はお変わりないか?」


甥であるアレクシスのことは爵位が上であるが特に敬うことをしないが、さすがに王家に嫁いだコルネリアに対しては不敬ではいられないようであった。


「ええ。お元気ですよ。叔父上はお会いになってないのですか?」


「いやぁ、さすがに簡単にお近づきにはなれなくてな。はっはっは」


コルネリアはいつもアレクシスを見守っていてくれる。バッハマンの動きは常に警戒していてくれているのだろう。2人は会っていた訳ではなさそうだった。


◇◇◇


「お帰りなさいませ、奥様。実はまだバッハマン伯爵は滞在中でして、晩餐もご一緒されてからお帰りになるそうです」


モーリッツはマリアンネを出迎えると口早に伝えた。


「まあ、そうなの?私が何かすることはある?」


「奥様の本日のお出かけの主たる目的は観劇です。あとは口裏をお合わせ願えればと旦那様より言付かっております」


「わかりました。私は『この愛の行方』を観てきたことにしましょう」


「ありがとうございます」


モーリッツはやはり聡い方だなと改めて思った。ちなみに『この愛の行方』は邸の書庫にあった小説で、現在この作品を原作とした劇が公演されている。たまたまマリアンネがアレクシスから小説を借りるまでの間に手にした小説であった。


「劇場の前を通って正解だったわね、イレーネ」


「はい。それに現在原作をお読みになってましたからね。今度旦那様と観に行かれてはいかがですか?」


「それは素敵ね。今度誘ってみるわ」


とても楽しげな会話にモーリッツは目を細めた。


◇◇◇


「なんと!なんと愛らしいのだ、夫人は!!」


曰く付きの結婚であると考えているバッハマンはマリアンネを紹介されると大層驚いた。


「ありがとうございます、伯爵。ご挨拶遅れて失礼いたしました。急なことでしたので」


「呪われた侯爵に嫁ぐなんてどんな女性かと思いましたがな。いやはや、こんなに愛らしいご令嬢がいらっしゃったとは存じませんでしたぞ。社交でお見かけしませんでしたな。コルネリア様といいアレクシスといい、美しい伴侶を迎え、これまた美しい子が期待できますな。なんといってもローゼンハイムの血筋もまた美しいですからな、はっはっは」


この巨漢の叔父から美しい血筋という言葉はそぐわないが、痩せていたら美しいだろうことは想像に難くないため、二人とも否定はしなかった。


「叔父上がお持ちになったこのお酒は見たことがありませんね」


ふと注がれたグラスに目を向けると、マリアンネは驚いた。


「これは!ビール?」


「おや?夫人はご存知でしたか?大麦を使った酒でしてワインとは違って苦味を伴うのですよ。その代わりのど越しが面白くて癖になるのです。我が領地の醸造場で作っておりましてな、今は広めている真っ最中です。今回も味見してもらって実は投資して頂くのはいかがかと思っていたところでした」


バッハマンはマリアンネに丁寧に説明をした。

今回の目的は投資が本命だったかとアレクシスは腑に落ちた。


「この酒の存在を知ってこれだと思ってな。蔵や材料によって風味も色も変わるもんだからな、地ビールを作ってみたのだよ。どうだいアレクシス?」


「これはずいぶんと喉にきますね。ただ癖になるというのはわかる気がします。しかし味の好みは分かれそうですね。叔父上が出資するのではなくご自身で事業を始めたのですね」


「そこは悩むところだった。出資も考えたのだが詳しく聞いたら我が領地も改革出来ると考えてな。荒れた不毛な土地があったのだよ。そこを大麦畑に変えた。出資ではなく技術の伝承を依頼したのだ。先方は快く受けてくれたよ。もちろん対価を払っているから先方にとっては資金調達と同じだったというわけか。今はそちらも軌道に乗っているようでな、お互いワインに代わる酒として広めているところだ」


ただの守銭奴だと思っていたアレクシスは、叔父なりにアレコレを模索した結果だったのかと考察した。しかしその手段が時に強引なこともあることは忘れてはいけない。


マリアンネは異なることに考えを巡らせていた。


(今日のダニエルは頑張ったわね。普段目にしない料理が多いわ。バッハマン伯爵は相当の酒豪ね。おつまみ系のお料理が多いわ。クラッカーにキャビアやフォアグラが乗ってる。あまり贅沢をしないアレクシス様からは想像できない食材だけれど急遽揃えたものかしら?カプレーゼが乗っている物や白身魚のマリネが乗っている物もあるがこちらには手をつけていないわね。そしてステーキがサーロインね。普段は赤身のローストビーフにしてくれるから脂っこい料理は久しぶりだわ。この脂身が多いのもバッハマン伯爵の好みかしら?それにしても飲み過ぎよ。手土産という名の試飲品の半分は伯爵が飲んじゃったじゃない。それに飽きたらず邸のワインも嗜んじゃってる。ステーキのソースもしっかりパンに染み込ませて食べてるし、ちゃっかり野菜避けてる。それじゃあの体型になるわよ)


やれやれとマリアンネはビールを口にした。


(くぅ~!あ、このビール結構美味しいやつね。伯爵、当たると良いわね)


「さて、アレクシス。私はそろそろ帰るとしよう。投資については返事を待つとしよう。せっかくだ、夫人と考えてくれたまえ」


満足するとバッハマンは帰路へつくため立ち上がった。すると、


「っだ~~~!!!」


バッハマンは叫びその場に踞った。


驚いたアレクシスとモーリッツは駆け寄った。


「いかがなさいましたか?」


「叔父上どうなさいました?足が痛むのですか?」


「すっ、すまん。時々こうなるんだが、い、痛い。ちょっ、ちょっと休ませてくれ」


まずは居間のソファにその巨漢を運び、モーリッツは宿泊出来るよう客室を整えるよう指示した。


ひーひー言っているバッハマンに、マリアンネは質問した。


「時々このようになるとおっしゃってましたが、お医者様にご相談はされましたか?」


「骨には、異常無さそうだと、い、痛み止めの薬草を、いつも煎じてもらっています。数日休めば、痛みはなくなりますので、そのように、対応しておりますぞっ!」


まさかとアレクシスはマリアンネに質問した。


「これも解決するのか?リア?」


「ええ。これは痛風です。いわゆる贅沢病ですよ」


「なんだね、それは?」


「痛風は足の指先が痛む病気です。風が吹くだけで痛むという事から痛風という病名なのです。体の中で尿酸値が高くなると発症するのですが、まあメカニズムはおいておいて、伯爵のお食事内容を拝見してましたら、まあそうなるでしょうねという感じでした」


「食事?」


「はい。せっかくいろいろ用意されていたのに伯爵が口になさったのはフォアグラにキャビアにサーロイン。どれも脂が多く、何よりプリン体が多いです。そしてビール。こちらはお酒の中でもプリン体を多く含みますので、食べ過ぎ飲み過ぎは高尿酸を招きます。そして太りすぎです。伯爵は痛風になる条件が揃いすぎていましたから」


「食べるのをやめたら治るのか?」


「一度発症した方はなりやすいですので、発作が起きないように気を付け続ける必要はあります。まずは内臓ものや魚卵は控えるもしくは避ける、お肉も脂質の少ない部位を選ばれたりすると良いですね。お酒はアルコール自体がプリン体を作る助けになってしまうので、控えていただきたいところです。まずは痛みが治まるまでは禁酒。改善がみられれば少量は嗜んでもよろしいかと。ビールは始めに1杯程度で。せっかくビールの醸造事業を始めたんですもの禁止はかわいそうですし、ものすごくおまけして、以降は赤ワインもしくはウイスキー辺りはいかがでしょうか?お酒の中でも負担が少ない種類です。それを1杯で終わりにするのがよろしいかと。それと…」


「ま、まだあるのか?」


アレクシスは一方的に指導を受けているバッハマンの様子がおかしくて、ニヤニヤと二人の様子を眺めていた。


「体の中で尿酸が高いことが原因ですから、尿酸を下げる食事を心がけることを特にお勧めします」


するとマリアンネは液体の入ったコップを差し出した。


「まずはお飲みください」


恐る恐るバッハマンが飲み干すと、


「ただの水です」


「は?普通の?これが関係あるのか?」


「お酒ではない水分、お水やお茶などをたっぷりと摂るように心がけてください。そうですね、ここにある水差し2本以上は1日に飲むようにしてください」


「そんなに?」


「お酒はそれくらい簡単に口にしていたじゃないですか」


「うむ」


「それと、ステーキに添えてあった人参も避けてらっしゃいましたね。野菜や果物をたくさん摂ってください」


「うむむ」


「でも、この2つは簡単だと思いますよ。食べて良いですよって言ってるんですから」


「「「なるほど~」」」


バッハマンとアレクシスとマリアンネの助言を書き留めていたモーリッツは納得の声をあげていた。


「お食事はとりあえずこの辺ですかね」


「とりあえず?」


「欲を言えば、薄味にしたり食べ過ぎに気をつけたりまだまだありますが…」


「と、とりあえずでいい…」


「では、あとは運動をして…」


「運動!?」


「ええ。痩せましょう」


「痩せる!?」


「はい。肥満の解消も改善する手段の1つですよ。運動も激しいものは負担が大きいですから、柔軟や軽めの散歩から始めてみると良いですよ」


(それにしてもここまで怠惰な体をした方、この世界で初めて見たかも。大体の男性は鍛えてらっしゃるものね)


「うむむ」


「ローゼンハイムの血筋は美しいのでしょう?伯爵様もお痩せになればとても素敵な紳士なのでしょうね。私拝見したいですわ。アレクシス様の大切な数少ないご親戚ですもの。ご自愛くださいませ、叔父様」


そう言うと、マリアンネはにっこりと微笑んだ。

さすがにそれにはバッハマンも骨抜きになり、「わかったよ」と返事した。


痛みもあるし夜も更けてきたことから、バッハマン伯爵には一晩泊まってもらうことにした。


◇◇◇


この日もホットミルクでひと息ついた。


「ありがとう、リア」


お礼を言われるようなことをしたかな?とマリアンネは首をかしげた。


「何がです?」


「叔父上を救ってくれて」


「まだ救えたかはわかりませんよ?助言はしましたが、バッハマン伯爵次第です」


「叔父上が素直に話を受け入れる姿は見物だったな。最後なぜあんなことを?」


「伯爵はローゼンハイム侯爵家にとって厄介者という印象でしたので、ある意味釘を刺しました」


「釘?」


「うふふ。大切に思っているから酷いことはしないでねというお願いです」


「?」


「守銭奴なんじゃないですか?伯爵は」


「なぜそう思った?」


「道路修繕のための視察を急ぐ理由をモーリッツからお聞きした時の話です。ご両親が亡くなった経緯をお聞きしました。その中でバッハマン伯爵が慰謝料を請求したとありまして、普通そこまでするかと、それも弟が。親であれば解らなくもないのですが。ただお金が欲しいだけだったのではと思ったものですから」


「守銭奴と酷いことはどう結び付くのだ?」


「お金や地位の為なら良からぬ事を考えると思いました。それをコルネリア様もレックスも警戒しているのではと。ローゼンハイム侯爵家に跡継ぎがいないことが有利に働く人物がお一人いらっしゃいます。バッハマン伯爵です。もしこのままレックスが亡くなるようなことがあれば継承権はバッハマン伯爵にありますから。今回もレックスの様子を確認したのではないですか?」


「その通りだな。私の指輪を見て物凄く驚いていたぞ」


「ですので、侯爵家は差し上げることは出来ませんので悪いことはしないでね、伯爵の味方ですし頼りにしてるからよろしくねという意味を含めた発言です。ローゼンハイムにとっても敵は少ないに越したことはありません。それが身内ならば尚更。コルネリア様やレックスからは牽制できないでしょ?」


「ハハハッ。牽制か。ずいぶんと可愛らしい牽制だったぞ」


「それに、領地を再生させる努力をされてます。このお話で印象が変わりました。ビールの投資の件はどうされますか?」


「うーん、興味深い話であったな。実は領地経営の他は投資で生計をたててるんだ。私自身が何か職を持ってはいないからな。あちこちの事業支援で利益を得ている」


「社交…苦手でらっしゃるのに?」


「それもあの異名の所為だからな。事業支援では当たりばかりで、界隈では私に出資を得た事業は間違いないと評判で、社交に出なくとも口コミで伝手は拡がっているんだ。ほんと、呪われてなんかないんだよ」


「ええ。ちっとも呪われた侯爵ではありませんね」


二人はクスッと笑うと軽くくちづけした。


「今日は疲れただろう。また改めて街へ出掛けた時の話を聞くとしようかな。ゆっくり休んでくれ、おやすみ、リア」


「はい。レックスも。おやすみなさい」



◇◇◇


「いやぁ、迷惑かけてすまなかったな。夫人、いろいろとありがとうございました」


「いえ、いい報告をお待ちしております」


「貴女のような人がアレクシスの元に来てくれたこと嬉しく思います」


バッハマンの目元が優しく下がっていることに、マリアンネは安堵した。


「叔父上、出資の件は真剣に検討させてください。今度醸造事業を視察にお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「アレクシス、ああ、是非とも!こちらこそお願いするよ」


固く握手を交わすと、バッハマンは帰っていった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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