11.アレクシスの帰還
コルネリアが来てから5日間。コルネリアはマリアンネに女主人の役割、侯爵夫人の役割についてだけでなく、必要な所作やマナーについても教えてくれた。
そして3食を一緒に摂るだけでなく、アフタヌーンティーも嗜んだ。
「コルネリア様、たくさんの事を教えてくださりありがとうございます。未熟過ぎてお恥ずかしい限りです」
「いえ、貴女の過ごした環境を考えたならば仕方のないことよ。貴女は変な癖がない分、飲み込みや成長が早いわね。とても教え甲斐があるわ」
◇◇◇
アレクシスは1ヶ月ぶりに本邸に戻ってきた。
「お疲れさまでした、旦那様」
「ああ、モーリッツもご苦労であった。…、マリアンネは今どこに?」
見送ってくれたが、出迎えにいないことを不審に思った。
「コルネリア様が5日前から滞在しておられます。奥様はコルネリア様とご一緒におりますよ」
「!姉上が来ているのか」
アレクシスが視察に向かうのと同じ日にコルネリアに手紙を出している。受け取ったコルネリアが驚いたであろうことや、自分を心配しての訪問であることは想像に難くない。
アレクシスはモーリッツに2人のいるサロンに案内してもらうと、そこには和気あいあいとお茶を楽しむ2人の姿があった。
入口で佇むアレクシスに気がついたマリアンネは、慌ててアレクシスに近寄った。
「アレクシス様、お出迎え出来ず申し訳ありません。おかえりなさいませ。ご無事で何よりです」
優しい笑みを浮かべ挨拶したマリアンネにアレクシスは固まった。
「?」
返事のないアレクシスの様子にマリアンネは首をかしげた。
マリアンネに見とれていたと気がついたアレクシスは慌てて会話を再開した。
「ああ、マリアンネ。私の留守中何事もなかったかな?」
「はい。屋敷内では大きな問題はございません。あの、コルネリア様がお見えになっておりますよ。今お茶をご一緒しておりました」
マリアンネは体ごと向きを変え、コルネリアがアレクシスの視界に入るよう配慮した。
「姉上。ご無沙汰しております」
「おかえりなさい、アレクシス。元気そうで良かったわ。貴方が留守にしてると思わなくてごめんなさいね。でも、マリアンネさんとたくさんお話が出来て私はとても有意義に過ごせたわ」
「結婚について事後報告になってしまって申し訳ございませんでした」
「大体の事情はモーリッツから聞いたわ。貴方らしい決断だったわね。それに、とても素晴らしい人を選んだとも思ったわ。私はマリアンネさんがとても気に入りました」
先程の2人の様子からもお互い心を開き仲の良さが窺えた。
他者の目から自分の結婚は間違いではなかったと評価され、アレクシスは嬉しかった。
「ありがとうございます、姉上」
「ところでアレクシス。結婚式は行わないの?貴方は2度目でも、マリアンネさんは初婚よ。神の前で誓うことでより結婚について実感できるものなのよ?」
「しかしもう手続きは済んでおりますし、披露する人も特におりませんが」
アレクシスは自分の結婚の事実を表だって広めるつもりはなかった。今以上の好奇の目に晒したくはなかったからだ。マリアンネはハインツェル伯爵家とは今後関わりを持たないようにする形で嫁がせた。よほどのことがない限りランドルフともユリウスとも直接的な交流をしないだろう。
「あら、二人きりでも良いではありませんか。それに私たち夫婦が立ち会っても良いわ。貴方たちのけじめのために行うの。それに私はマリアンネさんの花嫁姿を見たいわ。とても美しいと思うのよ。貴方もそう思わない?」
それは同感だ、是非とも見てみたいという欲望が勝った。
「式というのは意味を持つものなのですね。それでは姉上とラインハルト様立会の下、挙式をしたいと思います。マリアンネ良いですか?」
「…あ、はい」
急な展開にマリアンネはついていくのがやっとであった。
「そうと決まれば衣装を作りましょう。私が贔屓にしてるデザイナーがおりますの。依頼しても良いかしら?」
「姉上が花嫁衣装を依頼していたマダム·アンゼルマですか?」
「ええ。王家御用達でしたが、今は隠居されてるのよ。でも私は今でも時々お願いしているの。彼女もボケ防止になると快く引き受けてくれるのよ」
張り切るコルネリアにアレクシスは親孝行ならぬ姉孝行になるのかなと異論はなかった。
「私は構いません。マリアンネも良いかな?」
「はい」
「そうと決まれば、明日城下町に出掛けましょう。序でに散策しましょう。楽しみだわ」
端から見てもうきうきしているのが見て取れるコルネリアは可愛いという言葉が合う年齢ではないにもかかわらず可愛かった。アレクシスはそんなコルネリアの姿を見て穏やかに微笑んでおり、そんなアレクシスを見たマリアンネは自分の存在が回り回って彼をそんな顔にさせたと思うととても嬉しかった。
◇◇◇
執務室に入ったとたんアレクシスはしゃがみこんでしまった。
「ど、どうされましたか!?」
モーリッツは心配したが、返ってきた言葉に安堵した。
「なんと愛らしい…」
アレクシスは、はぁとため息を漏らしている。
「奥様のことでしょうか?」
「他に誰がいる。…あ、姉上か。姉上もずいぶん浮かれていたな」
アレクシスは先程のコルネリアの姿を思い浮かべてクスクス笑った。
「姉上はマリアンネの虜になっていたな。いや、もう本当に、この1ヶ月不在にしていたのが悔やまれる。なんて愛らしいのだマリアンネは」
「それでしたら、お会いしたときに奥様にお伝えなさったらよろしいのに。奥様はご自分のことに関しては鈍感でございますよ」
初日に着飾った姿を誉め忘れたことをすっかり忘れていた。
「…、また、今夜、ホットミルクを用意してくれ」
「かしこまりました」
「とはいえ、複雑な心境なのはなぜだ?何だか表立って愛を紡げない。ただでさえ歳の差があるのに、そういう趣味はないが…この背徳感は何だ!?」
「たしかに、奥様は大変愛らしくありますね」
モーリッツは感情を隠さずにいるアレクシスを微笑ましく見つめた。
◇◇◇
「この1ヶ月何をして過ごしていたんだい?」
「毎日、イレーネとハンナに磨いてもらいました。それと毎日したことは中庭のお散歩でしょうか?お花が綺麗で気に入りました」
「そうか」
二人はホットミルクを飲みながら、閑談した。
「モーリッツから聞いたのだが、使用人に一通り挨拶したんだって?」
「はい。皆さんの仕事振りに興味がありまして」
モーリッツからは身分も関係なく全員と会話を楽しんでいたと聞いていた。
「仕事振りに?何か気になる点があったのか?」
「悪い意味ではないですよ。いつも洗濯が終わったドレスがとても綺麗でしたので洗い場を見学させてもらいましたら、短時間で仕上げていたのに驚いて、洗剤の洗浄力が強いのかと思いましたが、皆さんの手荒れがそこまでではなかったのでさらに驚きました。ランドリーメイドとは洗剤の話で盛り上がりました」
「他には?」
「ええと、いつもベットメイキングが素晴らしくて、洗剤とは違うとてもいい香りがしましたので、カラクリを教えてもらいました。枕に手作りのサシェが隠されていたんです。チェンバーメイドとは芳香剤の話で盛り上がりました」
キラキラと目を輝かせながら報告するマリアンネに驚いた。普通の貴族令嬢とは違う視点で使用人と会話を楽しんでいたことがとても新鮮だった。
「他には?」
「お仕着せがとても可愛らしいのに動きやすそうなデザインで、パーラーメイドとは使用人内のお仕着せの評判についてお話ししました。皆さんからも好評なようで私も欲しいなと」
アレクシスはさすがにそれには突っ込んだ。
「欲しいって、君が着る場面はないから必要ないだろう」
「…」
欲しがった物がお仕着せなんて。でも自ら家事をしてきたからこその視点であり感想なのだろう。笑顔が消えうつむいてしまったマリアンネにアレクシスはある提案をした。
「我が邸のお仕着せを誉めてくれてありがとう。意見を取り入れつつ改良も重ねて今の形になっているんだ。もし良かったら、君の意見も反映させてみないかい?次回支給するお仕着せは君の考案したデザインで仕立てるのはどうだろう?毎年新しい物を支給してるんだ。洗い換え用に2組ずつ支給している」
「毎年支給しているのですね。だから皆さん美しく着こなしているんですね。支給品を欲しいなんて変なこと言ってすみませんでした。ぜひ改良のお手伝いをさせてください」
「うん、君だからできることかもしれないね。よろしく頼むよ」
「はい!」
マリアンネはとびきりの笑顔を見せた。
「…可愛い」
「え?」
思わず心の声が出てしまったことにアレクシスは恥ずかしさから右手で顔を覆った。
「あの、アレクシス様?」
「あー、マリアンネ?その…、君の笑顔は可愛すぎる、反則だ」
「え?え!?」
その言葉にマリアンネも顔に熱がこもるのを感じ、両手で顔を覆った。
素直に伝えたが恥ずかしさが増すだけだったアレクシスは話題を変えた。
「あ、そうだ、君に裁縫道具を用意したと聞いたが、何に使ったんだい?」
急に話題が変わったことに助けられ、マリアンネは顔から手を離し、チェストの上に並んだ『くまさん』を指差した。
「あちらに並んでいるぬいぐるみを作ったんです」
アレクシスは『くまさん』を見て、目を見開いた。
「あれは、君の母上の衣装ではないか?」
アレクシスは立ち上がりチェストの近くまで寄った。目を凝らすとあの衣装の生地で作られているのが良くわかる。
「はい。もうあの衣装は着ることはないでしょうし、思い出として保管するには大きすぎましたので、形を変えてみたのです」
「しかし、これではあのドレスではなくなってしまうが」
「ええ。ですので、こちらも見てください。同じデザインで小さくした物も作りました。あの母のドレスでしょう?」
「これは、素晴らしいな」
あのドレスをこのような形に。アレクシスもモーリッツ同様、もうあのドレスに対する悲しみを払拭して前を向いているマリアンネに安堵した。
「しかし、あのぬいぐるみというのは見たことないな。人形とは違って…、玩具とも違うのか?」
「…、目的はそれぞれで良いかと思うのですが、飾って愛でても良いですし、触って遊んでも良いかと」
「君が考えたのかい?」
「…、正確には私が考えたものではありません」
「そうなのか。原作があるということか。それにしても良くできている」
『くまさん』を見つめ穏やかに微笑むアレクシスにマリアンネは提案した。
「1つお持ちになりますか?」
「いや、これは君の大切な物なのでは?」
「皆さんにも小さい『くまさん』を作って差し上げたんです。アレクシス様にはこの母のドレスの生地で作った『くまさん』を持っていて欲しいと思いました。このドレスとの思い出を幸せなものに変えてくれたアレクシス様に」
「そうか、では、ありがたく貰っていくとしよう」
2人は見つめ合うと優しく微笑んだ。
「遅い時間になってしまったな。また続きは今度話をしよう。おやすみ、マリアンネ」
「はい、おやすみなさいませ、アレクシス様」
マリアンネは1ヶ月ぶりのアレクシスとの時間があっという間に過ぎてしまったことを残念に思ったが、また話そうという言葉がとても嬉しかった。この日も温かい気持ちで満たされ、眠りに就くことができた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




