◇9◇ 無事、採用されました!
「……さて。
どこまでお話しているのかしら?」
「ここの管理人をしている、俺の母の侍女を頼みたいとだけ。
ちなみにボスウェリア家は新聞を取っていないそうです」
「ああ、それで彼女に?」
ついつい目の前の美人二人に目を奪われ、見比べてしまっていた私に、貴婦人はクスクスと笑う。
「ガイアといいます。
ヘリオスふくめて4人の息子の母親よ。ヘリオスは上から2番目。
去年から、少し王都にいづらくなってしまったものだから、ここの管理人をさせてもらっているの。
あなたの話を聞かせてくれる?」
「は……はい」
私は姿勢を正し。
――――ここに来ることになった経緯とともに、ライオット伯爵とメイス侯爵夫人との間に起きた一連のことを、詳しく話して聞かせた。
「……あのまま邸にいれば、ライオット伯爵の愛人にさせられる可能性が高かったんじゃないかと。
本当は、たぶんそちらの方が、家のためにもなったのでしょうね。
貴族の家の娘なら、家のためにそうすべきだったのかもしれないです。
でも――――正直、伯爵が死ぬほど嫌で」
そう言うと、「正直なお嬢さんだわ」とガイア様はさらに笑った。
「それで、仕事を探してここに……ふふふ。私と同じね」
「同じ?」
「いえ、少し違うかしら――――私、20年ほど前、とある方の愛人として子を産んだの」
「え?」
ヘリオスが、え、それ言うんですか?みたいな顔をした。
私も少し戸惑いながら、ガイア様の次の言葉を待った。
「そのこともあって、昨年ぐらいから身辺が騒がしくなったのね。
邸の周りに新聞記者がいたり、そうね、ずっと私と疎遠にしていた方が近づいてきたり……」
「大変だったのですね……」
混乱してきた。ヘリオスのお母様が、元愛人?
領地の管理人をつとめるということは、やっぱりガイア様ご自身もそれなりのご身分のご出身のはずなのに。
頭の処理が追いつかない。
愛人とは悪いものだ、ふしだらなものだ、と私は両親から教わった。
だけど私には、目の前の女性が邪な人にはとても見えない。
「それで、しばらく王都から離れて静かに暮らそうとしていたら、ある方に、ここの管理人を任せていただけることになったのよ」
うなずきながら私は、ガイア様のことを考える。
私の身には、少し前までの自分には想像もできないことが起きた。
貴族の娘でも愛人にされることだってあると知った。
人にはそれぞれ、想像もつかないことが起きて、いろんな事情があるのかもしれない。
お父様お母様から教えられたことも間違いはたくさんあるとわかったし、私はこれから先、自分の頭で考えて、自分の目で見極めていかなければいけない。
「――――それにしても。相手が相手とはいえ、うちの次男はいつになったら言葉より先に手足が出るくせが治るのかしら?」
「!! ……母上、あれは緊急事態だったんですが!?」
「残念ねー、とりあえず長男が帰ってきたら家族会議だわ」
「兄上だけは本気で勘弁してくださいお願いします」
私、この人たちが好きだ。
ガイア様のそばで働いてみたい。
「――――精一杯努めます。どうか、ここで働かせてください!」
頭を下げると、ガイア様は、優しく微笑んでくださった。
「ええ、よろしくお願いするわ」
◇ ◇ ◇
それからガイア様には、使用人の皆さんを一人一人紹介していただき、ヘリオスにはお城の中も案内してもらった。
これまではレアーさんという女性がガイア様の侍女を務めていたのだけど、ただいま2人目のお子を授かって妊娠6か月だとか。
間もなくお休みに入られるので、お仕事を覚えて、私がガイア様の侍女を務めることになるのだ。
「――――え、っと……。
こんないいお部屋をいただいて良いのですか?」
「ま、この城だと、これ以上小さい部屋もないしな」
ヘリオスが案内してくれた私のお部屋に、私は目を丸くした。
大きな窓のついたその部屋は、王都のもともとの私の部屋の2倍ぐらいの広さはあった。
天蓋つきの大きなベッドに、磨き上げた美しいマホガニーの家具。
美しい装飾の鏡。
ベッドの上の羽布団は、触ったことがないぐらいふっかふかで、手触りも感動的だ。
夢中になって何往復も撫でていると、
「ありがとうな」
ヘリオスから声がかけられた。
「うちの母親が元愛人、って聞いても態度変えないでいてくれて」
「いえ……私こそ、私のことを受け止めてくださって、ありがたかったです。
でも、お話をうかがった感じだと、嫌な思いもしてこられたのでしょうね」
「まぁな。社交界からは地味にハブられるわ、たまに夜会だの茶会だのに出られたとしても、嫌な噂話の的になるわ。……正直、俺もいまでも出たくねぇ」
そっか。それで、私がヘリオスと社交界で会ったことがなかったのね。
それにしても、ヘリオスはご家族が大好きなんだわ。
◇ ◇ ◇
晩のお食事は、せっかくなので使用人のみなさんと一緒にいただいた。
温かいシチューに豊富なお野菜。カリっと焼いたパンに、とろけるバターをのせて食べる。
押し込められた部屋で一人食べる冷たい食事と比べれば、涙が出るほどおいしかった。
翌日。
私はレアーさんから、奥様の身の回りのお仕事を教えていただいた。
レアーさんは30歳ぐらいのきびきびした女性だ。
貴族の夫人の侍女と言えば、下級貴族の娘や地主階級の娘が担うことが多いけれど、レアーさんは裕福な商人の家のご出身だそう。
働く私の様子をまる1日見て、大丈夫そうだと思ったのだろう。
さらに翌朝、ヘリオスは馬車で王都に帰ることになった。
「――――がんばりな」
「はいっ。何から何まで、ありがとうございました!」
私は頭を深々と下げる。
もう人生終わりだと思っていた。
だけど、こんなふうに新しい世界が開けることもあるなんて。
すべてはヘリオスのおかげだ……。
「居場所は言わねぇけど、一応ボスウェリア家にはうちの父親の名で手紙出しておくから」
「あー…でも、ありがとうございます」
「じゃな。また来る」
今度は一人馬車を操りながら、王都へと戻っていくヘリオスの姿を、私はお城の跳ね橋の前で、見えなくなるまで見送っていた。
(侍女のお仕事、一生懸命がんばろう)私はぎゅっと、拳を握った。
◇ ◇ ◇