◇7◇ お仕事を紹介してもらうことになりました。
(しまった……お店の中の人に見られているわ)
私は顔を覆った。
カフェの中にいるお客さんたちが、ひそひそと話している気配がする。
身なりのよいお客さんだらけだ。
私のことを知っている人もいるのかもしれない。
……恥ずかしい。
「俺が聞いていた話と違ぇ。
正確にはどうだったんだ?」
「は、はい……」
ヘリオスが眉根を寄せている。
キリッとした強さが表情に加わった。
こんな時なのに、思わず見とれてしまうほど美しい。
――――私は、あの夜会のことを『できるだけ正確に』思い出しながらヘリオスに伝えた。
夫人がいなくなって数分の間のこと、というのだけは、時計を見たわけではないので私の感覚でしかないけれど、それ以外は自分のわかる限り、正確な事実を。
そして、ライオット伯爵が私を愛人として望んでいると聞かされたことも。
「……まず、急に二人きりにさせられた。
こちらは何も感情がないのに、一方的に思いを寄せられた。
しかもキスされそうになり、ひっぱたいて抵抗。
その時の大声を聞きつけて、皆が駆け寄ってきている……」
「そうなんです」
「ひでぇな」ヘリオスは顔をしかめる。
「それは貴女は悪くねぇだろ」
何気なくヘリオスが言った、そのセリフに、私はとても癒された。
嬉しい。私は悪くないと、そう言ってくれる人が、この世に一人でもいた。
「すまん。さっきのは、男が振られて未練たらしく追い回してるところだと早合点した。
そもそもあの野郎と貴女は、関係すらなかったんだな」
「ありがとうございます。
一人でもわかってくださるだけで、本当に救われます……。
でも父が言うには、少しの時間でも殿方と二人でいたという事実は変わらないし、社交界で私を『処女』だとみなす人はもういないと」
「んー……ん?」
「でも、ヘリオスと改めて話して思いました。
やっぱり、私、納得できないです…。
私がいくらもう『処女』というものじゃないとしても」
ゴブッ!!
と、いきなりヘリオスが珈琲を吹いた。
「ヘリオス?」
「……あ、いや、その。俺、なんか聞き逃した?
さっきまでの貴女の話のどこに、えっと……処女を失う要素があった?」
「え、ええ? ライオット伯爵に手を掴まれた時でしょうか?
すみません、『処女』を失うというのが、具体的に何をどうした時なのかがわからなくて」
「……こどもがどう生まれるかは教えてもらったか?」
「月のものが始まったときに、もう結婚してこどもを産めると、教えてもらいました。
こどもはコウノトリが連れてくると…………。
ヘリオス?
ど、どうしたんですか? 頭を抱えて?」
「…………いや、悪いのはライオットとメイス侯爵夫人だけかと思っていたら、ボスウェリア家の教育が……!!」
「え?」
「……その話はおいといて。
とりあえず、貴女の父親の言い方がクソなだけで、それは……その、『処女を失う』ってことじゃねぇ」
「ほ、ほんとですか!?」
「そもそも純潔かどうかなんて人間の価値に微塵も関係ねぇ。
いずれにしろ、悪いのは貴女じゃない。
……これが正確に王宮に伝わっていたら、兄貴がすぐに対処したはずなのに」
後半は独り言のように呟くヘリオス。
(兄貴、か。お兄様がいらっしゃるのね)
限嗣相続制のこの国では、貴族の爵位や領地や財産は、特例を除いて、すべて長男一人が相続する。
次男から下の男兄弟は貴族ではなくなり、自活の道を見つけなければならない。
だから貴族令嬢も、婚活では長男ばかりを狙って、次男以下の男兄弟は見向きもしないことが多い。
ヘリオスはそういう扱いを嫌って、社交界には出なかったのかも……?
(私も、両親の目が恐くて長男の方にばかり話しかけてたから、次男三男の方から見れば嫌な女だったわよね。
もしヘリオスが同じ夜会にいたら、私のこと、嫌いになってたかも……。
ああ、でもそれより)
「ヘリオスのお兄様は、偉い人なんですか?」
「え? あ、ああ。
まぁ、偉い…かな、うん」
何の気なしに聞いたら、一瞬びっくりした顔をされたうえで、変なリアクションをされる。何故。
「お兄様にご相談したら、何とか……ならないですよね、やっぱり」
私が問うと、ヘリオスは少し困った顔をした。
そうよね。私は罪に問われているわけではなくて、名誉が傷ついている状態。
そして、『夜会で殿方と2人きりでいるところを見られた』、その事実は消せないのだから。
偉い人に頼んでどうにかできる話ではないわよね…。
「……こういうとき相談できそうな相手が、兄貴ともう1人いんだけど、2人とも、仕事で国外に出たとこなんだわ」
「大丈夫です。変なことをうかがってすみません。
ま、私自身のことは仕方ないとして、ライオット伯爵にもう一発平手打ちしておきたかったですね。
さっきはチャンスだったのになぁ。あははは」
無理して笑って、くぴっ、とチョコレートの最後の一口を飲み干した。「覚悟決めて仕事探します」
「待て。
話を聞いた感じじゃ、仕事探しも苦労しそうだし」
ちょうどそこに運ばれてきた、とっても美味しそうなケーキがのったお皿を、ヘリオスは私の方にグイと押し出す。
「仕事、紹介してやるよ」
◇ ◇ ◇