◇6◇ 全身全霊で否定させてください!!
◇ ◇ ◇
ヘリオス、と名乗ったその男性は、街中にあるカフェサロンに私を連れて行ってくれた。
品が良い装飾の店の中、ゆったりと作られた席。ゆるやかに奏でられる甘く優しい音楽。
いま、私の目の前には、綺麗なカップに入ったホットチョコレートがある。
上流階級の女の子たちの間で最近大人気で、だけど自分は一度も飲んだことがなかったこの飲み物に、私はずっと憧れていた。
家の教育方針で、こういった楽しい場所には連れてきてはもらえなかったのだ。
もちろん、一人での外出も許されていなかった。
だから、いつもの私だったら、憧れの飲み物を目の前にして、ものすごく喜んだだろう。
そのカップの向こうに、外套を脱いで、すました顔で珈琲という黒い液体を飲んでいる、生ける芸術品さえいなければ。
(確かに、ヘリオスが外でフードを被っているのは正解かもしれないわ。
この顔面、向かい合ってるだけで視覚的に緊張する……。
……ところで、殿方と二人でカフェに入るというのは淑女として良いのかしら? ふしだらなことなのかしら? 二人きり、ではないけれど…)
「飲まないのか?」
「!! い、いただきます!!」
私は思考を振り切って、あわててカップを手に取った。
せっかくだ。こんな機会はもう来ないかもしれない。
ずっと憧れていた飲み物なのだから。いただかねば。
(向かいに座っている美形を意識しないで……。
いえ、彫像よ。ものすごい名人が作った国宝とかよ。
すごい芸術品の彫像を間近で見ながらチョコレートをいただいていると思えば、お得よ、きっと)
そういうくだらないことを考えながら、唇の中に、とろりとした液体を流し込む。
「……美味しい!」
一口で叫んだ。なんだこの飲み物は。
続けて口に含む。
ほろ苦みと甘みの絶妙な組み合わせ。
やっぱり美味しい。
減っていくのがすでに惜しい。
「……こんなに美味しい飲み物がこの世の中にあるんですね。
香りもいい……。
いま味覚と嗅覚がとんでもなく幸せです」
美味しすぎて、しゃべりが完全に素に戻っている。
美味しいと思って何かを食べたり飲んだりしたのって、どれぐらいぶりかしら。
少なくともあの夜会からは、ろくにものの味もわからなかった。
あっという間になくなってしまう。
昨日の晩から何も食べていなかったお腹が、抗議するようにきゅるると鳴る。恥ずかしさのあまりうなだれている間に、ヘリオスがホットチョコレートと軽食を追加注文した。
「で、貴女の名前は?」
「……って、遠慮も何もないですね!」
思わず言い返してしまった。
いや、見た目が美しすぎて私が勝手にドキドキしてしまうだけで、この人、中身はわりと普通そうだわ。
私もそんなに気負って会話しなくてもいいのかもしれない。
ただ、しゃべり方は荒いのに、私を『貴女』と呼ぶのは少し好印象だった。
「フランカです。
フランカ・ボスウェリア」
「やっぱりか。この間から、大変だったな」
「…………この間の夜会のこと、私の噂も、ヘリオスは聞いてるんですか?
私、社交界を追放されていて……」
さっきの様子から見ると、ヘリオスはライオット伯爵と知り合いらしかった。
ということはヘリオスも、やっぱり貴族なの?
顔を隠すためにあつらえたような変な外套を羽織っているけど、確かに身なりは良い。
だけど、彼のしゃべり方は全然貴族のものには聞こえない。ものすごくガラが悪すぎる。
(でも私、ヘリオスを社交界でお見かけしたことないわ。
こんな綺麗な人、一度見かけたら絶対忘れない………。
あとつぎの長男じゃないから出席しなかったとか……そういうのあるのかしら?)
伯爵がさっきのような態度を取るということは、それよりも格下の、子爵家か男爵家だろうか?
貴族の家の人間だったら、社交界で起きたことは瞬く間に知るのだろう。
ちょっと暗い気持ちになった私に、ヘリオスが言葉を続ける。
「まぁ人には誰しも間違いがあるのに、たった一度の失敗で締め出すのは、俺は好きじゃねぇけどな。
いくら貴族令嬢だって、人を好きにもなるだろうし、一時の気の迷いを起こすことも―――」
「…………」
私はすごく悪い予感がして、カップを置いた。
「ヘリオスは、どんな風に私のことを聞いているんですか?」
「え? メイス侯爵夫人の夜会で、ボスウェリア家の娘が、ライオット伯爵と抜けだして二人きりで会っていたところを、来客たちに見られた、と……」
「嘘!!!!! 嘘です!!!!! それ!!!!!」
「嘘??」
ここでもか!
メイス侯爵夫人、外部の人にもそういうふうに吹聴したんだ!
酷い!!
「わたし!!!!! あの人と!!!!! ふたりに!!!!! させられたんです!!!!!」
淑女が出してはいけないレベルの声をうっかり出してしまい、数秒後、すごい人目を集めていることに気が付いて私はうつむいた。