◇57◇ 結婚してください。
◇ ◇ ◇
ヘリオスがテイレシア様にご挨拶している間、私はカサンドラ様からの申し出を思い返していた。
さっきカサンドラ様が帰られたあと、テイレシア様からも補足があった。
『フランカさん、ヘリオス卿の学園時代の教科書を借りて勉強をしているって言ってたでしょう。
もし身につけたい学識やスキルがあるなら、フォルクス家なら大抵のことはカバーできると思うわ』と。
そうはいっても……べつに私は特段勉強そのものが好きでも、なりたいものがあるわけでもない。
ただ、自分がいま身につけているものじゃ不十分だという危機感からだった。
学ぶ楽しさ、みたいなものはあるし、ほかの貴族の子女が学校で勉強していることはどんななのかなと思った好奇心も少しある。
むしろ興味があったのは、学生時代のヘリオスが学園でどんな時間を過ごしたのか。
もし時間が巻き戻るのなら、15歳、16歳、17歳のヘリオスがいる教室を覗いてみたい。同じ時間を共有して、同じ空気を吸ってみたい。もちろん、無理な話だけど。
(――――いまの私、何を考えても何を思い出しても、結局ヘリオスにいきつくのね)
いまいる自分はほとんどヘリオスのおかげで、その彼のことを私は好き。自分とは何者か、の根幹にヘリオスがでーんと居座っている状態。
うーん。
抱き締められた腕の強さ、胸の温もりを思い出す。嫌いになろうとしても無理。諦められるのかしら。
(………………)
私は鏡に映る自分の顔を見て、両手で頬を思い切り叩いた。
じんわり熱を帯びて痛くなる頬、その痛みを感じながら、深呼吸する。
そんなんじゃ駄目だ。私。全部受け身になってる。全部、誰かにお膳立てされて生きさせてもらってる。
いまは確かになんにも持っていない。なんにもできない。おまけにマイナスの醜聞もち。
だけど、今のままでずっといたら、自分の両足で立った人間には、いつか誰かのために何かをしてあげられる人間には、なれない気がする。
――――私は。
気がついたら部屋を飛び出していた。お行儀が悪いのはわかっているけど、すぐにでもヘリオスと話したかった。
スカートの裾をもって駆け足していたら、廊下の向こうから、びっくりしたような顔のヘリオスが見えた。
「フランカ!? どうした!?」
「ごめんなさい、私」思わず咳き込む。運動不足。もっと体力つけよう。
「ヘリオスと、2人で話したくて」
「……2人で?」
戸惑った顔をするヘリオスの向こうから、ひょこ、とテイレシア様が顔を出した。
「どうしたの。ヘリオス卿が話があるそうだから来たのだけど」
「あ、あの! 私もヘリオスに話をしたくて、その、2人にさせてもらえませんか?」
ヘリオスとテイレシア様は一瞬顔を見合わせた。
(2人きりなんて、それは駄目だって思うわよね。でも、ヘリオスには、2人きりで伝えたい)
少し考えてテイレシア様が、「こちらにいらっしゃい」とお部屋に案内してくださった。
(サンルームのあるお部屋?)
夜なのに? それにこんな広くていいお部屋を? と思ったのだけど、テイレシア様の侍女の方が灯りをつけてくださって、部屋に入って意味がわかった。
夜のこの部屋は、星と月がとても綺麗に見えるのだ。
「お茶は必要?」
「あ、私は短い時間なので……」
「こちらも大丈夫です」
「フランカさんは、本当に2人きりで大丈夫なのね?」
「はい」
「それなら、ごゆっくり」
テイレシアと侍女の方が出ていくといよいよ2人きりになった。
サンルームに出て、2人で夜空を見上げる。星がとても美しくて、見とれてしまう。
隣には、ヘリオスの綺麗な横顔。天国ですか、ここは。
「私の話からでも、良いですか?」
「ああ。良いよ」
「かいつまんで言うと……これから、私がんばろうと思います、っていう話なんですけど。
私、フォルクス侯爵家から養女の誘いをいただきまして……」
ヘリオスに驚いた様子はない。が、少し緊張の色を濃くした気がする。
「……誘いを受けるか断るか、一度確認してからと思うんですけど……たとえばフォルクス侯爵家のほうですでに結婚相手を考えていないか、とか。
でもそうじゃなかったら、私、お受けしようと思うんです。
許される限り、できるだけ長くガイア様の侍女も続けたいんですけど……ヘリオスと少しでも近い景色を見たくて。……で、もし、その」
ここからが正念場。
折れずに伝えなさい、フランカ。
「高位貴族は、子爵家レベルとは必要なことも身につけないといけないことも変わってくると思います。
それこそ、ヘリオスだっていまのウェーバー侯爵のように重要なお仕事を任されるようになるんでしょう」
そして、と、言って少し言葉を切る。
「将来……ヘリオスの奥さんになる人にもきっと担うべきことがある。
いまヘリオスと結婚したがっている女性たちの中にも、もうそれを身につけている人もいるはずですけど……。
でも、いまヘリオスがその女性たちの誰かと結婚したいわけじゃないなら、私も、必要なことを身につけて、彼女たちと同じスタートラインに立ちたくて……
それでですね……ええと、少し時間はかかると思いますけど、ヘリオスが結婚する相手を選ぶまでに、もしも私が間に合ったら」
(そして、私にまとわりつく醜聞も、その頃には薄れていたら)
最後の肝心の言葉……『私がそれまでに、あなたの隣にふさわしい淑女になることができたら、私もあなたの妻の候補にいれてくれませんか?』
それを言う前に深く息を吸ったら、ヘリオスが不意に近づいてきた。
見上げたアイスブルーの瞳が真剣な光をたたえている。
ヘリオスが手を伸ばして、私の頬に触れる。彼に触れられている。その事実に鼓動が速くなる。
愛おしい手に、思わず自分の手を添えた。
ああ、好き。思いが届くなら、願いが叶うなら、この人の傍で生きていけたらどれだけ幸せだろう。
さらにヘリオスのもう片方の手が私の頭を包むように触れる。
「――――選ぶも何も、貴女しかいない」
「…………え」
「嫌なら言って」
……それは迷うように、慎重なスピードで。
だけど私は魔法にかかったように彼に魅入られて。
唇に、ヘリオスのそれが重なった。初めて知るその柔らかさが、心臓に刻み込まれていく。
脳が溶けそうで、身体の芯に力が入らなくなって、私は思わずヘリオスにしがみついた。
――――永遠とも思える時間のあと、ヘリオスは唇を離して、私を強く抱きしめながら言った。
「俺と結婚してください」




