◇5◇ (伯爵をぶっとばしてくださって)ありがとうございます!!
……顔は隠れているけど、たぶん、男性だろう。
お父様よりも声が低く、私より頭一つ分背が高い。
不思議な声だった。言葉は汚いのに、声は上等な楽器のように身体の深部に響いて、もっと聞いていたいという気持ちにさえさせた。男性の声を聴いてそんな風に思ったのは初めてだ。
フードの下から、顔のかなり下のほうだけがのぞいている。
かなり線が細そう。口もとだけ見ても、恐ろしく整った顔なのが伝わった。
左の顎に、古傷らしきものが見える。
なぜか、さっきよりも鼓動が速くなった。
「な、なにをしやがる!!」
「畜生、このやろう……!!」
私の退路を塞いでいた男性たちが、彼に跳びかかる。
「うぐ」
「げはぁ!」
何がどうなったのか私の目では追えなかった。
気がついた時には、3人の男性が、顔を隠した人の足元に転がってうめいていた。
ライオット伯爵が上半身を起こして、口を開く。
「な、なにを、しているんだ!!
おまえたち……!!」
さらに1人の男性が、後ろから、フードの人を狙う。
けれど彼は、何のことはないように回転しながら高く跳躍し、敵方で一番体格の大きなその男性のこめかみを、かかとで蹴りぬいた。
戦斧のように力強く、あくまで剣舞のように美しい、蹴り……。
大きな男性は、よろめきながら倒れていき。
回転の勢いで外套のフードがはらりと落ちて、顔を隠した彼の顔が、その場にさらされた。
一瞬、ざわめきが起きた。
私も息を飲んだ。
(天使……?)
顔にかかり、さらりと流れる短くも美しい銀髪が輝く。
女の私よりもはるかに艶やかな肌。
切れが長く形の良い目に、見ているだけで魂をうばわれるような存在感のあるアイスブルーの瞳。
上品な線をえがく、触りたくなるほどシャープな鼻筋。
完璧でありながら、見ているだけで言葉にできない高ぶりを覚えるような色気までまとう唇。
男女問わず、今まで見たことがないほどの美しい人だった。
おそらく10代。私と同じ年頃だろう。
その顔に、左顎から鼻にかけて古傷の痕が長く走っていたけれど、そんな傷さえ、彼の美貌の前ではアクセントにしかならなかった。
(…………え、待って。
この美人が男性5人、蹴り倒したの???)
目に映っている顔面の美しさと、やったことの荒っぽさがまったく結びつかない。
まつげが長い。銀髪と同じ色のまつげがふっさふさだ。真剣にちょっと分けてほしいとさえ思う。
――――いや……そんなことより。
銀髪の男性はつかつかと、伯爵に近寄った。
「げ、はぁっ……き、きさま!? この私に、なぜ……!?」
先ほどの鮮やかな蹴り一発で、ほとんど瀕死なんじゃないかと思ったけれど、伯爵は存外丈夫なようで、荒い息のまま、立ち上がり、男性につかみかかろうとする。
男性はスッと避けざま伯爵の腕を引き込み、おなかに痛烈な膝蹴りを叩き込んだ!
「が、はッ」乾いた声が伯爵の口から洩れる。
「俺の知った人間にちょっと似ちゃいるが、まさか、伯爵サマがこんなところで人さらいの真似なんかしてるはずねぇよな?」
「なん、だ、と?」
(……?)ああ、また美声……じゃない、意味ありげな銀髪の男性の言葉。もしかして、この人、伯爵と知り合い?
さらに伯爵の顔にまっすぐ掌底を叩き込む、銀髪の男性。
「痛、ぅ……っ」
まるで軽い紙ゴミのように、再び飛ばされ転がった伯爵。
しばし苦しみ、過呼吸のような状態になりながら、這うように立ち上がる。ずいぶん頑丈な人だ。
そして、伯爵は、銀髪の男性に飛びかかろうとして――――何が起きたのか、一瞬でぴったりと距離を詰めたその銀髪の男性の手に、顔をガシッと掴まれていた。
「―――〈忘れろ〉」
その男性の手が一瞬光に包まれた、と思ったら……伯爵は目を剥いたまま気を失って、地面に崩れ落ちた。
(いったい……何が起きたの?)
男性はフードを再びかぽりとかぶって、顔を隠す。
綺麗すぎて目立ちすぎるのが困るからだろうか。かぶったほうが怪しいと思うけれど、周囲の人があのご尊顔を見つめすぎてそのまま魂奪われちゃいそうだもの、仕方ないのかもしれない……。
いや、そんなこと考えている場合じゃない。
……なんたって、この人は。
「あ、あの!!」
私は男性の前に駆け寄り、頭を下げて、声を張った。
「(伯爵をぶっとばしてくださって)ありがとうございました!!」
「あ? ああ……」
はっきり言えば、伯爵が蹴り飛ばされているのを見た時、ちょっと、スッキリした。
いまの私がおかれている状況とくらべれば、全然こんなものじゃ気がすまないんだけど。
でも。とにかく私は、この人にお礼が言いたかった。
「右手。出してみろ」
「え? は、はい……」
出してみた右手が、ズキッと痛む。伯爵に掴まれたところが痛い。無理矢理ほどいたからだろうか……?
男性が、その手首の痛いところに自分の手をかざす。
「―――〈治れ〉」
ふわっと、さっきとは違う光が出ると、(あ、あれ??)瞬く間に、私の手首の痛みが引いていった。
な、なにこれ?
「送ってやる家出娘。家はどこだ?」
何事もなかったように男性は言う。
夢? 魔法?
わからないまま男性の言葉に答える。
「……違い、ます!!
わたし、家を出ないといけなくてっ」
「……はぁ?」
顔を隠した男性はしばし思案したのち、「ちょっと時間あるか」と私に尋ねた。
◇ ◇ ◇