◇27◇ 泣きそうなほど幸せな瞬間。
「……やべっ……」
残り一人の男性は、ヘリオスの顔を見るなり青ざめて、倒された仲間を見捨てて逃げ出した。
殴り倒された男性、蹴り倒された男性も、どうにか立ち上がると這うように人をかき分けて逃げていく。
「…………あ、ありが……」
――――お礼を言いかけたところで、ふと冷静になってみる。
ヘリオスの体温を感じた。
……というか、いま私、ヘリオスに抱きしめられてる!?
なに、何が起きたの!?
いや、もちろん助けられたからなんですけど??
「怪我ねぇか? フランカ」
「あ、は、はい!!」
頭上から話しかけられていて、ストップしていた思考が動き出した。ヘリオスの声だ。当たり前だけど。
逃げていった男性たちを警戒してだろうか、ヘリオスは周囲に目を配りながらしばらく私の身体を強く抱きしめていて、正直その方が生きた心地がしなかった。
早鐘を打つ心臓。嗅覚と触覚が、いつもの50倍ぐらい敏感になってる。
ふと、ヘリオスの手が離れた。
とたんに、「あれ? ヘリオス様?」と、使用人仲間の方から声がかかり、皆さんが戻ってきた。
「危ねぇな。
いまフランカがどっか連れてかれそうになってたぞ」
「え、ほんとですか!?」
「うわ、ごめんフランカ!!」
お目当てのものを買い込んでいらしたらしい、使用人仲間の皆さん。みんなが戻ってくると、ホッとした。
「……すみません! ご心配おかけしました。
ヘリオス様もありがとうございました。もう大丈夫です!」
わざわざ大きな声を出して無事をアピールした(みんなの前なのでヘリオスには一応『様』をつける)。
せっかくのお祭りだもの。
皆さんが楽しむ邪魔はしたくない。
それにヘリオスにもこのお祭りを楽しんでほしかった。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫です、全然元気です!」
使用人仲間の皆さんが、それぞれ顔を見合わせた。
心配しなくていいから。どうか続けて欲しい。
「じゃあ、移動しましょうか!」
夜に向けてだろうか、人の数はさっきよりもさらに増えていた。
(これは油断したら、また皆さんとはぐれちゃうな……)
周囲の人を警戒した私の前に、手が差しのべられた。
「……ヘリオス?」
「はぐれんだろ、このままじゃ」
ヘリオスの手。長い指。
手袋をつけていない、素手だ。
普通、貴族は食事の時以外手袋をつけている。
ヘリオスは私の前では手袋を外していることが多いから、生の手は見慣れているはずなんだけど、私に差し出されたそれは妙に、ドキッとした。
長い指、綺麗に入った指の節、手の甲に走る煽情的な指の腱の筋……。
一方、いまは私も手袋をしていない。
その私の手で、ヘリオスの手に触れる?
すごくそれは、やらしいことに感じてしまった。
もちろんヘリオスがやらしいのではなくて、ヘリオスの手をやらしい目で見ているのは私だ。
……これが『性的』という概念か。
(素手と素手……生肌と生肌で触れることになるの?
手汗とか、気持ち悪いと思われたらどうしよう!?)
「……あ、悪ぃ。無神経だったな」
私が躊躇して思考停止してしまったせいでだろう。
私を困らせたと思ったのか、ヘリオスが手を引いてしまった。
「あんなことあった後で、男に触られたくないよな」
(そんなことない、です!!)
と、口から出したかった言葉は言えず。
「はぐれないように気をつけて行こうぜ」
と、背を向けるヘリオスに、思わずため息をつく。
私の馬鹿ー。大馬鹿ー。どれだけ奇跡的なことだったと思ってんのー。
少し前の自分をなじりながら、ヘリオスについていこうとすると、ふと、ヘリオスが困ったように足を止めた。
「ヘリオス?
どうしたんですか?」
「…………やられた」
「へ?」
ヘリオスの目線の先から、周囲を見回した。
使用人仲間の皆さんは、ひとりも視界に入ってこない。
まるで皆さんで示し会わせて、私たちを残すように一気に移動したような……?
(え? ……なにこれ、わざとヘリオスと2人きりにさせられた?)
待って待って、いきなり2人きりにさせられるの人生2回目!!
タイミングが大事っておっしゃってたじゃないですかぁぁぁっ!
いま、ヘリオスと2人きりになって、私にいったいどうしろと!?
アワアワと事態を噛み締める私。
しばし頭を抱えていたヘリオスは、はー、と大きなため息をついた。
「仕方ねぇな。
……このままだと後が面倒くせぇ。
近くに馬車を置いてるから、さっさと城に戻るか」
「え!
ヘリオス、お祭り楽しまないんですか?」
「今日来たのは別の用だし、俺は特に祭りには……」
「あ、あの!!」
心臓が口から飛び出そう、とはこういうことか。
まるでそのときだけ、私の口だけをべつの人格が支配したように、夢中で私はヘリオスにまくしたてた。
「お、美味しい焼き菓子があったんです!!
桃のペーストとカスタードクリームがたっぷり入った……」
「……は?」
「香辛料の効いた豚の串焼きとか、とっても美味しかったんです!
その、美味しかったからぜひ、ヘリオスにも食べてほしくて……。
少しだけ時間を……もし、面倒くさく、なかったら……」
「あ、その……面倒くさいってそういう意味じゃ」
うーん、と、少し考えた様子を見せたヘリオスだったけど、「……どこの店だ?」と尋ねてきた。
「い、一緒に行ってくれるんですか!?
行きましょう、ぜひ!!」
高いところから飛び下りるようなそんな気持ちで、えい、と、私はヘリオスの手を両手で握った。
ヘリオスの手。ヘリオスの肌。ほんのり温かい。意外と柔らかい。ドキドキする。ヘリオスがどう感じているか、表情を確認する余裕はない。
ヘリオスの手が、緩んだ私の手とつなぎ直した。
もう一方の手が、ぽん、と私の頭に触れる。
どうしよう、もうこれだけで、泣きそうなぐらい幸せなんですけど。
◇ ◇ ◇
「すみません、たくさん付き合わせちゃって」
私のおすすめの屋台のものをあれこれ勧めてヘリオスに食べさせたあと、ヘリオスが日没までに城につきたいというので町を出た。
最後にヘリオスが何気なく買ってくれた髪飾りを髪につけてもらい、いま、ヘリオスが運転する馬車に揺られている。
髪に感じるわずかな重みが尊い。どんな宝石よりも嬉しい。
(こんなに良くしてもらっていいのかな……私明日死んだりしない?)
ほのかにそんなことを思ったりしながら、ヘリオスの綺麗な横顔を盗み見る。
「いや、べつに?
……ていうか、なんでまだ敬語?」
「え、ええーと……あ、ほら!
ヘリオスの方が歳上ですし」
「理由この前と変わってんじゃねぇか」
「あ、いや……あははは……。
……でも、今日はヘリオスに会えて嬉しかったです」
(ここまでは言っても問題ないかしら?)そう様子見しながら、私は言った。
「俺もわりと嬉しかった」
「…………え?」
「フランカの顔見て気づいた」
えっと……それはいったいどういう意味……?と混乱したら、ヘリオスがハッとして急に赤くなり、「ごめん、今のなし」と有無を言わさず質問を絶った。
(…………今のなし……?)聞きたい。けど、聞けない。
「あの!
そういえば、ヘリオスがここに来た理由って……?」
「ああ、ひとつはフランカに報告」
「報告……?」
「ライオット伯爵に新たな疑惑が浮上した」




