◇12◇ ヴィクターの情報。【ヘリオス視点】
「いきなりですね」
ひどく軽い言葉で受けるヴィクター。俺は続ける。
「とぼけんなよ。
ライオット伯爵は、テイレシア様を王太子妃の座から引きずり降ろそうとした連中の中核だ。
失脚した上、公爵から伯爵に降格になったことで、兄貴やテイレシア様を逆恨みしてるって報告もある。
そんな野郎に対して、てめぇが対策講じてねぇはずがねぇだろ」
とりあえず、フランカの安全は確保した。しばらくは大丈夫だろう。
だが、ライオット伯爵のことは放置できない。メイス侯爵夫人もだ。
放っておいたら何らかの手でフランカの身辺に手を伸ばしてくるかもしれない。フランカは無事でも、他の貴族令嬢が同じ手を使われて無理矢理愛人にさせられるかもしれない。
できれば兄貴か、幼なじみのカサンドラに相談したかった。
カサンドラは異国の姫を母に持つ、黒髪に褐色の肌の侯爵令嬢で、テイレシア様の親友でもある。『歩く貴族名鑑』とうちの兄弟があだ名をつけるほど貴族の事情に詳しくて、知恵が働く。
けれど、2人は今、仕事で国外だ。
ほかに誰か相談できるような奴はいないか……と考えて、唯一心当たりがあったのがこの後輩、ヴィクターだった。
「それはもちろん」
ヴィクターが口の端で笑む。
そして。
「―――潰すのなら、骨も残さず叩き潰したいところですが」
「相変わらず、表と裏の温度差がやべぇな」
いきなり半オクターブは下がったヴィクターの声に、思わず俺は呆れてしまった。
目の前の美男は、笑っているのに、緑の瞳が鋭い眼光とともに狼のような殺気を放っている。
この『王国一幸運な男』。
正確には『王国一テイレシア様に対して愛情過多な男』であり、『テイレシア様のためなら文字通りなんでもする男』である。
その執着の人並外れた強さに加えて、情報網も実行力も高位貴族に引けをとらない力を持つ。
それを支えるのは、王国屈指の豪商エルドレッド商会を実家に持つ財力。
加えて複数の戦闘魔法まで使いこなす。
さしずめ、テイレシア様の敵なら躊躇なく噛み殺す最強の番犬、ってとこだ。
「貴族の世界は熾烈な足の引っ張り合いと聞きますが、特に、ご両親を事故で亡くした後のテイレシアに対しては、本当に酷かった。
その中で、自分の娘をテイレシアの代わりに王太子妃にしようとして、特に陰湿な嫌がらせを繰り返したのが、公爵だったライオットでした」
「……ああ。そのへんは兄貴から聞いてる」
「――――というのともう一つ」
さらにヴィクターの声が低くなって、心なしかどす黒いオーラのようなものが出た気がした。
「……なんだ?」嫌な予感がする。
「4年ほど前、テイレシアが15歳の頃のことらしいですが……。
婚約解消を進めるために、あの男、テイレシアに言い寄ってきたそうです」
「テイレシア様に!?」
一瞬、理解できなくて呆然とした。
呆然としすぎて、しばらく言葉が出てこなかった。
「意味わからん……節操がない、どころの話じゃねぇし!!」
王族のテイレシア様は、公爵だった時のライオット伯爵よりも格が上だ。
そもそも、王太子(当時)の婚約者に言い寄るなんて……王家の体面にも泥を塗る。
重罰を課せられてもおかしくない行為だし、醜聞どころの騒ぎではない。
それがどんなにヤバいことか、貴族ならわからないはずがないのに。
(王太子の婚約者の名誉を傷つける、という意味では、そりゃ有効だけど)
王太子妃には、身分や必要な素養に加えて、なんら欠点がないこと、素行に問題がないことが重視される。
品行方正で穏やかな小説オタク……いや、文学少女のテイレシア様は、素行という点ではまったく問題がなかった。
そこへ、異性であるライオット伯爵(当時公爵)が無理矢理近づく。名誉を傷つけるときはほぼ言った者勝ちだ。
火のないところに無理矢理煙を立てようとたくらんだ、ということなら……。
「もともとテイレシアはあの男を警戒して避けていたのに、あの男ぬけぬけと、テイレシアは自分に気があるとか色目をつかっていると公言したそうですよ」
「マジで!? どの面下げてソレ言えんの!?」
ちょっと醜聞広めるにしてもリスク高すぎんだろ、ソレ。
相手が誰かわかってんのか?
「そのときは、かろうじてカサンドラ様が、あの男をボコボコに論破してテイレシアの身と名誉を守ってくださったそうです。
さらにそのあと前王太子の不興も買うことになって、事なきを得たそうですが……そんな男を、俺が許すわけがないでしょう?」
淡々と語るが、ヴィクターの口調の端々に、全方位からの強い怒りがにじむ。
4年前、ヴィクターは13歳の平民の子どもだ。
何もできるはずもなかったが、妻が過去受けた被害も、夫として悔しく思っているのだろう。
(……王族令嬢だとはいえ15歳の女の子に対して、人生を狂わすような醜聞をなすりつけようなんて)
男から見ても背筋がゾワッとする。なぜそんなことを企むことができるのか。吐きそうなほど醜悪で、くそ気持ち悪い。
俺自身は、ライオット伯爵とは、今までほとんど関わってこなかった。
だが、思った以上に放っておけない相手らしい。
体裁を取り繕うことすらしない、倫理観の底が抜けている。
「おまえ、いま、どんなネタを握ってる?」
「そうですね――――まずはライオット伯爵の身辺のお話からしましょうか」
「ああ」
「ライオット伯爵には、娘が2人、うち1人は死亡。男子相続人はいません。
うちの国の貴族法は、テイレシアが昨年爵位を継承したように、女子相続人の爵位継承が可能なように改正済みですが……伯爵は、男子に継がせたいと言って、貴族の女性の愛人を探していた」
「―――ん? 待て?
それって、今から貴族の娘を愛人にして、跡継ぎを産ませようと画策してるってか?」
「と、いうことのようですね」
……ちょっと頭痛とめまいがしてきた。
「この間、先輩がいらっしゃったあとで、軽く調べてみたんですが、短い日数でもいくつかの子爵家や男爵家から証言が取れました。
今年に入ってから、ライオット伯爵に、娘を愛人にと持ちかけられ――というか、迫られたと。
令嬢の一人が王立学園の教師に相談したことで、学園から内々に強い抗議を受けたようです」
強引すぎるやり口に、俺はため息をつく。
「なんかもう……さすがに無茶苦茶すぎねぇか?
ていうか、ライオット伯爵夫人は? 生きてるよな?」
「前の夫人が亡くなられたのち、いまの夫人と結婚して10年。ふたりの間にはこどもは女子1人のみ。前妻の娘は4年前に病死の届けが出ています。
もともと夫婦の関係は冷えきっており、昨年の伯爵への降格をきっかけに、関係は完全に破綻。
夫人は娘を置いて遊び回ってますね」
「遊んでねぇで止めろや夫を」
つい、悪態が口をついて出てきた。
「それで、フランカに罠を仕掛けた……?」
「ええ、恐らくは」




