◇11◇ 馬車の中の密談。【ヘリオス視点】
◇ ◇ ◇
(あばずれだの、悪女だの……昼間から大声で叫ぶ言葉かよ)
ボスウェリア子爵の邸の敷地をぐるりと囲む塀を背に、俺はため息をついた。
普段出歩くとき用のフード付きの外套で顔を隠し、いち使用人を装ってうちの親父からの手紙を渡してみたが、速攻で、敷地の外にまで聞こえるほどの怒声が漏れてきた。
というか、娘に対して使う言葉じゃねぇ。あと人の母親悪女呼ばわりすんな。
(――――ま、勢いよく吠えてはいたが、とりあえずは、ボスウェリア子爵家から誘拐で訴えられることはねぇか)
対立する派閥だからといって、ボスウェリア子爵家が公然とウェーバー侯爵家に喧嘩を売ることはできないだろう。
身分と家格で殴って黙らせた感は否めないが。
盗み聞きする限りでは、どうやらフランカにさせていた家の仕事の担い手がいまいないらしい。
あの感じじゃ、しばらく子爵家は大変だろうな。まぁ自業自得だし、がんばれ。
(……邸に戻ろう)
来客の予定があった俺は、軽く走り出した。
目立つので今日は馬車は使っていない。馬車がなくても王都の端から端までくらいは走れる体力はあるので、『貴族として』出かける必要があるとき以外は、王都の中じゃ基本徒歩で移動してる。普段それで困ったことはない。
――――はずだった。が。
ウェーバー侯爵家の門の前に、5つも馬車がとまっている。
離れたところからそれを見ながら、俺はどうしたものか、悩んだ。
「……ですので、ヘリオス様はご不在ですと申し上げております!!」
門番の強い声。
「嘘をおっしゃい!!
少なくとも、ヘリオス卿が馬車で王都に戻られたのを見た者がいるのよ!」
最新流行のドレスに身を包み、甲高い声で門番に絡む娘たち。
「だいたい!
ヘリオス様、ずっと夜会にも昼食会にもお茶会にもいらっしゃらないじゃない!」
「おかしいわ!
勝手にご縁組のお話が進められてでもいるのではないの!?」
「ヘリオス様に会わせなさい!! お父様に言いつけるわよ!?」
「あのお方の美しいお顔をずっと見ていなくて禁断症状なのよ!!」
声を聴いて、頭が痛くなった。
侯爵令嬢に伯爵令嬢……全部で5人の令嬢が、アポもなく押しかけてうちの門番に文句を言っている。
真面目なうちの門番は勝手に客を入れることはないが、貴族同士の関係的に、強い態度にも出られない。親父も今日はいない。
といって、俺が出ていけば、奴らは味をしめるに決まってる。
(……そろそろあいつが来る頃なんだよな。
出くわすとめんどくせぇな)
貴族ではなく商家の出のあいつは、貴族よりも時間に正確だ。
漆喰塀の角に身を隠しながら、どうしたものか、と息をつく。
ふと耳に車輪の音が入ってくる。顔をあげると、俺の目の前に大きな箱型馬車が走りこんできて停まり、静かに、扉が開いた。
「――――おつかれさまです。
邸は入れなさそうですね」
馬車の中の男が、舞台俳優のようによくとおる声をかけてくる。
見慣れたオレンジ色の髪に、俺は嘆息した。
「入ります?」
差し伸べてきた手が面倒くさくて払い、俺は踏み台も使わず、馬車の中に乗り込んだ。
馬車の中は男一人だ。従者もつけずに一人で来ているあたりがこいつらしい。
「来んの早すぎだろ、ヴィクター」
「念のため邸の様子を先に見ておきたかったんですよ。
―――ああ、適当に軽く流して走っていてくれ」
馬車の主は御者に指示を出した。
邸が難しそうだから、この中で走りながら話そうということだろう。
扉が閉まると、馬車が走り出す。ずいぶん座り心地が良い。いい馬車つかってんな。
「だいたい予想どおりでしたけど。
あいかわらずモテますね、ヘリオス先輩」
「嫌味かてめぇ」
身体も存在感もでかい後輩は、涼しい顔で笑う。
ヴィクター・エルドレッド。俺の1歳下の王立学園の後輩だ。
目を引くオレンジ色の髪。俺より一回り以上でかい身長と、クソ長ぇ手足。
大劇場の舞台にでも立てば一夜でスターになりそうなほど整った顔と、ひときわ目を引くエメラルドの瞳。
いまは平民だが、とある功績により、18歳になったら爵位を与えられる男でもある。
……そして、ある理由で、国民から『王国一幸運な男』というあだ名をつけられている。
「で、いかがでしたか?」
「フランカ・ボスウェリアは問題なく、母の侍女として働くことになった。
彼女の避難先としてフィフスクラウン城を使うことをお許しいただいたご領主テイレシア様には深く感謝申し上げる……って、本来はテイレシア様本人に直接言うべきだろ、これ」
「あと少しして、安定期に入ってからでお願いできますか。
報告は俺からしておきますが」
「初めてのご懐妊のさなかに厄介ごとを持ちかけてすみません、と、重々詫びておいてくれ」
ヴィクターがうなずいた。
フィフスクラウン城の持ち主であり、現在かの地の領主を務めている女性は、その名を、テイレシア・バシレウス・クラウン・エルドレッドという。
前国王の弟君を祖父に、同盟国の国王を親戚に持つ公爵令嬢であり、もともとは、前の王太子の婚約者でもあった。
身分、資質、素養、容姿、すべてが王妃にふさわしい、まごうことなき高嶺の花――――だったのだが、昨年、大人たちの政治的な思惑のせいで、なんと、前王太子に公衆の面前で婚約破棄される憂き目にあった。
そんな彼女を、本来ありえない身分差を越えて妻にしたのが当時16歳の平民ヴィクターで、つまり『王国一幸運な男』とは、国民のやっかみがたっぷりこもったあだ名なわけだ。
ヴィクターは意に介さず、結婚後1年を経過した今もテイレシア様を溺愛しているし、夫婦仲はよさそうだし、春に妊娠がわかってからはさらに幸せそうだ。
こいつに「モテますね」と言われても、嫌味にしか聞こえない。
……それはともかく。
4日前、フランカをフィフスクラウン城に連れて行く前日、俺は彼らの邸を訪れ、(ヴィクターごしではあるが)事情を話し、テイレシア様からその許可を得ていた。
「ボスウェリア子爵のご令嬢のことは、テイレシアも心配していましたから。
様子を報告すれば、安心すると思います」
さすがテイレシア様。
下位貴族の娘のことも覚えていらっしゃったか。
「おまえは会ったことあんのか?」
「いや、ないですね。
テイレシアの夫として出席する催しは、基本的に高位貴族の方々ばかりですし…。
ヘリオス先輩はじめウェーバー侯爵家の皆様は、もともと夜会にはほぼお出になりませんね」
俺はうなずく。
子どものころから、そういう場に行くと母が好奇の目で見られるのはわかっていた。
ほかの家の貴婦人たちも、特に潔癖な性質の者は、母を忌み嫌って排除した。
進んで仲良くしてくれた方は、テイレシア様の母君ふくめ数人だったと思う。
「それで、今日俺をお邸に呼びつけたのは何なんです?
その件の報告を?」
「いや」
無駄に長い脚が、馬車の中では特に邪魔そうで、ちょっと見ていてむかつくな。
そう思いながら、俺は本題を切り出した。
「――――おまえ何か、ライオット伯爵つぶせそうなネタ握ってねぇか?」
※テイレシアは前作
『王子、婚約破棄したのはそちらなので~』の主人公です。
ややこしいですが、いまの王太子と、テイレシアの婚約者だった前王太子は別人です。




