ひな鳥
あれはいつの頃だっただろう。
「どうしたの、アデライン」
「これ・・・この子が、落ちてたの・・・」
「・・・」
セスは黙って目の前の大木を見上げる。
「・・・あそこに巣があるね。その雛はあそこから落ちたみたいだ」
「まだ生きてるの。お腹空いたって鳴いてる・・・。戻してあげないと」
「・・・無理だよ」
「え・・・?」
あっさりと返された否定の言葉に、頭が真っ白になった。
掌の上でピーピーと鳴いている雛の声だけが、やけに耳につく。
「野生の鳥はもの凄く警戒心が強いんだ。巣から落ちて他の匂いがついた雛は、たとえ巣に戻しても親鳥から世話をしてもらえない」
「そ、んな・・・じゃあこの子は・・,」
「巣に戻しても、放置されて死ぬだろうね」
「親鳥がいるのに・・・?」
そう呟いて、目の前の雛をじっと見つめる。
気がつけば、ぽつりと本心が漏れていた。
「・・・同じね」
私と。
「アデル・・・」
掌の上の雛を見て、急に惨めな気分になった。
涙が溢れそうになった。
まだ、生きてるのに。
すぐそこに、親がいるのに。
雛を乗せていた掌を、ふわりとセスの両手で包まれる。
見上げると、セスがにっこりと微笑んでいた。
「大丈夫。君には僕がいる。そしてこの子には僕と君がいるでしょ?」
「え・・・?」
「僕たちでこの子の世話をしよう。大丈夫。きっと使用人の誰かが育て方を知ってるよ。教えてもらった通りにやれば、この子もちゃんと育つから」
驚いて、溢れそうだった涙が引っ込んでしまう。
でも何も言えなくて、ただ目の前に立つ優しい義弟をじっと見つめていたら。
「おいで」
腕を引っ張られた。
「馬小屋に行こう。干し草をもらって、即席の巣を作るんだ。エサのこととかは・・・誰かに聞かないと分からないけど」
私たちで・・・育てる。
この子を、育てる。
ううん、その前に、セスは何て言った?
--- 大丈夫。君には僕がいる。そしてこの子には僕と君がいる ---
その言葉を、頭の中で繰り返す。
大丈夫。君には僕がいる。
君には僕がいる。
私には、セスがいる。
私には、セスが。
不思議と心が落ち着いた。
馬小屋に向かって歩くセスの後ろ姿を、アデラインがじっと見つめる。
セス。私の義弟。私の・・・仮の婚約者。
父によって本当の両親から引き離され、命令で私の婚約者にさせられた可哀想な義弟。
なのに文句ひとつ言わずに、いつも私に優しくしてくれる人。
父に見捨てられた私の傍に、いつも居てくれる人。
貴方は、きっとたくさんの我慢を強いられているだろう。それも私のせいで。
なのに貴方はこんなにも優しい。・・・出会ったときから、ううん、いつだって。
ごめんね、セス。
貴方は優しいから、実の父さえ無関心を貫く無価値な私を放ってはおけない。
私のせいで、優しいご両親から、そして大好きな兄弟たちから引き離されてしまったのに。
それが分かっているのに、気がつけば私は貴方に甘えているの。
ごめんね、セス。
今だけ。
今だけでいいから貴方の側にいさせて。
必ず放してあげる。
好きな人が出来た時には必ず。
貴方が人生を共に過ごしたいと思った人は、決して貴方から引き離させはしない、そんなことは絶対にさせないから。
だから。
約束のように唱える言葉が口を吐く。
これでもう少し傍にいられると、言い訳のように紡ぐ呪文。
「セスみたいに優しい人は他にいないわ。きっと素敵な方を見つけて幸せになってね。絶対よ?」
「・・・」
困ったようにセスは微笑む。
大丈夫。
もう二度と、自分に愛される価値があるなんて思い上がったりはしない。
だから安心していてね。
その時が来たら、必ずこの手を放すから。