母が亡くなった日
六歳のあの日、永遠と信じていたものが目の前で崩れていった。
優しいお母さまが流行り病で突然に亡くなり、明るかった屋敷が暗闇に包まれた日に。
父は別の人かと思うくらいに暴れ回り、泣き叫び、大声で怒鳴っていた。
怖くて、怖くて、堪らなくて。
お母さまが亡くなったことに涙するのも忘れるくらい、目の前の恐怖に包まれた。
でも三日後、父は急に静かになった。
抜け殻のように、ぼんやりとした目になって、視線をあちこちに彷徨わせていた。
やっと本来の父に戻ったのかと思った私は、「お父さま・・・?」と震える声で問いかけた。
父はその声に反応して私を見て、それから大きく目を見開いて、くしゃりと顔を歪ませた。
・・・え・・・?
私は驚きで目を見開いた。
父の眼が一瞬ぎらりと光った・・・気がしたけど、直ぐに逸らされてしまったから、本当のところは分からない。
でも。
あれから一度も父とは目が合ったことはない。
父は、あれ以来、決して私を視野に入れようともしない。
お母さまが亡くなった時、寂しくて、辛くて、大声で泣き出したかった。
でも、出来なかった。
それが許されなかった。
父の姿が、あまりに異常で理解できなくて、恐怖が悲しみを抑えつけたから。
私にとって、あの日死んだのはお母さまだけじゃない。
父もなのだ。
優しかった、いつも笑顔で抱きしめてくれた父と母はもういない。
きっと父は、母を深く愛しすぎたのだ。
それは多分、子どもの私には分からない感情なのだろう。
それまでずっと母と私に向けられていると思っていた父の笑顔は、本当は母一人に向けられていたものだったのだ。
私がもらっていたのは、ただその愛のおこぼれで。
母が亡くなった今となっては、もうそのおこぼれすら、私に与える価値はないのだ。
それはきっと、愛されるだけの価値が、資格が、私にはないから。
だから、仕方がないの。
ねえ、お父さま。
愛ってなぁに?
父は私を見ようともしない。
食事もひとり。話をしたくでも屋敷にいることはほとんどない。
いるとしても書斎に篭りきりで、出て来てもくれない。
願い事は紙に書いて渡せと言われ、その返事もショーンを通じて返ってくる。
ショーンが父に苦言を呈しても、状況は何も変わらなかった。
お母さまを失った悲しみが癒えぬまま、私はまだ生きている筈のお父さまをも失った。
年に数回しか見ることのない父の後ろ姿を見る度に、私は自分自身に語りかける。
愛を失うとこうなるの。
愛は、世界で一番必要のないものよ。
求めるなんて愚かだわ。
そうよ、失うと怖いものは、最初から手に入れてはいけないの。
だって、失くしたときが怖いから。
そうでしょ?
ねえ、お母さま。
・・・ねえ、お父さま。
私の心の中では、吐き出せなかった悲しみが、今も渦巻いている。
そんな重苦しい日々が永遠に続くかと思っていた時だった。
寒々しいこの屋敷の扉を開ける音と共に現れたのは。
そう、私の前に現れたのは、優しい鳶色の眼をした端正な顔立ちの男の子だった。