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彼女を恋愛脳にする方法  作者: 冬馬亮
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つもる話


その後、僕たちはたくさん、たくさん話をした。



義父と夫人との出会い、育んだ恋心、ライバルを蹴落とした話、誤解から別れを突きつけられそうになって慌てふためいた事まで。



時に視線を彷徨わせ、時に遠くを見つめ、時に目をきつく瞑る。

 


とても、とても長い時間をかけて話をして、最後にはとうとう義父の声が掠れてしまったくらい。



だから僕は途中で席を立ち、ベルを鳴らしてお茶を用意してもらった。



いつの間にかに日は沈み、窓の外は真っ暗になって。


それでもなお、義父の話とアデラインからの問いは尽きないままだった。



夫人が亡くなってから、一度もその思い出を口にすることもなく、ひたすらに沈黙を守って来た義父は、まるで堰を切ったかのようにアーリン夫人への想いを語った。



だが、やがて扉をノックする音と共に、ショーンの声で夕食の用意が出来た事が告げられる。



今夜はデビッドもこちらに泊まっていくと言う。


食事の後にサロンにでも移動して、デビッドも交えて思い出話しに耽るのはどうかという話になった。




--- 真っ直ぐに自分を見てほしい ---




そんなアデラインの願いを受け、義父は時々、視線を娘に向けようとしていた。


視界に映る娘の姿を、そのままに捉えられる時間が生まれたのかもしれない。


本当のところは、僕には分からないけれど。



でも義父は、じっとアデラインを見てほっと安堵の息を吐く時と、慌てて目を逸らし運び込んだ肖像画に目を向ける時と、目を瞑って何かを考え込む様子を見せる時と様々だ。



今だに義父の中に葛藤があるのは変わりないのだろう。


それでも、今日一日だけで大きく前進したことは間違いない筈だ。



その後。


久しぶりに、本当に久しぶりに、義父とアデラインと僕との三人で夕食を取った。



義父はまだ緊張が残る様子で。


その手元には、新婚旅行中にランジェロが描いたというスケッチ画が置いてある。



何度もそのスケッチに視線を落としながら、義父はアデラインを見ようとしていた。



対して、アデラインは緊張よりも喜びが優ることがありありと分かる笑みを浮かべていて。


そんなアデラインの表情がやっと見られたことが、僕はとても嬉しかった。




「お嬢さま。ショコラ・ショーをご用意したのですが、お飲みになりませんか?」



そう言って、食後にトレイに乗せたカップを差し出したのはデビッドだった。



「お嬢さまがお小さい頃、好んでよく飲んでおられたのを思い出しまして。懐かしくてつい用意してしまいました」


「まあ、嬉しいわ。ありがとう」



トレイの上には、カップが二つ。



デビッドは一つをアデラインに渡すと、もう一つを僕に差し出した。



「甘いものがお嫌いでなければ、ぜひ。幼い頃のお嬢さまのお気に入りのレシピだったのです」



ふわりと香る甘い匂いにつられ、カップに口をつける。



濃厚なチョコレートの味わいに、微かな酸味と爽やかな果実の香りが加わっている。


僕が知るものよりも複雑な香りと味わいだ。



「・・・この味・・・懐かしいわ」


「チョコレートとミルク以外に、何を加えているのかな?」



僕も昔はよくショコラ・ショーを好んで飲んでいた。


でも、これは記憶にある味とはいい意味で違っている。



「赤すぐりのジャムでございます。昔からお嬢さまはこれがお好きで」



デビッドの目が柔らかく細められ、目尻の皺がまるで孫娘を見ているかのような優しい印象を形作る。



「この季節にしか手に入らないものですので、通年でご用意することは出来ないのですが、ちょうど領地の森で使用人が赤すぐりを摘んできた後でして」



タイミングが良くて幸いでした、と嬉しそうに笑う。



「・・・赤すぐりのジャムか。確かに懐かしいな」



向かいのテーブルで、義父がぽつりと呟いた。


え、と声を出した僕に、デビッドがすっと近づく。



「元々は、奥さまがお好きだった飲み方なのですよ」



小さな声で、デビッドはそっとセスに耳打ちした。



隣にいたアデラインにも聞こえたようだ。



そうなのね、とひとり頷く姿が視界に映った。



緩やかに時間が過ぎていく。


時計の針が刻む音が、やけに心地よく耳に響いた。



こんなに長い時間、義父と過ごしたのは僕にとってもアデラインにとっても初めてのことで。



ましてや、亡くなった夫人の話を侯爵の口から聞くことは勿論、昼間のお茶会で焦げたクッキーの話を聞いたのが初めてで。



侯爵にとっても、長年封印していた夫人の思い出を改めて口にするのは、何か感じるものがあったようで。



僕もアデラインも、それから侯爵も、これまで一度も味わったことのない感情が自分の中に湧きあがるのを感じた、そんな日だった。



そしてこの日からだ。


僕たちが確実に変わっていったのは。



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