125.新しい生活
聞き慣れたアラームの音と、容赦なく降り注ぐ冷気によって目を開ける。
手を枕元にあてがい、寝ぼけ眼でスマホのライトに顔をしかめながら時間を確認すると予定していた起床時間が表示されている。よし、スヌーズ機能も使わずに済んだ。
実を言えば今日だけはマトモに起きられるか不安だった。
今日……1月も3分の1を過ぎようかというこの日は始業式、つまり学校が始まる日だ。
この冬休みは今までの朝練があった部活時代と違って、随分とゆったりと過ごすことができた。それ故にいざ学校が始まる日に起きられるだろうかと昨晩は不安で幾重にも保険を張っていたのだ。
その一つがこのスマホ。ロックを解除しアラームの画面を開けばそこには3分おきに設定されたアラームの数々。でも今日は一度目で問題なく起きられたので他のアラームを順に解除していく。
「んん…………」
布団の中からそんなくぐもった声が聞こえてくる。
その声に俺は彼女の存在を思い出す。まだ起きてなかったのか……
申し訳ないと思いつつ掛け布団を引っ剥がすとその姿があらわになる。
「ほら、朝だよ。起きて」
「んん……やぁだぁ……さむいぃ………」
気持ちよく寝ている肩を揺するも身を縮こませるばかりで起きようとしない。
この眼の前で気持ちよさそうに寝息をたてている人物こそ2つ目の保険……優愛さんだ。
俺と彼女で目覚ましをかけてどちらかが起きればもう片方を起こす。その予定だったがどうやら今日は彼女にとっての保険として作用して俺にとっての保険ではなかったようだ。
「今日から学校だよ。早く起きないと遅刻しちゃう」
「やぁ…………」
「優愛さん……」
俺の呼びかけにも幼子のような返事で目覚めることはない。優衣佳さんは毎日こんな状態の優愛さんと格闘していたのか……
「どうしたら起きてくれるんだろ……」
「…………キス…………」
「えっ?」
「慎也くんからキス……してくれたら起きる」
その発言に「ハイそうですか」と行動に移すわけにはいかず自身の頭を掻くのみだ。
これまた困った。俺たちはあの年越しの日から一度も口づけを交わしていない。頬程度の軽いものなら幾度もあったが唇同士というのはあの日が最後だ。
それが新年に入ってまず最初に決めた俺たちの協定だ。無闇矢鱈としない、そうでないと自制がきかなくなるからと、5人で決めたたった一つの協定――――
けれど刻々と学校の時間は近づいて来ている。
これ以上彼女を起こすのに時間を取られるわけには行かない。これは必要なことなんだ。俺はそう自分の中で言い訳をしながら瞼の閉じられた綺麗な顔に近づいていき―――――
バァン!と――――
俺と優愛さんとの距離が数センチといったところで勢いよく扉が開かれる。
その音に驚いて扉に顔を向けるとそこには制服の上に白いエプロン姿の少女が一人。
「…………あら、慎也君。おはよう」
「おはよう……優衣佳さん」
そう、それこそが最後の保険にして最終兵器…………優衣佳さんだ。
彼女は俺と優愛さんがキスしそうだったことに気づいて一睨みするも未遂だったことに気づいたのかすぐいつもの表情に戻って俺たちの元へと近づいてくる。
「優愛、起きてるんでしょ!」
「んん……眠い……」
「嘘ね。ずっと起きてたでしょう?その証拠に、いつも大口開けて寝てるのが閉まってたもの」
「うそっ!?私そんな寝方してた!?」
「嘘よ」
さすが優衣佳さん、一瞬で優愛さんを完全覚醒させたようだ。優愛さんは彼女の一言によって身体を勢いよく起こすもすぐに力が抜けてヘナヘナと崩れ落ちていく。
「お姉ちゃん~!」
「ほら、2人とも朝ごはんできてるから降りてらっしゃい」
「む~~!」
そう言い残して階段を降りていく優衣佳さん。残された俺たちはベッドの上で見合って笑い合う。
「おはよっ!慎也くん!」
「おはよう、優愛さん」
俺たちは互いの頬にキスをして、階段を降りていった。
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俺が学校のある日まで彼女の家で目覚めたのには理由がある。
「慎也、ちょっといいか?」
「ん、どしたの? 父さん」
学校が始まる3日ほど前、朝のコーヒーブレイク中に発せられた父の言葉がすべての始まりだった。
「いやなに、俺たちも明後日には向こうに発つってのは知ってるよな?」
「もちろん。冬休みは随分助かったよ」
父さんには海外での仕事がある。年を越したらすぐに戻らなきゃなかったらしい。それでも年を越してしばらくこの家に居てくれたのはひとえに俺の為だそうだ。
けれど何にしても限界はある。つい先日、父の携帯宛に連絡が届いて明後日には向こうに戻らなきゃならなくなったらしい。
父さん達が戻ったら再度俺一人の生活だ。ずっと家事等してもらって楽していたから鈍っていないか心配ではある。
「それでだ。慎也、あの4人の子たちみんなと付き合っているんだろう?」
「ま……まぁ……」
オブラートも何もなく、直球で言われると照れが出てしまう。
親御さんに認めてもらっても恥ずかしいものは恥ずかしい。
「それでだ。少し前に荒井さんと相談して決定したんだ。もういっそ川瀬さんらの家に慎也を放り込もうってな」
「あぁうん。俺が川瀬さんの家にね…………はい?」
いま、なんて?俺を放り込む?
新井さん……は佳恵子さん、つまり優衣佳さんらの叔母さんの名字だ。それで川瀬というのは優衣佳さん、優愛さんの名字。そこに?俺が?
「日取りは明後日、つまり俺たちが発つ日と同じだ。荷物纏めとくんだぞ?」
「まって! 話を進めないで!!」
「……どうした?」
「どうして!?」
なんでそうなったとかいきなりすぎるとか言いたいことがたくさんある。本人の居ないところで決定事項になってたことが何よりの驚きだ。
「まったく……この察しの悪さ。親の顔が見てみたいな」
「今すぐ鏡を持ってこようか?」
誰の子だと思ってる。
「おほんっ…………一人でマンション一部屋。いくら男とは言え何か事件に巻き込まれないか俺は心配だ。それはわかるな?」
「う……うん」
咳払い一つで元の真面目な話に戻って少し困惑してしまう。
「同様にあちらも同じ心境だったらしい。けれどあの子達は荒井さんの力を必要としない上に子供も生まれたばかり。だからこそ言えなかったのだがこうして都合の良い人材が現れた。それが慎也、お前だ」
「……経緯はわかった。でも……倫理的にどうなの?」
複数の人と付き合ってる俺が倫理を語るなと言われそうだがとりあえず聞いてみる。
「ちゃんと自立してるしそこらへんは信じている、だと。俺としても責任をとってくれればとやかく言わない。それとも……責任とる気がないのか?」
「そんなことない!そこはちゃんと考えてるよ!!」
俺は立ち上がって憤慨する。
そんな彼女たちを傷つけることなどしてたまるか。俺のルートは固定されているんだ。
「じゃあ問題ないな。あの子達の許可も既にとってあるらしい。明後日だ、忘れるなよ?」
「う……うん……」
それからの2日、荷物をまとめるのに奮闘することになったのは言うまでもない。
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「あれ、今日は随分と簡単な朝ごはんだね」
1階で顔を洗い終わった優愛さんが言葉を漏らす。
テーブルの上には3人分のトーストと目玉焼きが。
俺はこの家で初めて朝を迎えたからわからないが、そうなのだろうか。
「べ、別にいいじゃない。私だって久しぶりの早起きでちょっと遅れちゃったのよ」
「そんなこと言っちゃって~ホントは慎也くんの顔見続けて時間過ぎちゃったんじゃないの~?」
瞬間――――――
カラァン――――――と、優衣佳さんは持っていたフライ返しを床に落としてしまう。
俺たちがそちらに顔を向けたときには彼女の表情も、体も、完全に固まっていた。
「えっ…………ホントに?」
「…………そりゃあ……私だって初めての好きな人との生活なのよ?寝顔に見入っちゃってもいいじゃない……」
そうもらした姿は大変恥ずかしそうに……モジモジとした弱いものだった。
そうか……俺の顔を……。気づかないうちにずっと見られていたと思うと急に恥ずかしくなり顔が熱くなっていくのを感じる。
昨晩は優愛さんの懇願にて一晩だけの三人一緒に寝ることとなった。
けれどあくまで一緒に寝るだけ。間違いなど侵さないように細心の注意を払った一晩だったのだからそれについて責める気は一切ないが恥ずかしいものは恥ずかしい。
「優愛、今日の夕飯はピーマンチャンプルーとピーマンきんぴらね」
「え~!! 私今回何も悪くないんじゃない!?」
完全な事故の逆恨みで今日の夕飯が決まったようだ。というかまだ優愛さんはピーマンが嫌いなんだね……
「まぁ、優衣佳さん。優愛さんは今回何も悪くないんだし、ね?」
「そ……そうね……慎也君が言うなら仕方ないわ――――」
俺が交渉を始めると態度は一変、口調が柔らかくなっていく。
よかった。今回はすんなり解決しそうだ。
「――――慎也君と私のだけは別の料理にしましょうか」
「えぇ~~~!!」
すんなり……?
俺も予想外の返しに後ずさる。
「ゆ……優衣佳さん?」
「……ふふっ、冗談よ。今日は圧力鍋を使った豚の角煮の予定……だけど条件があるわ」
「「条件?」」
そのあまり聞かない言葉に俺たちはつい二人して聞き返してしまう。
「それは……慎也君。あなた何か忘れてないかしら?それを思い出すことが条件よ」
「俺?」
はて、何か忘れていただろうか。顔も洗ったし制服にも着替えた。宿題もしたし荷物だって準備完了だ。何も忘れていることなど―――――――あぁ。
それはひとしきり悩んだあと優衣佳さんを見ることで一瞬で解決した。
彼女は自身の顔を強調しながらその頬を指差している。
「優衣佳さん」
「……えぇ」
「っ……おはよう、優衣佳さん」
「んっ……おはよう、あなた」
俺たちはそれぞれの頬に口をつける。
そうして向かい合った彼女は妖艶な笑みで微笑んだ。
「あなた……」
「……優衣佳さん」
彼女がこうも色っぽく見つめて来るものだから俺もつい見つめ返してしまう。
そうして俺たちはしばらく見つめ合った後、どちらからともなく唇を近づけていき――――
「2人とも~終わったぁ?もう食べていいかなぁ?」
「「!!」」
そんな優愛さんの一言によって現実へと引き戻された。
恐る恐る彼女の様子を伺うと椅子に腰掛けジト目で俺たちの方向を向いている。
「そ、そうね。私たちも食べましょ」
「う、うん」
こんなのでこの先やっていけるのだろうか……
そんな一抹の不安を覚えながらこの家での初めての朝食となった。




