五感と世界
お久しぶりな投稿です。
長い間投稿しなかったことをお許しください……。
今回の内容は少し短いです。小学生の時に感じた疑問で、まだひっかかっていますがなんとかわかりやすく言語化できたと思います。
もしよければ、最後まで見てくださいね。
私は人こそ恨むことはごくごく稀にあるが、世界を恨んだことはない。
私たちが認識している世界には人がいて、動物もいて植物がある。私たちはその中で近しい人たちと話で盛り上がったりすることや、動物や植物と触れ合って心を和ませたりしている。楽しいばかりじゃなく、たまにトラブルが起きて悲しむことも少しあって、楽しいと思えることの尊さを教えてくれる、ほどほどに愉快な世界である。そんな世界だから『生きててよかった』と思ったことは数えきれないくらいにある。しかし、それを黙って享受できるほどの賢さを私は持ち合わせていなかった。
小学2年生の時。私はトイレで用を足していた。トイレの個室の居心地の良さを全く知りたくもなかった当時はよくドアを開けたまま用をしていたので、母には何度も注意された思い出がある。
そんな時の私のブームは図鑑を眺めることで、内容は宇宙だったりミクロの世界だった。そんな図鑑でなんとなく消化していた知識は、大きなものの上にはさらに大きなものがいること、小さなものの下にはさらに小さなものがあるといった図鑑で学ぶ必要があったのかと不思議に思うような知識を得ていた。だから、私たちが宇宙はある巨大な生命たちの一つの細胞なのかもしれないとか、顕微鏡では見えないほどのサイズに宇宙が存在し、その中にきっと人間のような生物が暮らしているだろうみたいなことを妄想していた。
その日もトイレで似たようなことを空想して、終着点があればいいなと思っていたに違いない。しかし、いつもと違ったのは空想をしているうちになんとも言いようのない疎外感を感じたことだ。それが何だったのか当時の自分は上手く消化できずに、トイレで泣いた。そして、ズボンを上げることなくトイレを飛び出して母に抱き着いた。
当時の考えを正確にはっきりと覚えていないので、覚えている限りのことを話すと自分が現在、存在している世界の不確かさを疑問に思った。当時はどう言葉にしたらよいのか分からず、母に泣いている理由を聞かれても答えに困ったが、今なら何とかできそうである。
話を戻そう。疑問に思った理由がこの世界は誰かが存在していると保証したわけじゃなく、すべて自分の五感のみで感じているからである。吹いた風に肌が当たれば寒いと感じ、運ばれてきた焼きおにぎりが発する醤油の焦げた匂いで美味しいそうだと想像する。もし風を感じた時や匂いを嗅いだ時に、同じ場所に人がそれを伝えてくれたとしても目や耳で感じ取っていることになる。それがもし何者かに騙された感覚だとすれば気味が悪い。映画マトリックスで出てくる機械に夢を見せられていると言えばわかりやすい気がする。
とにかく、誰しもすべて五感頼りで生きているのははっきりしている。だからこそ、五感といった主観でしか感じ取れない世界はどうにも実在しているのか怪しい。この先、VRなどの研究が進んで、この世界を別の視点、五感以外で感じ、世界の全容を少しでも知れるといいなというのが今後の楽しみの一つである。
見てくださり、ありがとうございました。
ちょうど先月末は超短編を書くのにひいひい言っていたので、作文となると楽だろうみたいな高を括っていたのですが改めて難しさを知りました。両方難しいです……。
見切り発車は本当に良くない。
誤字脱字などがあれば、報告お願いします。
ではまたお会いしましょう。それでは!