蛇 (万作と庄屋 6)
秋の夕暮れどきでした。
山仕事からの帰り。
万作が山道をくだっていますと、薄闇から赤子の泣く声が聞こえました。
――こんな時分に?
万作が泣き声のする草むらに歩み寄ると、そこには生まれたばかりの赤子がいました。近くにだれもいないところからして捨て子のようでした。
――かわいそうにのう。
万作は裸の赤子を抱きかかえ、その足で庄屋の屋敷に連れていきました。
「このような乳呑児を山に捨てるとは、こまった親がおるものじゃのう」
庄屋は泣く子を抱き取りました。
「こげに泣いて、たぶん腹をすかせてるんじゃ」
「すぐにでも乳の出る者を探さねばな」
とはいっても、乳をくれるものなどがすぐに見つかりそうにありません。
二人が思案しておりますと……。
だれやら縁側の雨戸をたたく音がしました。
万作が外に出てみますと、薄暗い庭に若い女が立っていました。
「子の泣き声が聞こえましたもので」
女が気になるふうに言います。
「では、あん子の親なのか?」
「はい、乳を飲ませたくて来ました」
「そんなら早く乳をやるがいい。庄屋さんもこまっておったんじゃ」
万作は家の中に女を引き入れました。
「庄屋さん、赤子の母親だそうで」
「おう、思い直してよう来たのう。乳がなくて、こまっておったんじゃ」
庄屋が泣く子を女に渡します。
赤子は乳を飲み始めるとピタリと泣きやみました。
「なぜ捨てたのじゃ?」
庄屋が女に問います。
「この子を喰ってしまうんです」
女は涙ながらに話しました。
自分は裏山に住む蛇の化身である。赤子がそばにいると、どうしても喰いたくなる。だから泣く泣く捨てるしかなかったと……。
「なにゆえ我が子を喰わねばならん」
「わたしにもわかりません。ただ喰いたいという気持ちに強くかられてしまうんです」
「では、どうしてここに来たのじゃ?」
「腹をすかせてるのではと気になり、いてもたってもおられなかったのです。それで、あとを追ってまいりました」
「では捨てた子の近くにおって、万作が拾ったところを見ておったのだな」
「捨てたとはいえ、どうしても子のそばを離れられなくて」
「これからどうするのじゃ?」
「連れて帰れば、わたしはおそらくこの子を喰ってしまうでしょう。ですから毎晩、ここで乳を飲ませとうございます」
女は赤子に乳を飲ませ終わると、庄屋と万作にふかぶかと頭を下げました。それから二人の前で、その姿を大蛇に変えたのでした。
大蛇が地面をはって屋敷を出ていきました。
「庄屋さん、奇妙なことがあるもんじゃのう。こん子が蛇の子だとは……」
万作は眠る赤子をまじまじと見ました。
「なんの因果かしれんが、あの女になにごとかあったのじゃろうな」
「前の世でかのう?」
「前世か現世かはわからん。まあいずれにせよ、人が蛇になるなど、よほどのことでもなければあらぬことじゃろう」
「あん女、我が子を喰いたくなると。やっぱり蛇だからかのう?」
「おそらくそうであろうな。それもあの女の因果であろうが」
庄屋は大蛇の消えたあたりを見やりました。
毎晩。
女は乳を与えにやってきました。
ですが、しばらくしますと……。
訪れる日があくようになり、ひと月も過ぎるころにはまったく姿を見せなくなりました。
「なあ、庄屋さん。あん女、どうして来んようになったんかのう?」
「わけがあるのじゃろうよ」
「こん子を喰いたいんを、どうしてんがまんできんのじゃろうか?」
「それも会えば聞くことができる。のう、万作。女に会いに行ってみようではないか」
「どこにおるのかわからんが」
「赤子の泣き声を聞かせれば、また会いたくてあらわれるやしれん」
「なるほどのう」
さっそく二人は赤子を連れ、赤子が捨てられていた裏山へと向かいました。
半刻もすると……。
赤子の泣き声を聞きつけたのか、蛇は女に姿を変えて二人の前にあらわれました。
庄屋が女に問います。
「どうして乳を与えに来んのだ」
「わたしは蛇の化身でございます。それも人を喰う蛇でございます。ですから……」
「それほどに赤子が喰いたいのか?」
「赤子だけではございません。庄屋さん、万作さんも喰いとうございます」
「ワシらもか!」
これにはさすがの万作もおどろきました。
「お二人様には、我が子を助けていただいた恩があります。ですから……」
「そうであったか。ならこの子は、ワシらでなんとかしてやろう」
庄屋はうなずいてみせました。
女は赤子に乳を飲ませ終わると、二人の前にひれ伏して言いました。
二度と会いに来ないでくださいと……。
雪の降る日でした。
赤子が熱を出しました。高い熱が続き、泣き声も徐々に弱弱しくなってゆきます。
「こんまま死ぬんかのう?」
「そうかもしれんな」
息も絶え絶えの赤子を前に、庄屋と万作はただ見守るしかありませんでした。
そんなときです。
雨戸をたたく音がして、ひさびさに赤子の母親がやってきました。
「これは万病にきく薬でございます。その子に食べさせてください」
女は雪の上に赤いかたまりを置き残し、すぐに降りしきる雪の中に姿を消しました。
「なんじゃろう?」
万作がかたまりを手に首をかしげます。
「そいつは蛇の肝じゃ」
「では、あの女の?」
「ああ、あれを見るがいい」
庄屋が指さした先、雪の上には血の筋がくねくねと続いていました。
「我が子をなんとしてでも助けたかったのじゃ。おのれの腹を裂いてまでもな」
「じゃあ!」
万作はあわてて女を追いました。
ですが降りしきる雪に、やがて血の跡を見失ってしまいました。
その後。
赤子は子のない夫婦に引き取られました。
その子が蛇に姿を変えるという話は聞きません。
そして蛇の化身の女も、二度と姿を見せることはありませんでした。