7:城塞都市の姫君
「拝謁いたします」
謁見の間の端を、少年と妖精が出口へと駆けて行く。遠ざかる背中を見送って、イザベラは、赤絨毯の上で恭しく頭を垂れる少女へと視線を移した。
黒紫の豪奢なドレスを纏った少女だ。艶やかな黒髪に、透き通るように白い美貌が見る者を捉えて放さない。影のように背後に従える騎士たちを見るまでもなく、その佇まいが年若くも支配者としての風格を醸し出している。
白雪姫アンネローゼ――城塞都市シュネーケンの姫は、完璧な所作で女王を寿いだ。
「赤の女王、イザベラ陛下におかれましてはご機嫌麗しく」
「楽になさい、アンネローゼ」
イザベラは微笑んで少女を労いながらも、注意深くその挙動を窺った。
礼節を重んじるイザベラにとって、非の打ち所なく振る舞うこの聖女の義妹は憎からぬ存在である。しかしアンネローゼの方はそうではない。ヘンテコは嫌いと公言する白雪姫は、変わり者が多く住むノンノピルツを好ましく思っていなかったはずである。お茶会の招待があるとはいえ、これほど早くの来訪は予想外だった。
それに、アンネローゼは〝改革派〟――混乱する世界の鎮静と統治を目指す派閥の旗印であり、アリスとは対立の関係にある。イザベラにしてみれば取るに足りない相手だが、用心するに越したことはない。
「それにしても驚いたわ。正直なところ、あなたなら欠席したっておかしくないと思っていたのに、わざわざ顔まで見せてくれるだなんて」
「ふふ、そうしたいのはやまやまでしたが、事情がありましたもので」
お互いに軽口を飛ばして、アンネローゼが微笑んだ。この少女は笑声すら玲瓏として聞く者を心地よく惑わせる。
「陛下はラプンツェルを覚えておいでですか?」
「……ええ、あの髪長女ね」
口元がひくつくのをイザベラは自覚した。同時に、相手の言わんとするところを察する。
ラプンツェルは鉱山都市ピラカミオンを代表する姫である。魔法研究の栄えるノンノピルツが理論を重んじるのに対し、鉱山開発で発展を遂げたピラカミオンは実践を重んじる気風で、その性格の違いからこの二都市は昔から関係がよろしくない。
イザベラ自身も野蛮なピラカミオンの連中を毛嫌いしているし、その対立からなる感情をラプンツェルもまた強く持っている。
「彼女は絶対に自分からこの都市へ来たがらないでしょう。だから私が迎えて安心させてやらなくてはと、そう思ったのです」
ラプンツェルがアンネローゼを姐と慕っているのは誰もが知る話だ。たしかに、姐が赴いているとあっては、妹分が出向かないわけにはいかないだろう。要するにラプンツェルが折れる理由を作ってあげたというわけだ。
「そうだったの。優しいのね」
「そのようなことはございませんわ。アリスのためでもありますから」
「アリスの?」
意外な発言にイザベラは耳を疑った。この姫がそんなことを言うとは、どういう風の吹き回しだろう。
「アリスのためって、どういうことかしら?」
「……彼女は私にこう言いました」
内容を思い返すように一拍置いて、アンネローゼは薄紅の唇を開いた。
「『大事な話がある。他の誰が来なくても、アンネローゼにだけは来てほしい』……もちろん、口調は彼女らしい砕けたものでしたけれど、それはそれは強い願いでした。そして、それこそが出席を決めた最も大きな理由ですわ」
白雪姫の口振りに悪意は感じられない。そこにあるのは純粋な好奇心だ。
「そうまで誘われたら、私も気になるというもの。そしてせっかく呼びかけてくれたのですから、アリスの気持ちに応えるためにも、招待を受けた全員で参加したいと思ったのです」
そして早めに参上したのは陛下にご挨拶するためですと、とっておきの賛辞のように理由に挙げた少女に、イザベラは表面上は変わらぬ微笑をたたえていたが、内心では叫び出したい衝動に駆られていた。
(『大事な話』ってどういうことよ!)
不在のアリスの代わりに進行を務めるつもりだったイザベラだが、早くもその心算が狂ってしまった。大事な話とやらの内容がわからなければ会合の進めようがない。アリスに問いたださねばならないが、もしそれが、彼女が忘れてしまったあの地図のことだったりしたら――
「それはそうとイザベラ様」
「え、ええ」
焦燥を押し隠し、イザベラは微笑で白雪姫に応じた。
「何かしら?」
「つかぬことを伺いますが、先ほどここを出て行ったのは、アリスの騎士でしょうか? 黒い服を着た」
「ああ……」
ファルクの姿を目の端で捉えていたらしい。訊ねる表情が一瞬、姫のそれから普通の少女に変わったように見えた気がして、イザベラは小さく首を傾げた。
「ええそうよ。彼がどうかしたかしら?」
「いえ、少し気になっただけですわ。何でもありません」
そう答えると、アンネローゼは目礼した。
「それでは、これからラプンツェルを迎えに行かねばなりませんゆえ、私はこれにて失礼させていただきます」
「会えて嬉しかったわ。また後ほどお茶の席でお話しましょう」
最後に微笑を交わしてアンネローゼが踵を返す。その後に続いて騎士たちが謁見の間を後にするのをイザベラは眺めていたが、ため息をついて椅子から降りた。
「ああもう、面倒くさいんだから」
ファルクがさっさとアリスを元に戻せば、こんな苦労もないってのに。
回廊を歩きながら、イザベラはしきりにそう呟いた。