3:導きの先
呼びかけに続いて、控えめなノックが聞こえてくる。
「ファルクさーん。もうすぐお昼ですけど、まだおやすみでしょうかー?」
「妖精か。いいところに来た!」
しっかりとアリスを抱えて、扉へ駆け寄る。エインセールにアリスを担ぐ手伝いは期待できないが、速く飛べる妖精は医官への伝令として適任だ。ドアノブをつかみ、大きく開け放つ。
「ひゃわわわわわっ!?」
開けたとたん、高い悲鳴がファルクを迎え撃った。
廊下にふよふよ浮いているのは、蝶に似た羽を背から生やした、手のひらサイズの妖精の少女――エインセールだ。驚愕いっぱいの顔を両手で覆った彼女は、悲鳴をようよう困惑交じりに言語化する。
「な、ななな、何をやってるんですかファルクさん!」
「はぁ? お前こそ何を言って……」
反論しかけて、ファルクは今の自分を瞬時に客観視した。上半身裸の男が眠った姫を抱えてベッドのある部屋で二人きり……いかがわしい連想を誘発するには充分な状況だ。
「くだらない邪推はよせ」
誤解に付き合ってる場合じゃない。声を荒げて、腕の中のアリスを見せつける。
「アリスが倒れた。俺が運ぶから、お前は至急、このことを医官に知らせろ」
「ア、アリス様が!?」
事態を認識し、エインセールの顔色がさっと変わった。
「でも、どうしましょう……医官の方はよく外出されてて、どこにいるのかも……」
ノンノピルツには変わった人間……いわゆる〝ヘンテコ〟が多い。その中には平気で仕事をサボって飲み歩くような不心得者もいるが、残念なことにここの医官もその例に漏れなかったようだ。
「……探すしかないだろ」
苛立ちのまま歯軋りしたいところをぐっとこらえて、ファルクは現実を見据えた。今は一分一秒も惜しい。
「導きのランタンだ。そいつで居場所を割り出そう」
「は、はい!」
エインセールが提げ持つランタンをゆるく掲げる。〝導きのランタン〟――使用者が望む場所への道を示すその魔法のアイテムは、淡いオレンジの光を纏うとひとりでに傾き、まるで指を差すように下へと繋がる階段に底部を向けた。
「この反応は! ファルクさん、近いです! 医官さんは下にいます!」
「でかしたぞ妖精!」
不幸中の幸いだ――飛び出したエインセールを追って、ファルクも廊下を蹴立てた。幅の広い、ゆったりしたカーブを描く階段を、跳び降りるように一階まで駆け下りていく。
「こっちです!」
そこは広い空間だった。中央を赤い絨毯が縦断し、入口からこの城の主の椅子までを繋いでいる。磨き抜かれた床面を彩るのはスペード、ハート、ダイヤにクラブ――トランプカードの四種の紋様で、特に窓にもデザインされているハートの形が鮮烈な印象を与えてくる。
ハートの女王が住まいしフレノンノ城、その謁見の広間だ。会合の準備のためかそれなりに人の行き来する広間を、エインセールは玉座へ向かって飛んでいく。
もしや医官は女王と話してるのだろうか……少年の頭にそんな考えがよぎったとき。
「ファルクさん、ここです!……って、あれれ?」
目的地に到着した妖精が素っ頓狂な声をあげた。
ランタンはここがゴールだと言わんばかりに真下を眩く照らしている。しかしオレンジの光を浴びているのは医官ではない。そこにいるのは赤いドレスに身を包み、赤い王冠をちょこんとかぶって玉座に腰掛けている小柄な女性だ。
女王イザベラ――魔法都市に君臨する城主の姿に、ファルクは失望のため息をもらした。つかつかと玉座に歩み寄るやアリスを片腕で抱え直し、女王の頭上でうろたえているエインセールをむんずと掴む。
「誰が女王を探せって言った。こいつがいたところで何の役にも立たんだろうが」
「わ、私はちゃんと医官さんを探しましたよ~。でもランタンが~!」
ファルクの手の中で、エインセールが涙目になってじたばたともがく。決してきつく締められているわけではないが、いつ怒りのまま力が込められるかわかったものではない。
「誰が役立たずよ、誰が」
ファルクの手から力が抜けた。拘束から脱出したエインセールが頭を巡らせると、イザベラが、先端がハート形の王笏をファルクの後頭部に叩きつけている。
「何をしやがんだ女王!」
「お黙り! 女王は何をしても許されるの! だいたい、あんたさっきから失礼なのよ!」
ばっと振り返って吠えたファルクに、イザベラは再びワンドを上下させた。再度の打撃を受けた少年が頭を押さえて呻くのを眺めながら腕を組む。
「それはそうと、アリスが寝ているところを見るのは久しぶりね」
さも珍しい物を見るかのようにイザベラは目を細めた。やがて、幼さを残した麗貌の眉間に皺が寄る。
「普段は一睡もしないくせに、よりにもよってこんなときに眠るだなんて」
「イ、イザベラ様、そのことですけど、大変なんです!」
ややご機嫌斜めな様子の女王に、エインセールは早口に事情を切り出した。
「アリス様が倒れられたんです! それで医官さんを探してたら、なぜだかここに着いてしまって――」
「ふーん……」
慌てふためく妖精とは対照的に、姫に起こった異変を聞いてなお女王は平然としていた。まるで無関心のように掌中でワンドを弄う。
「まあ、大丈夫でしょ」
「だ、大丈夫って、そんなあっさり!?」
「頭を打ったわけでもないみたいだし、体に異常は見られないもの。普段の方がおかしいくらいよ」
「おい、勝手に判断すんな」
事もなげに言ってのける女王に、ファルクが食ってかかった。視線に棘が含まれているのは決して二回も叩かれたからだけではない。
「倒れる前、こいつの様子は明らかに変だったんだ。おい妖精、もう一度ランタンで――」
「そのランタンがあたしを指したのなら、必要なのは医官じゃなくてあたしだったってことよ。そんなこともわからないの?」
嘆息とともに少年の発言を制すと、イザベラはスカートの裾を翻した。彼女の足は回廊へと向いている。その先にある部屋といえば、アリスの研究室兼寝室だ。
「でもいいわ。面倒だけど、そこまで言うならちゃんと診てあげる。ついていらっしゃい」
イザベラは手招きをしかけて、ファルクに対しては追い払うように手を振った。
「詳しい話もそこで聞くわ。ただ……あんたは先に服を着てきなさい」