25:ヘンテコ姫の復活
「ちょっと、何やってたのよ! 遅いじゃない!」
安堵の息を押し隠しながら、イザベラは転移魔法の白光から飛び出してきたファルクに叫んだ。
「ちゃんと解決策は見つけてきたんでしょうね?」
「もちろんです!」
元気よく返事をしたのは、ファルクの肩につかまっているエインセールだ。なにやら決意を秘めたような表情で、お姫様抱っこをされているアリスを見下ろす。
「アリス様、今すぐ元に戻して差しあげますからね!」
「それよりエインセールさん、あなた、どうしてそんなにベトベトしてるんですか……?」
「そのあたりは気にしない方が良いと思います!」
「つべこべ言ってないで、さっさと口を開けろ」
視線で敵の動きを牽制しながら、ファルクがぶっきらぼうに命令した。
「やれ、妖精」
「アリス様! 覚悟してください!」
エインセールが肩から飛び降りた。
ダイブの着地点であるアリスの口めがけ、頭から突っこんでいく。
「え、ま、待っ――」
薄々嫌な予感はしていたのだろう。頬を引きつらせながらアリスが何か言いかけたが、もはや言葉にならなかった。問答無用で口の中に入ってきた妖精にもごもごと声を濁らせる。
「ひどい光景だな……」
ファルクがそっと目を逸らした。
アリスが目を白黒させているなか、エインセールが口から這い出た。
「ぷはっ。や、やりましたよファルクさん」
快哉をあげてエインセールが羽をはためかせた。蜘蛛の粘糸が取れて自由に動かせるようになったのだ。なにかを成し遂げた者特有の晴れ晴れとした顔で、目を背けているファルクに報告する。
「ようやくベトベトから解放されました~。うう、短い間だったとはいえ、とても辛い時間でした……」
「良かったな。けどまあ、あんまり寄るなよ」
「まだ嫌がられてます!?」
「取れたといっても、アリスがちょっと舐めただけだからね。あとでちゃんとシャワー浴びないとね、エインセルセル」
ころころとした笑い声に、少年と妖精が姫の顔を見直した。
「なんだか初めてファルクと会ったときを思い出すなぁ。あのときも、魔物からアリスを助けてくれたよね」
さっきまでと同じ顔――しかしそこに生真面目そうな雰囲気はどこにもない。あるのは、世界のすべてに楽しみを見出しているかのような屈託のない笑み。
〝ヘンテコ姫〟アリスの顔がそこに戻っていた。
「おかえり――それともただいま、がピッタリかな? ともかく、二人ともありがとう! アリス、ばばんと復活なのです!」
「アリス様~! 元に戻られて本当に良かったです!」
「思った通り、あのウサギの洗脳と同じだったようだな……」
腕の中の姫に、少年がふっと口元をゆるめたとき。
『――――!!』
巨大な魔物――一角兎が咆哮をあげた。
その額には血が滴っている。先ほどアリスに攻撃した刹那、横合いから割りこんだファルクに切り裂かれたのだ。
「アリス様、実は、魔物たちの目的が何かはわかってるんです」
怒りを伴って吹きつける波動に、羽が震える。
険しい表情でそれに耐えながら、エインセールはここまでなかなか言えずにいた情報について切り出した。
「あの魔物たちは」
「ウサギさんが狙いかな?」
「アリス様と一緒にいた仔ウサギを狙って、って、ええええ!?」
顎が落ちそうなくらい驚愕する妖精に対し、アリスは「当たった?」とでもいうような悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ど、どうしてご存知なんですか?」
「んふふふ~。ううん、知らなかったよ? だけど、ここまで起こったことから論理的に考えてみたのです」
ファルクの腕から降りながら、アリスは得意げに胸を張った。そして、きょろきょろと辺りを見回す。
「さっきのどさくさで、またあの子、逃げちゃったみたい。エインセルセルは、アリスと探すのを手伝ってくれる? ファルクは――アリスたちが戻って来るまで、おっきなウサギさんと遊んどいてね」
てきぱきと指示を下すやいなや、アリスはさっと踵を返した。
「何をしてるのアリス、早く戻りなさい!」
「イザベラ様ごめーん、すぐ戻るからね~」
女王に軽く返しながら、エインセールを伴ってアリスが駆けていく。
その後ろ姿が建物の陰に消えるまで待って、ファルクは息をひとつ吐いた。
「遊んどいて、か。軽く言ってくれやがって」
だが、実にあいつらしい。
ファルクは瞑目した。わずかな時間を経て開かれたとき、その瞳には先ほどまでよりも強い光が宿っている。
「待たせたな。今日はお前のせいで、散々な目に遭った」
いや、自分だけじゃない。アリスに、エインセール……
この魔物は、決して手を出してはいけない者たちを苦しめた。
「礼をさせてもらうぞ」
双剣の騎士と一角兎が、互いをめがけて地を蹴った。
「結論から言うと、アリスがおかしくなっちゃったことについては、あの大きいウサギさんは関係ないのです」
〝導きのランタン〟が仔ウサギの逃げた方角を照らしている。
その光に従って城壁沿いに移動する途中、アリスがそう切り出した。
「ずっと考えてたんだよね。なんで変になっちゃったのかなって。それで思い返したら、デザート食べた直後に変になってたのがわかったの」
「デザート? ああっ、まさかそれって!」
巨大兎に食べさせられた果実を思い出し、エインセールがハッと手を打ち鳴らす。アリスは知らず知らずのうちに、あの洗脳の果実を自ら食べてしまっていたということか。
そう考えたところで、妖精は首を捻った。
「でも、どうしてアリス様のデザートにあの果実が……?」
「混ざってたか、だね。その理由、アリスは一つだけ仮説を考えてるよ」
アリスは自信たっぷりに微笑んで、唇の前に指を一本立てた。
ランタンの橙光がひと際明度を増していた――城壁と花壇の間の日陰を照らしだす。
「見ぃーつけた! ほーら、怖がらなくていいよー」
日陰に隠れるように縮こまっていた仔ウサギのそばに、アリスはそっとかがんだ。無造作なようでいて、怯えさせないように、かつ退路を狭めるように陣取ってるのが計算高い。
「ふふ、残念残念、アリスはもうキミの言いなりにはならないよ。でも危ないことをする気はないから安心してね」
「へ? 言いなりって……その子がアリス様を洗脳してたってことですか!?」
「ぴんぽんぴんぽーん! そういうことなのです」
妖精に口笛でファンファーレを送って、アリスは仔ウサギに手を伸ばした。
「この子を見つけたときのこと覚えてる? この子はマナガルムに睨まれて、震えてた。その直後にアリスたちに捕まった。おとなしく見えたけど、あのとき『もうダメだ』って思ったのかもしれない。それで、アリスたちの中で一番強い人を洗脳しようとした」
マナガルムを倒したのはファルクだが、そのファルクを従えているのはアリスだ。仔ウサギの目からも強弱の図式がわかったのだろう。
「『自分を捕まえた強い人を味方にしたら、自分は安全になる』……たぶん、そんなふうに考えたんだと思う。あるいは、そうやって生き残るように教わってたのかも。あの果実は、一種の〝お守り〟だったってわけだね」
アリスの横顔が、少し寂しげに翳った。
「それからアリスの目を盗んでデザートに果実を混入して、あとは食べるのを待つだけ……。そんなことしなくてもよかったのにね。でも、この子はそのくらい怖がってたんだよね……気付いてあげられなくて、ごめんね」
アリスの細い指が、子ウサギの頬に触れた。
その様子を見ながらエインセールは思い返す。眠っていたアリスを起こしたのは、この仔ウサギだった。
それからずっとアリスのそばにいたのも、彼女を洗脳していたがゆえのことだったかもしれない。
でも――
「だいじょうぶですよ、アリス様」
姫の曇り顔に、エインセールは優しく微笑んだ。
「洗脳が始まりでも、一緒にいるうちにアリス様が優しいお方だってこと、きっと伝わっていると思います」
想いに触れれば、心は動く。
今日だけで、いくつもそれを見てきた。
「今までと同じように接してあげてください」
「……うん。ありがとう、エインセルセル」
翳りを拭うように笑顔を見せて、アリスは仔ウサギのお腹に手を回した。
抵抗はなかった。まるで家に帰ったかのような安堵すら感じさせて、仔ウサギは姫の手中に身をゆだねた。
「これでバッチリ確保、だね」
「はい! あとはこの子を、巨大兎から守り抜くだけですね!」
「守り抜く?」
妖精の発言を繰り返して、アリスは目を瞬かせた。
「ううん、それは違うよ、エインセルセル。この子は――」
その瞬間、轟音が姫の発言にかぶさった。
何かが崩れるような不吉な音に、アリスとエインセールが弾かれたように音源の方角を見やる。
そちらは、先ほどまで彼女たちがいた辺り――
今、ファルクが戦っているであろう場所だった。




