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23:姫と少年の出会い

 最初は、自分がどこにいるのかわからなかった。

 右手に提げるバスケットを見て、ファルクはようやく、父親にお弁当を届けに行く途中だったのだと思い出した。

 遅くなってはいけない。ファルクは歩き出した。

 進むたびに、彼が着るぶかぶかの黒い外套コートがシュネーケンの石畳に引きずられる。長い裾で歩道を掃除しながら、ファルクは騎士団の演習場に到着した。

 いつもは塀の外まで訓練の掛け声が聞こえるが、さすがに昼時となると静かだ。人影もまばらな野外演習場を横目に兵舎に向かう。

 その足がぴたりと止まった。

 演習場に数人の騎士がたむろしている。そのうちの一人がおもむろに地に手をつき、他の騎士たちに頭を下げた。年嵩としかさの騎士たちがその姿をにやにやと見下ろし、ファルクの位置からはよく聞こえないが、たまに何か言っては土下座する騎士の肩を足蹴にして、また笑う。

 繰り返すうちに満足したのか飽きたのか、年嵩の騎士たちは兵舎へと帰っていった。土下座していた騎士も立ち上がり、兵舎へと歩きだしたが、ふとファルクに気付いて立ち止まった。

「来ていたのか」

 歩み寄って来た騎士――父親に、ファルクはバスケットを差し出した。母親の伝言も添える。

「ありがとな。もう帰っていいぞ」

 受け取った父親はそれだけ言って、兵舎へと踵を返した。

 いつもと同じ素っ気ない言葉が、今日はいつもより哀しくファルクには感じられた。

 ――父親が団の中で孤立しているとファルクが知ったのは、それからしばらく後のことだった。

 誰とも馴れ合わず厳しい性格の父のことを、団員たち、特に団長は鼻持ちならない奴と感じていたらしい。父が騎士としては優秀なことも、反感に拍車をかけていた。

 団長は何かにつけては父に仕事を過剰に回すようになり、わずかでもミスがあれば強く責任を追及した。それどころか自らの失態の責任まで押しつけていた。

 そんな環境だというのに、父は異議も唱えず、黙って受け入れていた。上官に罵倒されても足蹴にされても、騎士の職務で挽回せんとばかりに耐えていた。

 その姿をこっそりと窺うたびに、ファルクは父親の、ある種の意固地な性格を意識せざるをえなかった。そういう生き方しかできない人なのだ、とも。

 そんな父親を見ているのは嫌な気分だったし、見ているしかできない自分も嫌だった。

 力ずくで止められるなら話は簡単だが、そうすれば報復が待っている。ファルクの家がそれなりの名家でも、それは他の騎士たちも同じことだ。それどころか上官など、都市内でも権威ある名家の者ですらある。

 逆らった奴はどうとでも処分できる。だから連中は、何も恐れず部下をいびっているのだ。

「権力さえあれば守れる」

 陰湿な演習場にファルクは背を向けた。遥か先にそびえる白亜の城を見上げる。

 自分よりも上の権力が苦しめてくるというのなら。

「だったら、さらにその上に立ってやる……!」

 そう呟いた瞬間、周囲が暗くなった。

 城も、街も、なくなっている。

 いつしか、ファルクはどこかの森で雨に打たれていた。

 両手の双剣からは血が雨と混ざって滴り、足下には狼の魔物マナガルムの死骸。ぶかぶかだった黒外套はくたびれていたが、今は体にぴたりと合っている。

 父の下で何年も修行を積み、単独で魔物と渡り合えるだけの力を身につけた。

 しかしその力は、決してファルクの心を満たすものではなかった。

「そんなに強いのに、キミは騎士にならないの?」

 突然の問いかけは、雨音の中でなお楽しげに響いた。

 声に振り向くと、少女がいた。カラフルな傘を広げる金髪の少女。多くの戦士たちを従える、魔法都市の姫。

「俺は強くない……騎士になったって、俺の夢は叶わない……」

 欲しい強さは、現実を意のままにする力だ。目の前の少女が持っているような力だ。

 いくら魔物を倒せても、大切なものを守れない力に価値はない。

「騎士なんかじゃダメだ……俺は、お前たち姫や、王族に並ぶ権力が欲しいんだ……!」

 血を吐くようにファルクは声を絞り出した。

 誰からも嗤われ、無理な願いだと断ぜられた、自分自身を支えるたった一つの想い。

 誰に打ち明けても同じ反応が返ってくる、そう思っていた。

 だから、彼の想いを聞いた姫がお腹を抱えたとき、ファルクの中で何かが揺らいだ。

「なにそれ~おっもしろ~い!」

 その笑い声は、嘲笑ではなかった。この少女は、ただ純粋に面白がっている。

 同じ笑われているでも、嫌なかんじがしない。

 ファルクは少女の姿から目が離せなかった。

「前例のないチャレンジ! アリスはそういうの好きだな~。でもね、キミのそれは夢とは言えないと思う」

「……」

 夢とは言えない。そう言われても仕方ない、とファルクには思えた。

 気付いてはいたが、認めたくはなかった。けれど、もう意識せざるをえなかった。

 この夢が叶う道なんて、どこにもないのだと。

 少年の体がガクリと崩れた。家を飛び出てから歩き通しで、脚がもう限界だった。尻餅をつき、濁った水が跳ねる。

「――だって、夢は目覚めといっしょに消えちゃうから。キミが目指すものは、そんなに壊れやすいものなのかな?」

 雨がやんだ気がした。

 少女が傘を差し出したのだと気付いたときには、彼女はドレスが泥に汚れるのもいとわず、ファルクと同じ目線にしゃがみこんでいる。

「夢は遠くて、優しくて、でも手が届かない。キミの気持ちは違う。辛くて、苦しくて、でも叶える道を無理やりでも切り拓いていく。それは夢じゃない。それは人が『希望』って呼ぶもの」

 少女が手を差し出した。

「ねえ、アリスも手伝っていい? キミの願いが実現する瞬間、アリスも見たいなぁ」

 雨がやんだ。

 立てないくらい苦しかったのに、今はとても体が軽い。

「そうだ、だから俺は、お前に仕えた」

 協力してくれるからだけじゃない。

 自分の心を満たしてくれた少女の手を、ファルクは握り返した。

「だから俺は、たとえヘンテコでも、お前を元に戻したい」


「ファルクさん、しっかりしてください!」

 耳元の呼びかけにファルクは飛び起きた。

 暗い。それと胸が痛い。起き上がったダーチュラに殴り飛ばされて、断崖から落ちたところまでは覚えている。

 よく生きていたものだと思いながら見上げれば、少し上がったところに崖の縁があった。

 どうやら幸運にも、途中に突き出ていた岩場に落ちたらしい。落下地点がわずかでもずれていれば、間違いなくさらに下まで真っ逆さまだったろう。

「良かった、目が覚めて……ファルクさん、ご無事ですか?」

 すぐそばで涙声。ファルクの肩に粘液まみれのエインセールが乗っている。

 怪我をしている様子はない。殴られたあの瞬間、とっさに抱えこんだかいがあったというものだ――素早く確かめると、ファルクは立ち上がった。

「あまり動くな、ベトベト妖精」

「好きでベトベトになってるんじゃありません!……って、まだ動いちゃダメですよ!」

 双剣を鞘に収めて岩肌に手をかけた少年に、エインセールは慌てて制止の声を飛ばした。

「ほら、フラフラしてるじゃないですか! せめてもう少し休まないと……」

「そんな暇はない」

 振り払うようにファルクは言い返した。

 安静にすべきダメージなのは自覚している。体の中は締め付けられているように痛むし、視界は妙に揺れる。

 だが止まってはいられない。休むのは、アリスに薬を届けてからだ。

「……妖精、俺はどれだけ寝てた?」

「え、えっと、一分もたってないですけど……」

「そうか」

 長い夢を見ていた気がするが、助かった――ファルクは安堵に口元を綻ばせたが、真上からの異音にまた固く引き結んだ。

「逃がす気はない、か……」

 少年が見上げた先、崖上からこちらを覗きこんでいるのはダーチュラだ。こちらを捕捉した大蜘蛛が口周りを蠢かせている。

 用を済ませた以上、大蜘蛛にかかずらっていられない。しかし真上に陣取られては避けることも不可能だ。さりとて戦うには状況が不利すぎる。

 ファルクが苦慮する間にもダーチュラは糸を吐き出すべくこちらに狙いをつけている。迫る危機に少年は歯噛みして――ふと、洞窟に反響する金属音に気が付いた。

「な、なんだ?」

 だんだん近付いてくる硬質の響き。それが複数人による剣戟と足音だと気付いたのは、甲冑をまとった騎士たちがダーチュラに躍りかかった瞬間だった。

「シュネーケンの騎士団! どうしてここに!?」

 エインセールが叫ぶ間にも、強襲を受けたダーチュラは崖際で大きくよろめいている。そこへさらに大槌メイスのスイングが直撃し、それがとどめとなった。脚を踏み外し、大蜘蛛は深い闇に転がり落ちていった。

「そこにいるのか、ノンノピルツの騎士! 無事か!?」

 メイスを振るった騎士がこちらを見つけ、崖上から手を差し伸べた。かぶとで顔は隠れているが、その野太い声には聞き覚えがある。

「あ、ありがとうございます。ひょっとして、守備隊長さんですか?」

「いかにも、グラントだ」

 騎士が鷹揚に頷いた。太い腕でファルクたちを引き上げながら、妖精の姿に怪訝そうに唸る。

「おや、なにやらベタついているようだが、大丈夫なのか?」

「……どうして、あんたたちがここに?」

 問いに答えぬまま、崖上に這い上がったファルクは周辺を見回した。

 蜘蛛の群れは騎士たちによって半ば駆逐されていた。魔物の姿はほぼなく、安全と呼んでもいいくらいの環境になっている。

 だが、どうして騎士団がここに来たのだろう。姫の護衛に向かうのではなかったのか?

「案ずるな。シャイト様から話を伺い、ノンノピルツには本隊が急行している。ここに来たのは守備隊の一部だ。貴殿の援護をするためにな……それと、これを渡しておく」

 野太い微笑とともにグラントが懐の道具袋から魔法石を取り出した。それがたたえる青い輝きに、少年と妖精がともに息を呑む。

「使い方は知っているな? 一刻も早く、姫の守護に向かうといい」

「ありがとうございます。とても嬉しいですが……どうしてここまでしてくれるんですか?」

「貴殿たちは恩人だ」

 この魔法石は決して安いものではない。声を震わせるエインセールだったが、対するグラントは笑い飛ばすように答えた。

「命令だったとはいえ捕縛しようとしたこと、その謝罪も兼ねている。どうかご容赦願いたい」

「あんたが謝る必要はないだろ」

 堅苦しく頭を下げる守備隊長に、ファルクは首を振った。

「命令を遂行するのは仕事だからな。それにあんた、ひょっとして、本気で俺を捕まえるつもりはなかったんじゃないか?」

 最初に逃げる猶予を与えてくれたことや、ファルクが流した誤情報に乗って都市の封鎖を解いたことなど、捕縛するつもりにしては甘い点が目立つ。

 任務の都合上、捕まえようとするふりをしていた――そんな見方もできた。

「なんのことかは知らないが、その件は口外しないでもらえると助かる」

 声量を抑えてグラントは言った。言いながら、近くにいる騎士団員たちがこちらの会話を聞いていないのをさりげなく確認している。

「任務に私情を挟んで部下を振り回した――そんなふうに誤解・・されてはたまらないからな」

「たしかにそんな上官は願い下げだな」

 言葉とは裏腹にお互いの口調には微笑が混じっていた。両者が固く握手を交わす。

「謝罪に口止め料が加わったと考えても、これは破格だな」

 手が離れたとき、ファルクの手の中には青い魔法石――〝大妖精の転送石〟が収まっていた。

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