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17:追憶の邸(一)

 積まれた木箱の最上段が重い音を立てて横に引きずられる。

 ファルクが背の鞘からそっと双剣を引き抜いた。見つかった瞬間にここを飛び出せるよう、少しずつ大きくなる隙間を全神経を尖らせるように注視する。

 隙間から住人の顔が見えた。

 そう認識したとき、エインセールは真上へと飛び上がっていた。ファルクが脱出する邪魔にならぬよう距離を置くべく飛翔する。

「あうっ!?」

 だが決意をこめた飛翔は、突然やってきた衝撃のせいでごく短時間で終わった。

 頭をしたたかに打ちつけて墜落した妖精が、何事かと涙目で見上げる。そこには伸ばされたファルクの腕があった。どういうわけか彼に叩き落とされたらしい。

「ななな、何してるんですかファルクさん!」

 恨めしく抗議したが、ファルクは足元の妖精にまったく反応を返さなかった。それどころか、明らかに発見されてしまっているというのに、険しい顔のままちっとも動く様子がない。

 無言で見つめる先は、同様にこちらを見つめている住人の顔だ。

 その年老いた住人はしばらく目をしばたたかせながらこちらを覗きこんでいたが、やがて何事もなかったかのように横を向いた。

「騎士様がた、ここにも誰もおりません」

 エインセールが耳を疑う間にも、老爺ろうやは虚偽の報告を重ねる。

「ほかに人が隠れられそうな場所もございませんが、次はどこをお探しいたしましょうか?」

「そうか、なら充分だ。ご協力に感謝する」

 騎士たちが礼を言うのが聞こえた。その後、老爺が見送ろうとしたのを騎士たちが辞退し、その足音が徐々に小さくなっていく。

「どうやら行ったみたいですね。それにしても……」

 耳をそばだてていた妖精がむむむと唸った。

 老人はたしかにファルクと目が合っていた。それなのにどうして、誰もいないなんて嘘をついたのだろう。ひょっとして老眼でよく見えてなかったのだろうか……

「って、ひゃわわ、ファルクさん!?」

 思案する妖精をよそにファルクは立ち上がっていた。エインセールが気付いたときには、木箱に手をかけてよじ登っている。そのまま体を持ち上げて頂上を乗り越えると、軽やかに芝生に着地した。その背にすぐエインセールも追いつく。

 その敷地は広かったが、手入れが行き届いていないのかところどころが荒れていた。敷き詰められた芝生も、ファルクたちが立つあたりなど乱雑に雑草が茂っている。やしきや門の周辺とは大違いだ。

 丁寧に整えられた門近くの芝生に、先ほどの老人が立っていた。小柄な体を礼服で包んだその老人が、こちらの姿を認めるや小走りでやってくる。

坊ちゃん・・・・!」

 掴みかからんばかりに、老人はファルクに取りすがった。

「いったい、どうされたのです。お召し物までひどいことに……。なぜ追われているのですか?」

「服はもとからだ。お前、まだここにいたんだな」

 問いには答えず、ファルクは老人の背後に建つ屋敷を見上げた。

 豪華ではあるが、人が住んでいるにしては暗く寒々しい外観の家屋に、深く息を吐く。

「全然気付かなかったな。この家、ずいぶん様変わりしたんじゃないか?」

「あれから、いろいろありましたもので……」

「えっと、ひょっとしてファルクさんのお知り合いなんですか?」

 気安く話しかけるファルクと、声を沈ませながらも目に優しい光をたたえる老人。二人の様子は親交の深い者たちのそれだ。

 緊張の糸がほどけた妖精の質問に、老人がたった今気付いたように眉を上げた。

「おや、妖精さんですかな?」

「ハロハロ! エインセールと申します。見ての通りのかよわい身ですが、ファルクさんのサポートを務めさせていただいてます」

「ああ。なかなか打たれ強い奴で、重宝している」

「えへへへ、って、さらっとかよわさを否定しないでくれませんか!?」

「ははは、可愛らしくて楽しいお嬢さんですな」

 うそぶいたファルクをエインセールが目を三角にして睨む。そんな二人に、老人は目尻のしわを深めた。

「当家の使用人をしておりますデフォンと申します。どうぞよろしくお願いいたします。ああ、坊ちゃんがお友達を連れて来たのはいつ以来でしょうか」

 感極まったようにエインセールを見つめていた老爺だったが、はっと思い出したようにファルクに視線を戻した。

「今日ここにいらしたのも何かの縁でしょう。どうか、どうか旦那様に会われてください。今は書斎にいらっしゃいます。わたくしが声を掛けに参りますので」

「よせ、じい。会う気はない」

 力説するデフォンを、ファルクは短く切り捨てた。自分の腕をつかむ老使用人の手をそっと剥がして、首を振る。

「会ったって、お互い嫌な気分になるだけだ。それにあいにく時間もない。これからすぐにでも都市を出て――」

 そこでファルクは言葉を切った。何事か思案するように顎に手を添える。

 数秒後、少年は落胆する老使用人の肩に手を置いていた。

「気が変わった。会おう」

「さ、さようですか! では」

「ああ、お前が行く必要はない。俺だけで行ける。その代わりに、何か軽く作ってくれないか。朝から何も食べてないんだ」

「なんと。ただちに用意いたします!」

 血相を変えたデフォンが大急ぎで屋敷へと駆けていく。大袈裟とも呼べる走りに、ファルクは口元をわずかに緩ませたが、すぐに引き締めて妖精を手招きした。

「なにポカンとしてんだ。行くぞ」

「ポカンとなんてしてませんよ! あの、ファルクさん。さっきから思ってたんですけど、ひょっとしてこのお屋敷って……」

 ファルクとデフォンの互いの呼び方、そしてやりとりを見れば、導かれる結論は一つだ。老使用人が消えた戸口へと向かうファルクが頷く。

「賢者が言ってたろ。ここがアイトツァーン邸だ」

「えっ、あの、調査が壁にぶつかったときに訪ねろっておっしゃってた……?」

 少年の返答は予想していたものとは違ったがエインセールを驚かせるには充分だった。妖精が思わずもう一度建物を見直す。

 オズヴァルトの助言にあった家……そう踏まえて観察すると、ただならぬ雰囲気を纏っている屋敷にも思えてくる。

「すごいですね……知らず知らずのうちにオズヴァルト様の助言通りになってます。騎士団に追われてる今は、まさに壁にぶつかってる状況ですもんね……。ところでファルクさん。たしかそのときすごく怒ってましたけど、中に入って大丈夫なんですか?」

「入るだけなら問題ないな。ここの家主に会いさえしなけりゃ」

 先刻のデフォンに対する発言が嘘だと暗に告げ、扉の前に立つ。無造作に押し開けると、玄関ホールが広がった。

 吹き抜けのホールは薄暗いが綺麗に掃除されていた。中央に上階へ続く階段を擁しており、ファルクは迷わずそこに足をかける。ホールをきょろきょろ見回しながらエインセールも続いた。

「広くて豪華ですけど寂しい雰囲気ですね……。そういえば、さっきデフォンさんが『友達を連れて来るのは久しぶり』って言ってましたけど」

「お前は友達じゃないぞ」

「ファルクさんにも友達っていらっしゃったんですね」

「殴るぞお前。さて、当主が書斎にいるうちに事を済ませたいが……」

 階段の途中、左右に道が分かれた踊り場の壁際には鎧騎士が立っていた。いや、よく見れば立っているのではない。鎧が壁に展示されているのだ。

「アイトツァーン家は代々続く騎士の家だったが、去年、当主が騎士の位を剥奪されてな。だからこうして使われなくなった甲冑が飾られてるわけだが」

 鈍い光沢を放つ骨董品のようなそれ――シュネーケン騎士団の鎧を、ファルクは無遠慮にノックするように叩いた。硬質な音が返ってくる。

「ふん、思った通りだ。使えそうだな」

「こ、事を済ませるなんて言うから、絶対悪いことをするんだろうなとは思ってましたけど、まさかそれを拝借するつもりですか?」

「拝借? それこそまさかだ」

 ファルクは鼻で笑った。

「貰っていく」

「い、言い切りましたね!? まったく悪びれもなく!」

「これを着れば連中に紛れこめる。賢者もそれを見越して、ここに寄るように言ったんだろ」

 市内の騎士たち、特に現在ファルクを追っている改革派騎士たちは同じ甲冑を装備している。彼らと同じ外見に変装してしまえば自由に動きやすくなるうえ、都市の外へ出るのも容易になるだろう。

 取り外そうと、ファルクが鎧の肩部に手を掛ける――

「そこで何をしている」

 左手の暗がりから誰何すいかが掛かったのはそのときだった。

 階段の先、二階左通路に人影が立っている。口元に髭をたくわえた壮年の男性だ。ステッキをついてはいるが背筋は伸びていて、服の上からでもわかる鍛えられた体躯といい細く鋭い眼光といい、こちらを見下ろす姿は睥睨へいげいする獣の王を彷彿とさせる。

 足音もステッキをつく音すらもなく現れた男に、少年と妖精が驚愕のまま声を詰まらせる。

「何をしていると訊いたんだ。聞こえなかったのか――ファルケイン」

 しんと静まり返ったホールに、再び男の低い声が響いた。

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