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二泊三日の予定だった旅行はハプニングにより、もう一泊延びた。
1日ゆっくりしたら美咲様の調子もだいぶ良くなったようだ。
本当に、美咲様が無事でよかった。
しかし、美咲様は本調子に戻るまでこちらに残るそうだ。
「みんな、私の不注意のせいで迷惑をかけて、本当にごめんなさい」
「そんな、迷惑だなんて……」
「そうよ。美咲が無事で何よりだわ」
男性陣も私たちの意見に同意するように頷く。
そんな私たちの様子に、美咲様の顔が歪む。
美咲様は一瞬だけ俯いてすぐに顔を上げる。美咲様は、微笑んでお礼を言う。
涙を見せないように堪えたのだろう。
私たちは美咲様に見送られて、美咲様の別荘を立った。
その際にちらりと、ヘタレと美咲様の様子を見たが変化はないようだ。
私たちを追い出したくせに。本当にヘタレ野郎だな。
私が軽蔑の視線を送ると、ヘタレはぶるりと体を震わせた。
どうだ、私の絶対零度の眼差しは。
悪役令嬢も真っ青になるくらい冷たかろう!
移動中、男性陣が盛り上がっている中、菜緒が小声で訊ねてきた。
「ねえ、聞いた?あいつ、帰ってくるんだって」
「まさか……あの?」
「そう、そのまさかなの。近々帰ってくるみたいよ。私は会うことはないだろうけど、凛花は会うんじゃない?」
「……どうかしら」
「まあ、これから余計に大変になると思うけど、頑張ってね?」
「菜緒、完全に他人事だと思っているでしょう?」
「あはは。ばれた?」
菜緒は可愛らしく舌を出す。
そんな可愛らしい仕草したって誤魔化されないんだからね!
「なにかあったら連絡して。愚痴とか相談くらいなら聞けるから」
「うん、頼りにしてる」
私は微笑んだ。
そうか。あいつ帰ってくるんだ……。
6年ぶりだなあ。いつ帰ってくるんだろう?
私は、窓の外の景色を眺めた。
それから何事もなく、夏休みが過ぎていった。
美咲様は元気になられたらしい。
私が会いに行くと、前と変わらない美咲様が笑顔で出迎えてくれた。
元気になられたようで、本当にほっとした。
そしてその時に美咲様は少し恥ずかしそうに私に報告をしてくれた。
「最近ね、なんだか昴が変なの。あ、変な意味ではないのよ?ただ、前より優しくなったというか……。なにか、あったのかしら」
ほほう。ヘタレも多少は頑張っているようだ。
私は余計なことは言わずに微笑んで、「まあ、そうなんですの」と言うだけに止めた。
変なこと言って美咲様を惑わせるわけにもいかないしね。
自力でがんばれ、ヘタレ野郎。
楽しい夏休みはあっという間に終わり、二学期が始まる。
そろそろ進路のことも決めていかなくてはならない時期になってきた。
私は人に教えることが好きなので、教員免許のとれる学部に入りたいと思っている。
まあ、実際に教師になるかどうかは置いておく。
両親とも話し合わないといけないことだしね。
二学期の始業式、なんだか教室がいつもより騒がしい。
いったいどうしたのだろうと、友達に聞くと、どうやらこのクラスに転入生が入ってくるらしい。
編入試験は難しいらしいのだが、その編入試験を楽々と突破した強者らしい。
むっ。私のライバルになりそうだな。テストは負けないぞ。
私が密かに闘志を燃やしていると、担任が気だるそうに入ってきた。
うちのクラスの担任は、お金持ち学校の教師としてどうなの?と思いたくなるような格好と雰囲気を持つ教師だ。
しかし、この教師、授業は面白いのだ。歴史の担当なのだが、その授業内容はわかりやすく、飽きない工夫がきちんとされている。
見た目に反して、授業への意欲は凄まじい。
しかし、授業以外のこと、特にHRはその意欲が激減し、めちゃくちゃ適当なのが玉に瑕なのである。
そんな担任が、気だるそうに出席をとったあと、気だるそうな声で、転入生を紹介すると言った。
クラスがざわめく。
転入生かぁ。どんな子だろう。
担任が「入れ」というと、きびきびとした動きで人が入ってきた。
女子が思わずというように息をのむ様子があちこちで見られた。
入ってきたのは、色素の薄い茶色いさらさらした髪に、光の加減によっては碧に見える不思議な黒い瞳を持った、人懐っこい表情を浮かべた少年だった。
背はわりと低めだ。
私は、彼の顔に見覚えがあった。
「えーと、初めまして。イタリアからやってきた、矢吹カイトです。中学に上がる前までは日本にいたので、日本語は大丈夫です。あ、あとこの髪は地毛です。父がイタリア人なので、そのせいです。よろしくお願いします」
彼は、人懐っこい笑顔で挨拶を締めくくった。
結構な数の女子が顔を赤らめている。
私は、彼と目線を合わせないように違う方を向くことにした。
関わりたくない。
しかし、そんな私の願いは、彼の能天気な一言によって砕け散る。
「あー!リンちゃん!リンちゃんだ!!変わってないなぁ。久しぶり!おれだよ、わかる?」
彼は満面の笑みを浮かべて私に近づく。
クラス中の視線が私に集まる。
うっ、視線が、痛い……。
「カイ……久しぶりね」
私は観念して、彼を真正面から見た。
彼はパァと嬉しそうな顔をして私に抱き付く。
「久しぶりだね!会いたかったよ、リンちゃん!」
彼はちゅっと私の頬にキスをする。
ああ、彼の悪い癖だ。ここはイタリアじゃないのだ。頬へのキスは挨拶じゃない。
そうやって昔から何回も言っているのに、直そうとしないのだ、彼は。
そんなところは、昔と変わらない。
彼、矢吹カイトは、私のもう一人の幼馴染み。
そして、トラブルメーカーでも、ある。
私の高校生活、またもや波乱が起きそうな予感がする。