倉庫作業
松田悟。S大経済学部の三年生。
ぐぬぅ、と内臓を絞っているような音が胃から聞こえた。正直、彼には興味が無い。違う。頼むから近寄って来ないで欲しい。
私を見つける度、楓ちゃん、楓ちゃん。楓も楓で、仕事から帰る度、松田さん、松田さん。ええ加減にせぇよ、ほんと。
まず、松田さんは就活頑張って早くここからいなくなって下さい。楓は楓で、勉強頑張ってね。松田さんと会うたび、し…と喉まで出かけて、仕事から帰る度、べ…と喉から…いや、楓には直接言っていた。
何で私がこいつらに挟まれなければならないのか。あの日の酒のせいだろうか、煙草のせいだろうか。
あれ依頼、煙草はなんとなしに吸っている。初めて吸った時、頭がクラクラしたのが心地良かったから。でも、もう慣れてしまってしないけど。
職場で吸っていても誰も気にはしないし、咎める人もいない。私が未成年に見えないのだろうか。それとも、他人のことなんて構っていられないほど、ここが忙しい場所だからだろうか。
まだ初夏とも言い切れない季節のくせに、倉庫はサウナのように蒸し暑い。窓やドアを全て開け放っているのに、風通しが悪い。
搬入口にトラックが到着すると、すぐに荷卸しの準備にとりかかる。具体的には、床に蝋燭の蝋を巻き散らすだけなのだが。
床の滑りを良くして、荷物を各コーナーへと振り分ける。たったそれだけの作業なのに、午前の仕事が終わるとクタクタになった。汗は止まらないし、搬入も止まらない。
そして響き渡るリーダーの怒鳴り声。何やってんだお前、頭使えよもっと。違う違う、こうするんだよ。そんな喚かなくとも、聞こえているのだが。
暑さと心拍数が、人間の冷静さを奪う。涼しい場所でリーダーと会うと、おだやかに、敬語混じりに話す人なのである。私はこのリーダーの二面性を理解するのに、一週間かかった。
午後になると、仕分けた荷物を配送する準備に取り掛かる。倉庫で組み立てた家具を梱包し、トラックへと詰め込む。
これも中々力仕事である。
「由良ちゃん、手伝うよ」
にやにやしながら言う松田に、結構です、と手短に断る。どうせ楓の話をしたいだけなのだろう。生憎、今の非力な私には話す余裕など無い。ただでさえ、女だからって舐められているのに、男の力を借りたくなかった。そして、ちゃん付けはセクハラになるので辞めて欲しい。訴えてやろうか…。そんな考えが過る。
「ねえ、由良ちゃん俺に冷たくない? 俺、なんかしたかな?」
ああしたとも! そう言う代わりに、
「3号トラック、荷詰め完了です!」
と、盛大に無視をした。ああ、うざったい。仕事しにきてるんだから、どうでもよくない? 大体何なの? 何で構うの? もうほっといてよ。
イライラしながら、水分と休憩を求めて涼しい事務室へと向かう。その間、松田は私に纏わりつく。階段から蹴っ飛ばして落としてやろうか…。そもそも、楓とあんたの色恋にあたしは関係ないっつーの。勝手にやってくれ。
「楓ちゃんに、これ、渡してくれないかな」
練り飴松田は、一枚の薄っぺらい紙を渡してきた。よくよく見るとそれは名刺であった。お手製の、白地の紙に大学名と学部、名前と電話番号、メールアドレスが書かれている。あ、これで私、松田から逃れられる。
「わかりました」
「由良ちゃんが持ってても良いんだけど、もう一枚要る?」
「いえ、結構です。ちゃんと楓に渡しておきます」
多分、顔面に気持ち悪いって書いてあったと思う。奪うように名刺を受け取ると、すぐに作業着のポケットに突っ込んだ。もう勝手にしてくれ。