呼森―komori―
「森が呼んでいるの」
そう言って、幼馴染のチサは向こう側に消えていった。
ボクが“向こう側”と呼ぶのは、自然を残そうって名目で人の手が加えられずにいる大きな森のこと。
西暦××××年。世界は完全に合理化されていた。
理路整然と整ったアスファルトの直線で形成された道、仕事も買い物も全家庭に設置されているインターネットで済むような生活・・・そんな中で失われたのが“自然”だった。
その自然の絶滅を防ぐために、政府はある一画の土地を古来そのままの森として残すことに決めたのだ。
それが、巨大な川の“向こう側”だった。
「チサ・・・」
橋も何も掛かっていないこの巨大な川を、渡る方法といえば船くらいしかない。
でも、“向こう側”は僕達が足を踏み入れてはいけない土地だから、船を出したりしたら街中の監視カメラによって直ぐに警察に見つかって捕まる。
だけど、チサは“向こう側”へ渡った。
ボクはチサがどうやって向こう側に渡ったのか覚えていない。
ただ、この川の畔に立って2人で話をしていて・・・急にチサが例の言葉を言ったんだ。
「森が呼んでいるの」
そして・・・そして、チサはどうやって向こう側に渡ったんだっけ?
ダメだ、思い出せない。そこから先は、思考に靄がかかっていて記憶がない。
覚えているのは、気付いたらチサがいなくなっていたこと。
「チサ、どこに行ってしまったんだ・・?」
呆然とボクはチサの消えた向こう側を見つめる。
そこで、そのことに気付く。
森が―――近づいてきていた。
ボクの目の錯覚か、はたまた幻覚か。
森の木々が、川を歩いて渡ってきていた。
そして、その森の先頭を歩く特に立派な木に・・・ボクは、ありえないものを見た。
「チサ!!?」
その木の幹と同じ色の身体で。
手足が木と溶け合っていたけども、それは間違いなくボクの幼馴染のチサに間違いなかった。
「チサ!!」
チサに届くように、ボクは必死に叫んだ。
『・・・ヤ、リクヤ・・・』
「!?」
ボクの脳裏に響いてきたのは、間違いなくボクを呼ぶチサの声そのもので。
それは、懐かしくて、懐かしくて、ただ美しくて。
「どうしてそんなことに!? 何があったっていうんだ!?」
『リクヤには言ったじゃない・・・』
「森が呼んでいるの・・・?」
ボクが呟くと、川を渡っている森達が風もないのにざわめいた。
「風が森林を駆け抜ける音」っていうのは音声ソフトで聞いたことはあったけれど、それがこんなに綺麗な音だなんて思わなかった。
近づいてくる森達の緑が、こんなに美しいものだとは知らなかった。
パソコンの画面の向こうにあっただけの自然を目の当たりにして、僕がどれだけ自然に対して知ったか振りをしていたことか!
いや、僕だけではない。
この世界の人間が全て自然に対して知った振りをしているだけなのだ。
分かったフリだけで、ボクたちは何も分かっちゃいなかったのだ。
『リクヤも行こう?』
「どこに行くの?」
チサは微笑んだ。
『自然は、森は、私達はこんな狭い世界では生きられないの。だから、人間の作った境界を越して元々あった場所に戻るの』
川の向こう側に追いやられていた木々たちは、己の本来の場所を目指して歩いていく。
―――ザザッ
木々が揺れる音―――森が、呼んでいる音。
「行こう」
『行きましょう』
美しい幹に溶け合って、僕等は世界を歩きだした。