第1話 通勤ラッシュ
朝、それも少し遅い朝。通勤ラッシュもピークを過ぎ、駅は落ち着きを取り戻している。
思うに人は、相対的な感覚に支配され、絶対的な価値や存在をないがしろにしながらも、このような落ち着いた時間に相対的な支配から逃れ、あるべき姿に戻るのだと思う。
あるべき姿、戻るべき場所。
どこにでもある風景は、人を落ち着かせる。しかし、そのどこにでもある風景は、決してどこにでもある日常ではない。
相対的な感覚に支配されている間は、人の視野は狭い。
人は五感を使う。或いはそこに付加される第六、第七の感覚があったとしても、視覚情報からは、ものの形、大きさ、色、硬さ、距離感、軌道、安定さ、無機物か有機物か、危険か安全か、敵意があるか好意的であるかなど、さまざまな情報を得ることができるし、脳はそれを一瞬のうちに処理をする。
しかし、相対的な感覚に支配されているときは、最低限必要な情報処理しかしない。重大なのは、その支配下においていかに自己を滅し、全体の中に溶け込むのか。流れに乗るかが重要であり、すべての能力はそこに特化される。
私はそれが嫌いだ。
かつてそのような生活を強いられていたときには、まるで疑問も持たなかったし、むしろ充足していたといっていい。
そんな私に大きな転機が訪れた。
何もなすことなく、何も築くことなく、何も犯すことなく、私はただ、社会の歯車としての役割にその身を預け、わずかばかりのゆとりを金で買い、社会の下層部に対しては優越感を感じ、上層部には劣等感を感じ、同階層には共感という妥協と協調という美徳に充分に満足していた。
欲しいものは手に入る
手に入らないものは欲しがらない
それで何が悪い
自分がどれだけちっぽけな存在であるかは知っているし、自分が誰かにとって無視できない存在であることを心のよりどころとしていることもわかっていた。
すなわち それは 私の思うところの『生きること』であった。
その異変に気がついたのは、それこそ偶然のいたずらであり、恐らくは、私の目に止まる前から、それはずっとそこでそうしていたのだと思う。『ずっと昔から』というほどでもなく、『昨日今日に始まったことではない』という程度では間違いない。それくらいにあいまいで、不確かなのに、それは確実に前からそこにあったのである。
通勤ラッシュ
玄関を出たときからそれは始まっている。
10階建てのマンションの4階に住む私は、まず、エレベーターにどれだけスムーズに乗れるのかからそれは始まる。ちょうど降りてきたエレベーターに乗れればいいが、10階から各階に止まり、満員になることもある。1階から上がってくる場合は、だいたい上の階までいってから戻ってくる格好になるから、その場合はいっそうのこと階段で降りたほうが早く着く。
新聞を取っていない私は、駅の途中にあるコンビニで朝刊を買う。そこでもレジに並ばずに買えることは少ない。電車に乗るにはだいたい一本見送り、列の先頭4人の中に入るようにする。私は幸い会社まで電車一本でいける。もし、乗換えがいくつかあるのなら、それはそれでまた、ひと手間もふた手間もかけなければならない。
会社の最寄りの駅に着いたら、今度はビルのエレベーターに並ぶ。事務所に入るとタイムカードを押すのに並ぶ。これでようやく一息つける。
月曜日から金曜日までこの作業を繰り返す。誤差は15分以内といったところだ。月曜日と木曜日は朝のゴミ出しがあり、水曜日は私が担当する部会の早朝ミーティングがある。3年前はミーティングが月曜日でゴミは火曜日と金曜日だった。もう、何年も同じことを繰り返している。
いや、何年も経っていなのかもしれないが、この先もかわることはないように私には思えていたし、それを望んでいたと言ってよかった。
通勤電車の中の風景は、あれだけの人がいながら、殺風景という言葉がもっとも似あう。それぞれが自分の存在をできる限り無機質化し、最小化し、感覚器官の感度を最低限に調整する。
もしもあなたが、注意深く目に映るものを観察したのならば、次の停車駅で降りたくなるかもしれない。なぜならあなたの目の前にいるひどくくたびれた男性の肩には、白いものや黒いものがちらちら見える。おそらくフケであり、抜け毛である。その首筋は汗と油でギトギトしている。
ふとした拍子にその男の体臭が鼻を突く。
仕方なしに鼻を曲げ、別の臭いで気を紛らわそうと横を見ると、そこには長い黒髪を頭の後ろで結わいたポニーテールの女性がいる。少し離れたところで見ればそれはとてもかわいらしい後ろ姿なのかもしれないが、彼女との距離――いや、ポニーテールとの距離はあまりにも近すぎて鼻の先がかゆくなる。
それだけならまだしも、そのポニーテールからはかすかにタバコのにおいがする。彼女が吸ったか、或いは身近な誰かが喫煙者なのだろう。
私はタバコのにおいが嫌いだ。
後ろから物音がする。
シャカシャカ、シャカシャカ、ドーン、ドド シャカシャカ、シャカシャカ、ドーン、ドド
ヘッドフォンからこぼれる音は、近づかなければ聞こえないし、ざわついた空間なら気にならないのかもしれない。しかし、私と――私の耳と彼のヘッドフォンまでの距離はわずか数十センチである。しかも車内には、音はしていても一定のリズムと決まった音色しかしないのですぐに聞き分けられてしまう。
シャカシャカ、シャカシャカ、ドーン、チッ、チッ シャカシャカ、シャカシャカ、ドーン、チッ、チッ
音楽は嫌いじゃない。いや、むしろ好きだし、人が何を聴こうと文句をつけるつもりはない――いや、本当はジャズこそが最高の音楽だということは誰にも譲る気はないのだが。
ドーン、ドーン、ドド、ドーン ドーン、ドーン、ドド、ドーン
仕方がなく私は中刷り広告に目をやる。本当は新聞を読みたいのだが、そのスペースを今は確保できない。あと二駅すぎれば、この状況から抜け出せる。
『SEX』『ヌード』『不倫』『疑獄』
ありふれた文字が並ぶ。
そこに見慣れないカタカナ英語がいくつかと、明らかに造語と思しき……それは多分はやり言葉だ。
タレントや有名人の名前が羅列してあるが半分は解らず、半分は昔からある名前だ。
なーんだ。世の中はちっとも変っていないじゃないか。
それを確認できたことに安堵する自分を忌むことも忘れて、私は小さなため息をついた。




