9: グレープフルーツ
あの黄色い果実は手に取るたび、少しの期待と、少しの我慢のような諦めのような気持ちを呼び起こす。
期待は多分、その皮を剥いた時に訪れるどこまでも爽やかなあの香りに由来するように思える。
要するにとてもとても好きな香りであるという事だ。
少しの我慢や諦めのような気持ちは……何だろう? 自分でもそれが何に起因するものなのか良くわからない。
予想としては、子供の頃にグレープフルーツを食べた時、あの酸っぱさとほのかな苦さが苦手だと思った記憶と結びついているのではないかと思う。
大人になった今となってはそれらを総合して美味しいと感じるのだけれど、それでも自分の中のどこかで過去の記憶が、それ酸っぱかったよ、と囁くような気がする。
だから、大丈夫きっと酸っぱくない、例えこれが美味しくなくても我慢しよう諦めよう、という過去の思い出を振り切るような気持ちなのかもしれない。
あるいはもっと単純に、この瑞々しい重たい果実が大抵三個入りであるという事実に対するものという可能性もある。持って歩いて帰るのはなかなか疲れるから。
とにかく私は夏場を中心に月に二回くらいはグレープフルーツを買う。
グレープフルーツを苦酸っぱいと主張する私の子供心の為に、買うのは大抵ルビーグレープフルーツだ。
赤みの強い、綺麗な色の果肉がとても気に入っている。黄色いものに比べて甘みが強く苦味が少ないのもとても美味しい。
子供の頃は黄色いグレープフルーツしかなく、貰ったり親が買ったりするそれを二つに割って、断面に砂糖をたっぷりかけてスプーンですくって食べるのがいつものやり方だった。
砂糖と混ざった果汁が最後に皮の底に残るので、それも残さず飲んだ。砂糖と酸味が程よく溶け合って、一番美味しい後のお楽しみだった。
大人になった今は、大き目の包丁でスパンと上下を切り落とし、そのまま皮をつらつらと剥いてしまうことにしている。
ちょっと勿体無いけど、薄皮とほんの少しの実も一緒に剥いてしまう。そうすると、あとは房と房の間に縦に包丁を入れるだけで、実が簡単に取り外せる。
手がべたべたになるけれど、部屋中に爽やかな香りが広がってたまらない気持ちになる。疲れている時に嬉しい香りだ。
すぅっと鼻から深呼吸して、胸の奥まで香りを深く吸いこんで。
もうそれだけでグレープフルーツを一つ食べたような気分だ。
取り出した果肉は口の広い瓶に詰めて冷蔵庫に入れ、二、三日かけて朝食に食べる。
朝の遅い自分が、それでも朝食にフルーツをと考えた苦肉の策なのだけれど、これが結構くせになっている。
朝、眠い目を擦りながら、赤い果肉とヨーグルトをもそもそと食べる。甘酸っぱさと爽やかな香りで、目が覚めて元気が出る。
最近肌荒れが少なくなったような気がするのが、気のせいじゃないと信じたい。