13: ノウゼンカズラ
花の下に立ちたい花、と言ったら、私の中ではノウゼンカズラと藤の花が一、二を争う事は間違いない。
ノウゼンカズラはその名の響きも字も好きだ。凌霄花、と書くが読めはすれど書ける自信はない。
あの花の色を見ると、夏が来たなと毎年思う。
小さな頃はあまり見かけなかったように記憶しているが、いつの頃からか、ふと気がつくと町のあちこちに植わっているのを見るようになった。きっと流行があったのだろう。
庭に長く植えているのだろう、あまり剪定せず大きく育てて木の勢いに任せている家などを見かけると外から飽きずに眺めたくなる。
奔放に育ったノウゼンカズラが塀の外にまで枝を伸ばして、オレンジ色の雫をポタリポタリと地面に落とす。
夏の日差しが落とす濃い色の影を切り取るような、鮮やかな花は青い夏空と強い日差しがとてもよく似合う。
長く下ろした枝に簪のように花だけが沢山つくので、そのままそっと切り取ったらブーケやレイになるんじゃないかと時々思う。
けれど残念ながらその花はとても脆い。ほんの少し風雨が吹きつけただけで次の日には地面にオレンジ色の絨毯が出来上がるほどだ。その脆さがまたいいのかもしれないけれど。
以前母にノウゼンカズラを植えたいと言ったことがあるのだが、母はこの花があまり好きじゃないと言うので仕方なく諦めた。母とは花の好みが今ひとつ合わないのが残念だ。
実家の庭は広いのだが、そこは両親のものであるので二人が好きじゃないものを無理をして植えるのは気が引ける。
だから毎年人の家の庭を羨ましく眺めるのみだ。
けれどそうして羨ましさを抱えて見つめると、目に映る花が一層美しく愛しく思えるのも確かなような気もする。手に入らないからこその華、という訳だ。
今でも夏になると、時々カメラを持って出かけて人の家のノウゼンカズラの写真を撮る。
古い家の木の塀から重たそうに枝を垂らす様が何とも言えず好きだ。
気がつけばノウゼンカズラはいつのまにか、私にとって何よりの夏の花になっていた。
大きなノウゼンカズラの木の下で、花が落ちてくるのを待ちながら昼寝でも出来たらきっと幸せなことだろう。
段々と春の色になってきた空を眺めながら、今年も夏の空を彩るだろう我が高嶺の花を想う。
これはこれで、ある意味幸せな事かもしれない。