魔法少女7
「ミソノさん!」
場外に落ちた相手に対して、リングの上で決着をつけようとするレスラー。そんなフェアプレー精神よろしく、ミソノはその魔界の亡者を魔法円から引っ張り出した。
魔界の亡者相手に随分と紳士的な態度だった。
幽き者はやはり不気味な皮膚の塊だ。
今や部室の床に立ったそれは、窓を背にして虚ろな顔をミソノ達に向ける。
やはり穴としか言いようのない穴を、目と口の位置に空けていた。
「おのれ! おっさん、裸とは! 乙女が二人もいるのを、知っての狼藉か?」
壁際に避難していた新聞部員達が、ドアから慌てて逃げ出した。
幽き者の足下から、不意に乾いた音がした。板張りの部室。その床が不快な音を立ててきしんでいく。まるで木材が乾燥して朽ちていく様を、早送りで見ているかのようだ。
そして幽き者は一歩前に出た。
その腰が部室の中央にあった折りたたみ式のテーブルに当たる。
そのテーブルもやはり朽ちていくかのようなきしみを上げて、急速に形が崩れていく。
「むむ! ツブやん、何事なのです?」
「幽き者に触れられると、この魔界の亡者の乾きにあてられ、全てが朽ちていくんです」
幽き者はゆらりと両手を前に出した。何かを求めるかのように、両手を突き出す。見ようによっては、幼子が母の懐に飛び込む様にも見えなくはない。
だが――
「く……」
そう、だがその手で人間に触れさせる訳にはいかない。
ツブラがとっさにステッキをふるった。
不可視の力に押され、突風に煽られたように魔界の亡者が後ろによろめいた。
床や机を瞬く間に朽ちさせたのだ。人が触れればあっという間にミイラだろう。
そこまで考えてかツブラはミソノにはっと振り返る。
「ミソノさん! 手は大丈夫ですか?」
ミソノは触れるどころか、相手を掴んで引っ張っていた。
ただで済むとはツブラには到底思えないのだろう。
「手ですか? 手なら、ほら。頭脳線以外は、至って濃厚な手相ですが?」
この全てを朽ちさせる魔界の亡者を掴んだ手を、ミソノが暢気にツブラに向ける。
「何ともないですか!」
ツブラは尚も近寄ろうとする魔界の亡者を押し返す。魔法のステッキをふるう度に、前に出ようとする幽き者を後ろによろけさせた。
しかし尚も幽き者はその不気味な皮膚の手を更に伸ばしてくる。
「何ともないのです!」
「そうですか。ミソノさんの陽の気が、相手の陰の気を上回ったんだと思います。でも、もう触っちゃダメで――」
だがそのツブラの忠告もむなしく、
「くらえ! おっさん! 乙女の恥じらいの拳!」
ミソノは自分から前に出るや、あっさりと生身の拳を魔界の亡者にぶちかました。
――おおぉぉ……
ミソノの拳が魔界の亡者の左の頬に埋まる。
怨嗟の声か、単に空気が漏れただけか、幽き者は不気味な音を発した。そう、それは生命の根幹に訴えかける、本能的な嫌悪と恐怖をかき立てる音だ。
「おりゃ!」
だがもちろんミソノはそんなにことは気にしない。埋まった拳を思い切り振り抜いた。
「ああ! ミソノさん!」
幽き者は頬にミソノの拳をめり込まながら、後ろに吹き飛ばされ窓を打ち破った。魔界の亡者はそのまま窓の向こうへと消えていく。
「む! おっさん、逃げるとは卑怯な! とぉーっ!」
驚きに目を剥くツブラを残し、ミソノが魔界の亡者を追って壊れた窓から外に飛び出した。
そこは四階だった。
「ミソノさん!」
更なる驚きに目を剥くツブラ。慌てて窓枠から外を覗くと――
「あはは!」
ミソノは上靴の踵を校舎の外壁にこすりつけ、猛烈な煙を上げながら滑り降りていく。
あまつさえ二階に達するや、
「とおーっ!」
気合い一閃。壁に一蹴りを入れて宙に飛んだ。そのまま上体を起こしかけていた幽き者に飛びかかる。
放ったのは右足のつま先だ。
――ぉぉおおおぉぉぉぉ……
またも地獄の奥底から吹き上げるような、亡者の怨嗟の声を幽き者が上げる。人間で言うところの鳩尾にミソノの一撃を食らい、魔界の亡者はくの字に体を曲げた。
「てりゃ! おりゃ! そりゃ!」
ミソノはくの字で吹き飛ぶ幽き者を、左右のパンチを繰り出して追っていく。もちろん生身の拳でだ。
「ああっ! ミソノさん! ダメですってば!」
ツブラが窓から飛び出した。とっさに魔法の杖を足下にやると、サーフボードよろしく踏みつけて空を滑っていく。
空気を切り裂き、宙を急降下するツブラ。花壇の中にあった祠らしき小さな建物をかすめて急旋回した。
「キャーッ!」
実際かすめてしまいツブラは悲鳴を上げて身を翻す。僅かながらも祠の破片を周囲にまき散らしながら、ツブラは地面ギリギリを急上昇で離れていく。
その勢いに花壇の草花が千切れて宙を舞った。
「……」
花壇にはじょうろで水をやっていた女子生徒が一人いた。
その女子は警戒するかのようにそのツブラを見送る。
驚き故か花壇を荒らす相手への非難故か、その目は苛立たしげに細められていた。目の下にあったクマと相まって、病的なまでの視線をツブラに投げつける。
「ごめんなさい! でも、あなたも早く逃げて下さい!」
ツブラは花壇の女子生徒にそう叫び上げるや、上昇し過ぎてしまった体をこれも急旋回で降下させようとする。
「おお! ツブやん! あたしもやりたいです! 祠アタックしたいのです!」
「何を言ってるんですか! あの祠に悪戯したら、めちゃくちゃ怒られますよ!」
「むう? 誰になのです?」
地に降り立たんと降下してくるツブラを、ミソノが暢気に見上げた。
そのミソノの背後で――
「ミソノさん! 危ない!」
ツブラの悲鳴とともに、幽き者の右手が振り下ろされた。