半妖少女1
「協定違反じゃねえか! 深泥池の!」
翌朝。一年十一組の教室に、威勢のいい声が轟いた。少女の声だ。
怒鳴り上げたのは、背の高い女子生徒だった。
声も姿も、キップがいい。そのままどこかの寿司屋にでも、職人として立っていそうだ。
「うるさいわね。好きで着てきてんじゃないわよ」
深泥池のと呼ばれ、シャラランは巫女さん袴でブスッと応える。
シャラランはアゴに手をやり肩肘を突いていた。足は軽く組み合わされ、腰はきゅるりと捻られている。いかにもふて腐れていますという仕草だ。
シャラランは教室の一番後ろの己の席に座り、黒板を背に不機嫌に口をひん曲げていた。
「仕事着で、くるってことはあれだ。この俺に――五条坂妖猫に喧嘩売ってるってこったな?」
今にもぐるるとでも吠え出しそうに、五条坂妖猫と名乗った背の高い少女は獣めいた視線でシャラランに詰め寄る。
「仕事は関係ないわよ。これしかなったの。もう、いいでしょ? いい加減しつこいわよ、五条坂」
「これ見よがしに、着てきやがって。何が『関係ない』だ? 学校に巫女さん袴なんて、非常識だろ? それとも、何だ! 趣味か?」
妖猫は高い背を折り曲げて、上からシャラランを睨みつける。その姿は遊びやおふざけを、まるで感じさせない。今にも本当に牙を向きそうな迫力だ。
妖猫は実際に噛みつかんばかりに、腰かけたシャラランを見下ろす。
「違うわよ」
「なら、仕事だな。協定違反だ。俺に対する挑発だ。やるってんなら、いつでも相手になるぜ」
まるで今まさに爪が伸び出でもするかのように関節を折り曲げて、妖猫はその指をシャラランに見せつける。
「さっきから言ってるでしょ? 制服が形容し難い程、冒涜的に穢れ切ったのよ。あんなの着てられないわ」
「はぁ? あれか? ここ最近、何度かぞわぞわしてたのは。てめえが何かやったのか?」
「私じゃないわよ」
「本当か?」
「本当よ。それより何よ? 何の用よ? 朝から人の教室まできて」
「おう、それだ…… 実はな、大事な祠がな、少々傷ついてたんだがな……」
妖猫の目がすっと細くなる。殺意すらその目に浮かんだかのようだ。
「知らないわよ」
シャラランは目を合わせずに応える。
「巫女様が、やったんじゃねえのか? こっそりこっちの力を削ごうしてよ?」
「はぁ? 何でそんなことしないといけないのよ」
「じゃあ一般の生徒か? 誰だろうと祠を傷つける奴は、俺が容赦しねえぞ!」
「一般の生徒は近づかないわよ。あの祠、厭な気を放ってるもの」
「じゃあ誰だよ? 魔法少女のあの嬢ちゃんか? あいつ俺と目が合う度に、ビクッと身をすくませるんだぜ。失礼な奴だろ? 一発ヤキ入れる口実ができたってか?」
「あんたが喧嘩売るような目で、いつも睨むからでしょ?」
「巫女さんも魔法少女も、俺に言わせれば、いけ好かない商売敵なんでね!」
「いちいち気に入らないからって、睨みつけてんじゃないわよ。てか少なくとも、あんたの『ぞわぞわ』は、私達のせいじゃないわよ。もっと迷惑な娘のせいよ」
シャラランはブスッと答える。あまり思い出したくないようだ。
「もっと迷惑な奴だぁ? 霊能少女や、魔法少女以上に迷惑な奴なんているもんかよ」
「いるわよ。迷惑の塊のような娘が」
「誰だよ? てか、何だよ? 『迷惑の塊』って?」
信じるものかと言わんばかりに、妖猫が更に身を乗り出すと、
「むう! それは間違いなく、あたしのことなのです!」
ミソノが唐突に二人の間に割って入った。
ミソノの登場は、何の前触れもなかった。
「『迷惑』それはキラリンに、いくら説明されても分からない言葉なのです」
他人のクラスに何の前触れもなく現れたミソノは、何の気後れもなく二人の会話に参加する。
「何だ? どっから湧いた?」
「誑乱! 朝から人の教室に、あなたまで何の用よ?」
「むう、シャラランさん。もうお友達なのです。ミソノと呼んで欲しいのです」
「私はとっとと、縁を切りたいんだけど」
シャラランが苦々しげに応える。
「シャラランさん。そんな神職にたずさわる格好で、縁起の悪いことは言わないで欲しいのです。あたしの中の、巫女さんのイメージが崩れるのです」
「誰だ? タラランってあれか? 誑乱御園か? 迷惑の塊って、歩く迷惑誑乱御園のことか? この間も、食堂の自販機のボタンを全押して壊したとか聞いたが?」
「むう。確かにそんなこともあったのです。弾けとんだボタンをひらりと避けたら、キラリンが回し蹴りを放ってきたのです」
「プールに焼け石を放り込んで、即席の温泉を作ったとも聞いてるが?」
「ふふふ。いいお湯でした。極楽気分で水着で浸かっていると、キラリンに上から足蹴にされて、プールに沈められた以外は、完璧だったのです」
「そのまま、沈んでしまえばよかったのに」
シャラランがそれこそ、深い水底から発したような溜め息とともに呟いた。
「むっ? シャラランさん。誘わなかったとはいえ、つれないのです。お知り合いになる前なので、無理だったのです」
「誘われても、いかないわよ」
「嘘くさい思っていたのに、本当にやらかしていたのか?」
「ついでに、あんたのぞわぞわをやらかした犯人よ。私の制服がダメになった原因でもあるわ」
「おのれ。噂以上の歩く迷惑」
妖猫はジリッと一歩退いてミソノの全身を見回した。
妖猫から見れば、ミソノは随分と背が低い。この学園の女子で、妖猫以上の身長を誇る女子生徒は一人としていなかったからだ。
「噂になってるのなら、話が早いのです。探しましたよ。五条坂妖猫さん」
「何だ? 俺に用があるってか?」
妖猫は改めてミソノを見下ろす。頭一つ以上、ミソノの顔が下にある。
「一年九組五条坂妖猫さんですね。ねこちゃんと呼んでいいですか?」
そんな見上げるような女子生徒を、ミソノはあっさりとちゃんづけで呼んだ。
「嫌なこった」
「むう。ではあやにゃん」
「勝手に決めるな」
「では、どう呼べばいいのですか?」
「五条坂でいいだろ? 親しい間柄でもないのに」
「そうですか。では、あやねこっち」
「聞く耳なしか!」
「キラリン生徒会長の命により、あやねこっちにパンフに載っていただきたいのです」
「パンフ? 何だ? 何の話だ?」
「生徒募集のパンフらしいわ。来年の生徒を集めないと、学校が廃校の危機らしいの」
「何と。廃校だと?」
妖猫の頬がぴくっと動く。
「そうなのです。そこで、あやねこっちには――」
「やなこった。そもそも俺がこの学校にいるのはな――」
「いいじゃない。載ってあげなさいよ、パンフ。あなたなら人を呼べるわ」
「おお、シャラランさん! 助け舟とは、痛み入るのです!」
「深泥池の。俺は見せ物か何かだと、言いたいんだな?」
「見せ物ではないのです。ただパンフに載って欲しいだけなのです」
「何が違うってんだよ? あっ、誑乱の?」
「あやねこっちは、その――」
ミソノがビシッと妖猫を指差した。
「猫の半妖として、皆様の目に曝されて欲しいのです」
ぐるると不機嫌に唸る妖猫の様子も気にせず、ミソノは暢気に後を続ける。
「同じ意味だ!」
「ぬう、では半ニャンコとして」
「アホか! バカにしてんのか!」
妖猫が怒りに任せてぱちんと左手の指を鳴らすと、
「――ッ!」
不意に辺りに妖気が漂い出した。
「ちょ、ちょっと! 五条坂!」
シャラランが思わず姿勢を正す。
そして何処からともなく獣の声が響き渡った。
――ニャーッ!
――ニャン!
――ニャニャーッ!
それは愛くるしくも可愛らしい獣の鳴き声だった。