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霊能少女3

「――ッ!」

 シャラランが図書室の床を蹴った。

 上履きが床からホコリを舞わせ、スカートが空を切り裂く。

 ピンと指先まで伸ばした右手を突き出し、武道の心得すらある巫女がミソノに襲いかかる。

「えい!」

 ミソノが足を跳ね上げる。一冊の本を蹴り上げていた。

 机に座っていた女子生徒の、その掌の中から文庫本が舞った。

 ミソノがその文庫本を左手で掴んだのと、シャラランが懐に飛び込んできたのは――ほぼ同時だった。

 ミソノの胸元から、千切れた紙片が宙を舞う。

「やっ!」

「うりゃ!」

 五個の穴が開いた『罪と罰』(ドストエフスキー著)の下巻が宙を舞う。

「はっ!」

 ミソノは気合いとともに机を飛び降りると横に飛ぶ。そのまま床で一回転するや、呆然と立ち尽くしていた男子生徒の横で立ち上がった。

 ミソノに避けられたシャラランは窓に激突する――と、誰もが思ったその瞬間、その身はきれいに前転をした。伸ばした右足が窓枠の下部に触れるや否や、そのまま膝を折り曲げて、全ての勢いを相殺する。

 ミソノはその力の均衡点を見逃さない。針の一点のようなタイミングを見通し、シャラランの体が反転する為の、力の『タメ』に入る瞬間を見極める。

 先に舞い上がったドストエフスキーの大作が、ホコリを舞い上がらせて床に落ちた。

「もらったのです!」

 ミソノは隣りに立った男子生徒から、一冊の本を奪い取る。シャラランに向かって投げられたその本は、『ロリータ』(ナボコフ著)だ。

 こっそり借りようとしていたその男子生徒が、真っ赤になって立ち尽くした。

「ふふ……」

 シャラランは慌てた様子もなく、窓枠を蹴る。

 当たる軌道ではない。自分の身体能力をミソノは侮っている。そうとでも言いたげにシャラランは鼻で笑う。

 そうタイミングは合っている。だが軌道の読みが甘い。普通の人間なら、そこにいるであろうところを狙っている。だがその位置はシャラランにとっては、もう遠の昔だ。

「おのれなのです!」

「うふふ」

 ミソノが毒づき、シャラランが笑う。

 窓を抜け空を切り、廊下を歩いていた女子生徒の側頭部にあたって落ちるナボコフの名著。

 本を奪われた男子生徒。本をぶつけられた女子生徒。これが新しい恋の始まりとは、流石のミソノにも見抜けなかった。そしてもちろん、知ったことでもなかった。

 シャラランは床に手から着地する。そのままバク転の要領で、後ろに飛び去った。左右に文庫本が並ぶ本棚の間へ、前転と横転を織り交ぜながら退き、シャラランは身を隠す。

「……」

 そこにはポエム集を開き、またそれに目を落としたまま歩く分厚い眼鏡の女子生徒がいた。

 もちろん激突するような愚をおかさず、かすめるようにシャラランはその前を通り過ぎた。

「失礼!」

「……」

 シャラランの軽い謝罪の声が聞こえなかったのか、眼鏡の女子は気にせず歩き続ける。その目はポエム集に落とされたままだった。

 そして風のように飛び去りながら、シャラランは更に一冊の文庫本を手にとっていた。

 抜群の身体能力を見せつけた巫女は、こちらも滑らかな動きでスカートのポケットからお札を取り出した。そのまま文庫本の表紙に、そのお札を一枚ぺたりと張りつける。

 その瞬間文庫本は生きているかのように羽ばたきながらシャラランの手を飛び立った。

「待つのです!」

 飛んできた『風と共に去りぬ』(マーガレット・ミッチェル著)を、更に弾き飛ばしてミソノが駆け出す。相手を視界にとらえた時に、そのミソノの視線を遮ったのは数冊の文庫本だった。

 狭い本棚の間を抜け、ポエムの少女を前後に避けて文庫本が飛んでくる。

 そう、文庫本は自らの意思があるかのように、ポエムの少女を避けて飛んだ。

 その全ての表紙にお札が貼られている。

 『家内安全』『無病息災』『大願成就』――

 やはりそれは普通のお札の文言だ。

 だがそのお札の力か、鳶の群れよろしく力強く羽ばたいて文庫本はミソノに襲いきた。

「ぬ! やるのです!」

 ミソノが嬉しそうに、両手で文庫本を払いのける。

 ミソノに払いのけられた文庫本が、跳ね飛ばされて飛んでいく。

「失礼なのです!」

 はね除けた文庫本が一つ、皆目の前にいた分厚い眼鏡の少女にあたってしまった。

 それを見たミソノがこちらも軽く謝罪する。

「……」

 だが眼鏡の少女は気にならなかったのか、目の前のポエム集を食い入るように見ながら二人の前から去っていく。

「たぁーっ!」

 ミソノは床を蹴るやポエムの少女の後ろを駆け抜け、シャラランが消えた本棚へと突入する。

 ミソノを本棚の細い入り口で迎え撃ったのは、『狭き門』(アンドレ・ジッド著)だ。

「無駄なのです!」

 ミソノは難なくその本を手で払いのけた。

「なかなか、やるじゃない……」

 シャラランは本棚の奥で、左手の指に挟んだ文庫を油断なく構えながら呟く。

 『グレートギャツビー』(フィッツジェラルド著)と、『地下鉄のザジ』(レイモン・クノー著)がいつでも解き放たれるように、シャラランの呼吸に合わせて揺れていた。

 そして右手は今にもお札を張りつけんと、その指を楽しげに踊らせている。

「そんな薄手の本で、倒されるあたしではないのです!」

 ミソノが不敵に笑う。もちろん薄いのは、製本の厚さのことだ。

 そしてもとより倒す倒さないの話だったかどうかなど、ミソノは全く気にしない。

「本は、厚みじゃないわ。中身よ」

「むむ、そうですか! では、これなんかいい感じなのです!」

 ミソノはそう言うと手短かな本棚から、薄汚れた――血に汚れたような――不気味な意匠の本を掴み出す。


 それはとても、ミソノの手にしっくりとなじんだ。



 そう、それは――


 まるで表紙自身が息をしているかのような――

 まるで装丁に張られた皮自体が、生きているかのような――

 まるで未だ脈打ち震える人の皮を、材料にして張りつけたかのような――

 まるで生きながらにして剥がされた人の皮を、その表紙の装丁に用いたかのような――


 ――ゾッとする程手になじむ肌触りだ。


 そしてそれは、禍々しい気を放っている。

 あたかも生きたまま皮を剥がされた人間が、今でも苦痛に声を上げている――永遠に怨嗟の声を上げている。そんな嫌な気だ。

「しっくりくるのです!」

 だがもちろんミソノは、全くもってその禍々しさが気にならない。

「そ、それは…… まさか!」

 シャラランが息を呑む。

「食らうのです!」

 ミソノが大きく本を振りかぶった。

「止めなさい! それは!」

「おりゃ!」

 ミソノが投げた本がシャラランめがけて飛んでくる。

 だがシャラランは避けない。避ける訳にはいかない。

 そんな貴重書を、無下に打ち払う訳にはいかないからだ。

 存在自体があり得ない本から、目を離す訳にはいかないからだ。

「パキャッ!」

 シャラランはおかしな悲鳴を上げて、身をのけぞらせる。端正な顔に縦一筋、魔導書の背表紙の跡をつけながらエビぞりに身を反らせた。

「やっぱり! 狂える詩人の魔導書…… ネクロノ――」

 シャラランが宙を舞う。そして同じく宙を舞う、存在自体があり得ない魔道書の書名を確認しその手を伸ばす。

 そして――

「フギャッ!」

 シャラランは図書室の床に後頭部を打ちつけて気を失った。

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