霊能少女1
享都府享都市上刑区鴉魔通り西入る一畳下がる――
その地に敷地をかまえる桐凛家の別宅。
そこはミソノとキラリが、二人で住む屋敷だった。
「ただいまかえりました」
と言うキラリの一言とともに、一瞬にしてメイドモードにスイッチが入るミソノ。スッとキラリにかしずくや、恭しくカバンを受け取る――ようなことはもちろん一切ない。
「ただいま!」
元気よく挨拶したミソノは、カバンを放り出し、脱いだ靴下をそこら辺に散らかしづかづかと家に入っていく。
『ただいま』と二人して言うが、出迎える者は誰もいない。キラリの両親は海外の仕事で忙しく飛び回っており、ミソノの両親はこの世にいるかどうかすら分からない。
ここはそんなキラリが高校進学とともに購入した、二人で暮らす為の別宅だったからだ。
「もう、ミソノ! 履かないのなら、洗濯カゴに入れなさいよ」
「ほへ?」
自分が散らかした靴下を拾い集める主人を尻目に、ハウスメイドのミソノは既に冷蔵庫から取り出した棒アイスを頬張っていた。
「ああっ! もう! アイスの袋をちゃんと捨てる!」
『資源ゴミ・プラ』と書かれたゴミ箱を無視して、手短かなそれに入れてしまうミソノ。あまつさえ目測を誤り、床にアイスの袋を散らかしていた。
「資源ゴミは享都市の分別に従ってプラスチックと、それ以外のペットボトル・ビン・カンに分けるって、ちゃんと約束したでしょ?」
「ありゃ? 今のプラスチック? ゴメンゴメン」
瞬く間にアイスを食べ終わり、棒を歯で上下させるミソノ。アイスの棒に合わせて、頭上のアホ毛がこちらも嬉しげに上下に揺れた。
あの反省の仕方では、多分しばらくゴミの分別はできないだろう。
これのどこがメイドだと、キラリはつくづく思う。
「今日の晩ご飯当番はミソノだからね」
更にメイドがいるのに、桐凛家別宅の食事は当番制だった。
「あいよ! キラリン!」
ミソノは景気よく返事をすると、炊事場の戸棚を勢いよく開けた。カップ麺を始めとして、インスタントな食品が音を立てて落ちてきた。
「メイドがいるのに、何故我が家の食事はインスタントなのかしら?」
「むむ! それを今更説明しろと? キラリン!」
カップ麺を拾い集めながら振り向くミソノ。その口元でアイスの棒が自慢げに直立した。
「いや、いいわ……」
「それに、キラリン。いくらあたしでも、カップ麺ぐらいは余裕だよ」
「そう? ピーって鳴ってから、お湯を注ぐのよ」
「むむ。バカにしてるな、キラリン。ピーって鳴ってからお湯を入れるぐらい、あたしだって研修で習って知ってるのさ」
「研修? メイドの研修旅行のことね。てか、メイドの研修で習うのが、カップ麺のお湯の入れ方なの? そんなことの為に、メイドの研修旅行にいっているの、ミソノは?」
そう、ミソノはメイドの研修旅行で料理の腕を磨いている。そのはず。
桐凛家本宅主催のメイド研修旅行。
本宅の家族旅行に合わせて行われるそれは、総勢数十名のちょっとしたツアーだった。
研修とは名ばかりの慰安旅行だが、一応することはするらしい。
その日だけはミソノは自分がメイドだと思い出すようで、他のメイドについて嬉しそうに出かける。
本宅のメイドは皆ミソノの上司。キラリ向けとはまた別の甘えた顔でミソノはその数日を過ごす。
一方のキラリは本宅の家族旅行に参加する。この日ばかりは、両親に会うことができる。
初めはミソノのお守りから解放されて、のんびり過ごそうと心に決めるキラリ。だがすぐに心細くなって相手に電話をしてしまうのは、いつもキラリの方からだった。
そして電話の取り方がろくに分からないミソノに、つながる前からイライラさせられるのもキラリの方だった。
「むむ。諸先輩方の、雇用条件と労働環境の愚痴を聞く為かな?」
ミソノが電気ポットのお湯のスイッチを入れながら答える。
「そういう生々しいことは、教えてくれなくっていいわよ、ミソノ」
「そう、キラリン? あっ、カップ麺、味噌味でいい?」
ミソノが暢気にカップ麺のフィルムを剥がしながら振り返った。
「そうよ。そうね、味噌でお願い」
そう言うとキラリは、己の髪をかきあげた。そのかき上げ方は、やはり少々ぎこちない。
「家の中ぐらい、ウィグとればいいのに」
「うるさいな。高校三年間は、この格好で過ごすって、お爺様と約束しただろ?」
「あはは。素が出てるよ、キラリン」
「む…… ふん。お爺様と約束したでしょ? これでいい?」
「ふふん。いくら学園設立の資金を出してもらう為とはいえ、理不尽な約束に律儀だね、キラリン」
「ふん」
「それに地毛じゃないと、動かせないから不便だよ」
「地毛でも普通は動かないわよ。ミソノのアホ毛と一緒にしないの」
「ええっ? アホ毛筋を鍛えれば、どうということはないよ、キラリン」
ミソノが器用にアホ毛を揺らす。アホ毛筋とやらを、操っているらしい。
「アホ毛筋なんて、誰の頭にもないわよ」
「えっ、そうなの、キラリン? あ、そうそう、それとね」
「何、ミソノ?」
「実は危うく世界を滅ぼしかけたんだよ、キラリン。大丈夫だったけど、一応報告しておくね」
ミソノがアホ毛を嬉しそうに揺らす。世界を滅ぼしかけたという割には、随分と気楽な告白だった。
「何言ってんのよ」
「あれ? 怒らないの、キラリン?」
「そんな簡単に、世界が滅ぶ訳ないでしょ。またバカなこと言って。ほら、そんなことより、生徒紹介の件お願いね。ツブラさんだけじゃなくって、もっと他の人にも頼んでみてね」
「校舎のガラスを割ったのも怒らない?」
「それは、学校でもう散々怒ったでしょ?」
「世界を滅ぼしかけた方は、いいの、キラリン?」
「だから、そんな簡単に世界が滅ぶわけないでしょ」
キラリはやはり、ミソノが世界を滅ぼしかけたことを信じなかった。
「オッケー、キラリン!」
怒られなかったのが余程嬉しかったのか、ミソノは目を輝かせるやポットの給湯スイッチを押す。そして実に楽しげに次の話の為に口を開くや、
「次に頼む人は、もう決めてるんだ!」
ピーと鳴る前のお湯を、塩ラーメンのカップに注ぎ始めた。