劣等感 2
エミリオ様は苦し気に歪めた瞳を、まっすぐ私に向けている。まるで、私の反応を確かめるかのように。
「‥‥‥そうですか」
エミリオ様が、どういった意図で私のことを嫌いと言ったのかわからないが、嫌いと言っただけで、エミリオ様の家庭教師をすることを拒絶されたわけではないと分かり、こっそり息をつく。
私が雇われているのは、レオーネ公爵家、つまり、公爵様であって、エミリオ様ではない。エミリオ様が私を拒んだところで、私は「はいそうですか」とは言えない。正式に公爵様から依頼の取り下げがないと、いくらエミリオ様に拒まれたところで、私は彼の家庭教師をしなければならないから。
だから、私はエミリオ様に嫌いと言われたことは、気にしていなかった。けど、私以外はそうではなかったようだ。
「「はあーーー…………」」
(え、え、え……何?)
めんd……大変なことにはならないと分かり、ホッと息をついていた私は、大きな溜息が聞こえてきて心臓が跳ねた。
視線を彷徨わせると、入り口に立つエミリオ様の護衛2人が、頭を抱えていた。これは、どういった反応をしたら良いのだろう。
「エレナさん、ほんっとうに、申し訳ありません」
「ぇ……ぃ、いえ……?」
腰を90度に折って謝るマイア様が、何に対して謝っているのか思い当たらなくて疑問符がついてしまった。
「……あの、だ……」
「坊ちゃん!!!」
「ぅあ‥‥‥」
「大丈夫ですから、顔を上げてください」と言おうとしたのに、トビー様の怒声に遮られてしまった。
「今のは貴族としてあるまじき言葉と態度です!」
さっきまでの爽やかなトビー様からは想像ができないような低くて圧のある声が、室内の空気をビリビリと震わせる。
恐る恐るトビー様に目を向けると、優しく下げられていた切れ長の瞳が厳しく吊り上がっていた。
貴族は他者に本心を悟られてはならない。好き嫌いを悟られてはならない。相手になめられるから。
けれど、エミリオ様はさっき、私に対して「嫌い」とはっきり言った。苦しげな表情を浮かべて。
本当のところは分からないが、正面から彼の言葉を受け取り、彼の表情を見た私は、私というものがエミリオ様を苦しめる原因だから「嫌い」なのだと感じ取った。
トビー様の言う、「貴族としてあるまじき言葉と態度」とは、そのことだろう。
ただ、それだけでは、トビー様がこれ程厳しい態度をとる理由は説明できない。
エミリオ様は現在15歳だ。社交界デビューはまだ先だが、貴族は子供のうちに本心を隠すための教育がされる。
その為、学院が休みの日に貴族の子供につく護衛は、貴族のマナーを指導する教育係を兼ねていることが多い。エミリオ様の教育係はトビー様なのだという。
だから、トビー様がエミリオ様に厳しい態度で注意することは説明できる。
でも、だからと言って、ここまで厳しい態度をとっているのは理解できない。
もう少し緩く指導してもいいと言いたいわけではない。そうではないけど、ここは公爵家、エミリオ様の家だ。
さっきまでの優し気な雰囲気から一変して、冷たい空気を放つほど厳しくなくてもいいのではないか。なぜ彼は、これほど厳しくしているのだろう。
「貴方はご自身とエレナさんの立ち位置をきちんと理解されておいでか?! エレナさんは公爵家専属の魔術師、公爵家の被雇用者であり、本日から坊ちゃんの家庭教師でもあります! にもかかわらず、貴族という立場にある貴方が面と向かって「嫌い」と言うなど、あってはならないことです! それに、エレナ様は国の‥‥‥」
「トビー」
トビー様のあまりの剣幕に、トビー様にしか向いていなかった私の意識は、彼の言葉を遮ったマイア様の冷静な声で、部屋全体に戻すことができた。
「それ以上は、なりません」
冷静で、静かで、背中が泡立つような空気の震えはないのに、マイア様の声はよく通っていて、私に向けられたものではないのに、背筋が伸びてしまった。
「‥‥‥っ!」
大きく目を開いているエミリオ様に向けられていたトビー様の瞳が揺れ、私と視線が絡む。
「‥‥‥申し訳、ありません」
深く頭を下げるトビー様は、誰に対して謝っているのか、私にはわからなかった。
「エミリオ様」
澄んだマイア様の声は、エミリオ様に向けられる。
エミリオ様の肩が微かに揺れ、視線が下に向けられた。けれど、すぐに目をあげ、まっすぐマイア様の視線を受け止めた。
「トビーの言い分は最もです。先程の発言は、エレナさんに対して失礼ですよ」
「‥‥‥はい。エレナさん、申し訳ありませんでした」
正面からマイア様の注意を受け取ったエミリオ様は、自分の非を理解しているというように、私に頭を下げてきた。
「い、え。大丈夫です、よ」
対する私は、何が起きているのかきちんと理解できていない。ただ分かることは、エミリオ様は自分のことを十分に理解しているという事だ。
それが分かってしまえば、私には十分だった。部屋の空気が悪くなっていることなど、関係ない。
「‥‥‥エミリオ様」
「はい」
今度は感情を制御したエミリオ様の目が、私にまっすぐ向けられる。
「‥‥‥エミリオ様の得意とするものと、苦手とするものは何でしょうか?」
「何でしょうね。僕にも、分かりません」
「では、好きな分野と、遠ざけたいと思う分野は何でしょうか?」
「考えたことが、無いです」
再び逸らされてしまったエミリオ様の視線を、私は追うことをしない。まっすぐ彼を見つめて、どの質問をすれば、彼を知ることができるか思考を巡らせる。
「エミリオ様にとって、勉学とは何でしょう?」
「‥‥‥生きる上で、やらなければならないこと、ですかね‥‥‥?」
「苦痛に感じることが、度々ありますか?」
「‥‥‥‥‥‥」
エミリオ様は何も言わなかったけれど、私には十分だった。
エミリオ様は、勉強があまり好きではない。しかも、苦痛だと思うことが度々ある。
私がここに来た時から、エミリオ様は1人机に向かっていた。顔を机から上げることはなかった。
それでも、魔力を見ることのできる私は、彼の勉強に対する感情は分かっていた。魔力には感情が現れるから。
1人机に向かうエミリオ様の魔力からは、焦りと、大きな劣等感を感じた。
「兄上と姉上は、なんでもそつなくこなす人達です。それに比べて僕は、どれだけ努力しようと、兄上達のように結果を残すことができません。貴女に、僕の気持ちがわかりますか? 3年間で王立学院を卒業して、最年少で魔術師となった貴女に」
エミリオ様を苦しめていたのは、勉強ではなくてエミリオ様自身だった。




