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 温かい陽が私の体を照らしている。その温かい優しい光とは対照的な、冷たい雨が降り注ぐ私の心の中が現実世界に投映されてしまわないように零れそうになるものをこらえながら、唯一の心落ち着ける場所へと足を動かす。

 目的地へと続く一本道を抜けた先にポツリと佇む赤い三角屋根が特徴の家が視界に入る。草花や植物の蔦に覆われ、所々苔むしている自宅の入り口の中へと進み、更にその奥の扉を開けて、漸く声を発する。


「アウリ〜」


 限界まで我慢していたそれは、私の唯一落ち着ける場所へと足を踏み入れたことで、堪えていたものが両の目から流れ落ちる。ここ、私の唯一落ち着ける場所である、私だけの図書室。私の、心から大事な本達がたくさんあるここには、本にとって害となりうるものの1つである水分を落としたくはない。それでもいつもいつもここでしか泣く事ができないから、敢えて本を置いていないスペースがある。万が一本が傷んでしまったら、余計に泣けてしまうから。


「はいはい、おかえりなさい。今日はどうしたの?」


 図書室の奥から姿を現した白い生き物から発せられた、飽きれつつも柔らかく、春の日差しのように優しく包み込んでくれるような温かい声。明け方の空の雲—東雲—色と、紫のかった濃い青—瑠璃—色の目を持った白い毛並みの猫は、私にとって唯一リラックスして接することのできる相手で、現在の私の唯一の家族だ。


 生まれてすぐに母を、物心つく前に父を亡くした私は、祖母に引き取られ共にここで暮らしていた。そんな祖母も5年前にいなくなり一人暮らしとなっていた。そこへ1年ほど前に雨の中小さく震えていた白く長い毛を持った猫の彼女に食事を与え、傷を癒したことがきっかけで彼女と共に暮らすことになった。

 初めて会った時は、骨と皮しかないほど痩せ、美しい毛も泥で汚れ、枯れ葉や小枝は絡まり、ところどころ小さな傷が出来ていたけれど、今ではすっかり綺麗な毛並みふっくらしたシルエットとなって、お金持ちのお上品な奥様のようだ。右は浅い黄みの赤色、左はラピスラズリのように濃い紫みの青の眼が朝焼けのようだと感じたことから名前はアウローラ。初めの頃はアウローラと呼んでいたけれど、気づいた時にはアウリと呼ぶようになっていた。

 ブーツを脱いでソファに乗せた両足を抱えながら、出会ってから習慣になっている()()をする。


「あのね、今日、公爵様に呼ばれたじゃない?」


「そうね。朝もギリギリまで「行きたくない」って泣きじゃくってたわね」


「うん…いつもごめんね」


 毎度毎度アウリには申し訳なく思っているけれど、公爵邸に行くとき、誰かと会う時は、どうしても時間ギリギリまでどうにか行かないで済む方法はないか考えてしまう。


 私、エレナ・フィオーレは人見知りだ。職業は一応魔術師。

 この国、プリマベル王国は、魔術が発展した国だ。他国と比較しても魔術の技術は高いと評価されている。この国の魔術師は、それと認められたものは必ず国への登録が義務付けられている。その中でも特に国に保護され、国の為に魔術を使う国家魔術師となる者の才はずば抜けて優れている。国家資格を持つ魔術師は国の依頼をこなさなければならないけれど、その分普通に暮らしていくだけであれば十分過ぎるほどの給金を貰っている。そんな彼らは現在5人で、この国だけでなく世界でも名を馳せている。彼らの右に出るものはいないと言われ、例えいたとしても彼らに挑むなど考えることが愚かと言われるほどの存在だ。そんな5人の国家魔術師がいるから、この国は平和でいられるし、国民は多少困難はあれども生きる幸せが当たり前となっている。


 さて、ここで私の話へと戻すとしよう。つい先程も述べた通り、私も魔術師である。私も国に登録している魔術師だ。私が魔術師となったのは今から5年前、13歳のことである。当時は飛び級で学院を卒業していたが、就職試験には端から受けて、片っ端から落ちていた。そんな時に国に命令されて受けた魔術師の国家試験に‥‥‥やはり落ちてしまったのだが、なぜか試験会場にいたレオーネ公爵に()()()、現在レオーネ公爵家の専属魔術師として働いている。


「今日ね、実は公爵家でお食事会をしたの」


「あら、あなたが?」


「うん。この前の護衛任務で参加したお祭りね、公爵様の治める領地のお祭りだって話したの覚えている?その打ち上げのパーティーみたいな?でね、私も呼んだんだって」


「よく大人しく行ったわね」


「実はね、お食事会って知らされていなかったの。お祭りの時の話をするから今日来るように、としか言われていなかったの。それが公爵家に行ったらいきなり綺麗なお姉様方に囲まれてパーティードレスを着せられて初めて会う人たちと話をさせられてダンスに誘われて‥‥‥うぅ‥‥‥アウリぃ、疲れたよぉ〜」


「なるほどね。だから出かけたときと髪型が違うのね」


「ぁ、うん‥‥‥」


 言われて思い出した。そういえば、顔とか髪もいじられた気がする。頭に手をやるといつもはただくしを通しただけで何もしない髪が、複雑に編み込まれて1つにまとまっている。どうやったのか知らないけれど、お貴族様に使える人は器用な人が多い。手探りで髪をほどくと、それが1つの髪紐と2本のピンで止まっているものだから思わず嘆息してしまう。

 髪をほどいてもいつもと手触りの違う髪を不思議に思いつつも、手櫛をして適当に背中に流す。


「それでね、今日はただ嫌なのにドレスを着せられて、話したこともないような人達とダンスをさせられただけじゃないの。まぁもしそれだけだったら公爵様を呪ってやろうって思うのだけど…実はこの間のお祭りで捕まえた人の、新しい情報を聞いたの」


「ああ、お祭りの時にあなたが捕まえたっていう」


 この前のお祭り、5日前に行われた春の訪れを祝う祭りで、私は1人男を捕まえている。彼は魔術師だった。祭りの喧騒で他の人には届かないような彼の声は、私の耳には届いていた。彼の口から洩れている呪文が。それが攻撃魔術のものだと理解するのと同時に体は勝手に動いて彼を捕獲していた。彼が誰を狙っていたのかも知らないままに。幸い呪文が完了する前に彼の口を塞ぐことが出来たから周囲に被害はない。


「あの時は誰を狙ってのものだったか、わかっていないって言ったじゃない?それがね、昨日突然すべてを明かしたんだって」


「ふうん?なんだか気になることもあるけれど、先を聞きましょうか」


「うん。あのね、実はあの時狙ってたのは、公爵様でも、お祭りに参加している一般市民でもなかったの。彼はね、あの時いなかった次期公爵様、シルヴィオ様を狙っていたの」


「シルヴィオ様って、あなたと同級生だった?」


「うん。3ヵ月だけだったけどね」


 飛び級で、本来10歳から18歳までの9年間通う王立学院を3年で卒業した私は、1年間ずっと同じ学年で過ごしたことがない。シルヴィオ様とは、2年目、彼が6年目の時の3ヵ月間一緒だった。


「それでね、公爵様に次の任務を命じられたの」


「なんとなく話の流れが分かったわ」


「明日からね、シルヴィオ様の護衛をすることになったの。4の大鐘から7の大鐘まで」


「うん」


「5の大鐘から6の大鐘の1つ目の鐘と2つ目の鐘の間は休憩していいと言われたの。でもね、それ以外はずっとシルヴィオ様と一緒」


「そう」


「しかも期間は定められていないの」


「‥‥‥」


「1日の中の3つの大鐘分の時間、その内の一つ分の小さな鐘の時間は抜いたとしても1日の三分の一の時間。ずっと、ずうっとシルヴィオ様といなければならないの。それがいつまで続くのかわからないの」


「‥‥‥」


「しかもね、シルヴィオ様の弟の、エミリオ様の家庭教師もしなければならなくなったの」


「まぁ」


 それまで想定内だったいう雰囲気を隠さず目を閉じて聞いていたアウローラが、想定外の内容を聞いたというように瞼を持ち上げて大きな瞳をくりくりさせる。


「花の日から土の日までの8日のうち、水と木と火と月の日はシルヴィオ様の護衛。風の日はエミリオ様の家庭教師。一週間のうち5日は誰かの近くにいなければならない」


「ええ」


「ねぇ、アウリ」


「なあに?」


「やだよ〜。私、わたし、そんなの、無理だもん!」


「‥‥‥」


 説明しているうちに涙は乾いていたのに、また新しく流れた涙が目を、頬を、顔を濡らす。スカートにシミができていくのも気にしないで、膝を抱えて顔を埋める。

 一週間は8日、花水木風星火月土を繰り返す。1日の中では等間隔に8度の大鐘が鳴らされる。一つの大鐘から次の大鐘の間に2度小さな鐘が鳴らされる。合計で24の鐘が鳴るのだが、24のうちの8つの鐘の分を、8日中5日他者といなければならない。

 これまでの任務で人と会うものは平均して月に4度程で、他は自宅に篭ってもできる内容が多かった。それが明日から週に5日他者といなければならないのである。公爵様に呼び出されない限り自宅に引きこもっている私には、肩の荷が重すぎる。


「それに私、魔術師だもん。先生じゃないんだよ。人に勉強なんて、教えたことないし、教え方わからないもん」


 隣からアウリがしょうがない子でも見るような視線を向けてくるのを感じる。それでも言葉は止まらない。


「公爵様にはたったの3年で9年分の学習を終わらせて、最年少で魔術師となった君にしか頼めないって言われたけど、私は人といるよりも勉強していた方が楽だっただけだもん。3年で卒業できたのはたまたまだもん。教えるのは違うもん」


 学生の頃から人見知りを拗らせていた私は、クラスメートが休みの時に友達と遊んでいる間もひたすら教科書と向き合っていた。もともと文字が好きだったものあって、教科書の内容はあっという間に頭に入ってしまったのと、人と関わりたくないことが上手く嚙み合ってしまって3年で卒業できたのだ。


「それにシルヴィオ様だって、私が護衛しなくても強い側近の方がいつもお隣についているのよ?新しく私を護衛にしなくてもいいのに」


 名前は知らないけれど、シルヴィオ様の隣にはいつも2人の側近がいる。1人は見るからに強そうな筋骨隆々の強面の人、もう1人は一方と比較すると細身ではあるものの、必要な筋肉はしっかりついていて、余程の馬鹿でない限り一対一でやり合うなど考えることは無いであろう強さが滲み出ている。そんな2人がついているのに、私が新しく護衛をしなければならない理由がわからない。正直私なんかいてもそう変わらないと思う。

 いつまでもぶつぶつ文句を垂れ流している私の横で、大人しくしていたアウリが突如立ち上がる。


「アウリ?」


 いつもは慰めの言葉はないものの、私の気が落ち着くまで付き合ってくれる彼女が動いたことに疑問を持つ。まさか、ついに私の愚痴が我慢できなくなってしまったのだろうか?


「アウリ、ごめんね。あの、嫌だけど、頑張るから」


 伸びをしているアウリに慌てて声をかける。私が気を許せる相手はアウリだけだ。彼女まで私を置いていってしまったら、私は立ち直れなくなってしまう。


「あの、アウリ…」


「来客よ」


「え?」


 体を伸ばした彼女が、姿勢を正して私に体を向ける。


 チリーン。


 それと同時に、何年使われていなかったか分からない、来客を告げる鐘が鳴る。

 予期していなかった出来事に、涙は引っ込んでしまった。


「え、と。ここに?」

8つある大鐘は3時間ごと、その間の小さな鐘は1時間ごとになります。

8という数字が好きなので曜日も8つにしました。

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