塩飴
「…ただいま」
無機質なアパートの扉を開けると、
季節外れの風鈴が寂しげに鳴った。
…返事は返ってこない。
水を打ったように静まり返った部屋に、
胸の奥がじわりと冷たくなる。
玄関で靴を脱ぎ、カバンを置く。
長い残暑のせいか、クーラーのついていない
リビングは熱気がこもり、蒸し暑い。
夜風を部屋の中に取り込むために、
そっとベランダの窓を開ける。
生ぬるい風が、汗で湿った頬をそっと撫でた。
汗で流れた塩分を補うため、
カバンから塩飴を取り出す。
白く無機質な塊を見つめたとき、
あの夏の日々が蘇った。
「…どうぞ」
「いらんて、大丈夫やから」
2人で繰り出した炎天下のフェス。外回り。
汗ばむ手で塩飴を差し出すたび、
彼は決まって首を振った。
そのたびに、胸の奥がちくりと痛んだ。
大雑把で、めんどくさがり。
でも、変なところはこだわりが強い。
そんな彼に振り回される私を、
彼はいつも困ったように見ていた。
月日が経つうちに、その笑顔は少しずつ
消えていった。
気づけば、私はその消えゆく笑顔に縋るしか
なかったのかもしれない。
夜風に揺れる風鈴の音が、
広すぎる部屋に虚しく響く。
私はただ、背中を見送るしかなかった。
彼は不安げな私の顔を見ることはなく、
笑って見送ってくれるあの子のもとへと
向かっていった。
―彼が欲しかったのは心配ではなく、
信頼だったのかもしれない。
カーテンが微かに揺れ、
床に落ちる影がふわりと揺れる。
…今更気づいたところで、もう遅い。
塩のしみた飴を舐めるたび、
胸にじんわりと後悔が広がる。
声に出せない後悔が、胸を押し潰すように重い。
心の奥で、あの頃の笑顔に縋り続けた過去の自分を何度も責める。
―あの頃の笑顔が見たくて、隣で必死に
笑顔を作り続けた日々。
口の中に染み込む塩味が、あの日々の汗とともに
滲んだ記憶や、胸の奥に積もった後悔を
そっと呼び覚ます。
頬を伝う雫は、口に広がる塩味よりもずっと
しょっぱかった。




