チーズパン大口開けて食ってそう? その通りですわね
「チーズパン大口開けて食ってそう」
若い下級貴族の間で、こんな卑語が流行していた。
チーズパンはフォルス王国において最もポピュラーな食べ物である。
丸いパン生地にチーズがふんだんに練り込まれており、その大きさは掌に載せるとはみ出るほど。
市街に出れば、庶民たちがこのチーズパンを頬張っている光景をよく見られる。
ようするに、このスラングは「いっちょ前に社交界に出てるけど、一皮むけば庶民に過ぎないエセ貴族」のような意味である。
貴族にステレオタイプな庶民イメージを突きつけるというシチュエーションがウケたのか、社交の場でちょくちょく使われるようになってしまう。
「お前って、チーズパン大口開けて食ってそう」
「どうせあなた、家ではチーズパンを大口開けて食べてるんでしょ?」
「この場に相応しくない奴いるよな~、チーズパン大口開けて食ってそうなのが」
言う方は自分が上位にいるような心地になり楽しいし、言われた方はたまったものではない。
流行というのは厄介なもので、一度定着してしまうとなかなかなくなるものではない。
言われる側になってしまった令嬢や令息は、耐えたり、ヘラヘラして「そうなんですよ」とごまかしたりするしかない日々が続いた。
***
伯爵家の令嬢フリエーネ・ケーゼル。16歳。
ふわりとしたロングの金髪とルビーのような紅い瞳を持ち、ターキーレッドのドレスをこよなく愛する。
気が強く、歯に衣着せぬ物言いをすることから一部からは嫌われているが、本人は全く気にしていない。
侍女に爪の手入れをさせながら、フリエーネは吐き捨てるように言う。
「……下らないわね」
その顔つきは険しい。
「実に下らないわ。私、そういう下らない流行り言葉は大っ嫌いなの」
手入れが終わる。
フリエーネは侍女に「ご苦労様」と言うと、
「ロモン、来なさい!」
ベテラン執事のロモンを呼びつける。
「はっ、お嬢様」
すぐさま駆けつけたロモンに、フリエーネが命令を下す。
「夜会に出る手続きをなさい。下賤な流行り言葉が好きそうな貴族が出そうな夜会のね」
「また……夜会を“破壊”されるのですな?」
ロモンが口角を上げると、フリエーネもニヤリとする。
「その通りよ」
「かしこまりました。すぐに手配いたしましょう」
***
ある日の夜会。
子爵家の令息ダレッド・ベルグ。黒髪で整った顔立ちであり、ベルグ家の次期当主と目される彼だが、その性格には問題があった。
「確かお前は男爵家の生まれだったな」
「は、はい」
男爵家の令嬢シルフィ・オストスが絡まれる。
セミロングの栗色の髪で、クリーム色のドレスを着た、野に咲く一輪の花のような奥ゆかしい可愛らしさを持つ令嬢だった。
「お前ってさ、チーズパン大口開けて食ってそうだよな」
「……!」
流行りのスラングでシルフィを攻撃する。
ダレッドは夜会のたび特定のターゲットを見つけて攻撃し、それで注目を浴びようとする悪癖があり、今日の犠牲者はシルフィだった。
「こんな安っぽいドレスで、精一杯背伸びして夜会に参加して……なんつうか、涙ぐましいよな。そこまでして貴族でいたいのかって」
シルフィは反論できない。
反論すれば、さらなる攻撃を受けることを知っているから。
ダレッドは当然それも承知している。
「ほらテーブルにチーズパンがあるぞ。これ食ってみてくれよ。ただし、ちぎったり切ったりせず、口を下品にでかく開けてな」
無理矢理チーズパンを渡し、かぶりつくように食べるのを強要する。
シルフィは覚悟を決める。
「おーい、みんな! チーズパン大口開けて食ってそう、の実物が見られるぞ!」
ダレッドが囃し立て、シルフィに注目が集まる。ニヤついている者もいれば、眉をひそめている者もいる。反応はさまざまだ。
だがそこへ――
「お待ちなさいな」
フリエーネがターキーレッドのドレスをひるがえし、颯爽と登場した。
「な、なんだ?」
「なんだとはご挨拶ね。私はフリエーネ・ケーゼル。伯爵マルロ・ケーゼルの長女ですわ」
「……!」
ダレッドが動揺する。
まさか、伯爵家クラスの出席者がいるとは思わなかったようだ。
「何の用です?」
「確か今あなた、チーズパンがどうのとおっしゃってましたわよね?」
「ええ、まあ」
「もう一度はっきりおっしゃって下さる?」
「へ?」
「早く!」
「……っ! チーズパン大口開けて食ってそう……って言ったんですよ」
これを聞くとフリエーネは顎を上げて笑う。
「その通りですわ」
ロモンが滑らかにフリエーネの横に現れ、チーズパンを手渡す。
夜会で用意されたものよりかなり大きい。
そして、フリエーネはそのチーズパンにそのまま――大きな口を開けてかぶりついた。
豪快に咀嚼までする。
「うん……美味しい。最高の味ね」
ダレッドは唖然としている。
「あなたもどう? こうやって食べると美味しいわよ」
フリエーネはシルフィに同じようにして食べるよう促す。
するとシルフィもチーズパンを大きな口を開けて食べる。
「……美味しいです!」
「ふふっ、そうよね」
そして、ダレッドを睨みつける。
「この通り、チーズパンはどう食べても美味しいのよ。大きな口を開けて食べて一体何が悪いというの? 庶民的で恥ずかしいとでもいうつもり? 私から言わせれば妙な流行り言葉を嬉々として使って他人を侮辱し、日々を一生懸命に生きている庶民まで侮辱しているあなたの方がよっぽど恥ずかしいわ。恥を知りなさい」
「うぐ……!」
ダレッドは反論することができない。
ここまでは盛り上がっていた夜会の雰囲気もすっかり冷え切ってしまう。
(お嬢様、また夜会を“破壊”してしまいましたな)
ロモンは心の中で嬉しそうにつぶやいた。
すると、拍手が響いた。
皆はもちろん、フリエーネもきょとんとする。
「お見事だ、フリエーネ嬢」
銀髪で瑠璃色の瞳を持った青年だった。白い礼服を着ていることもあり、新雪のような印象を受ける。
「あまりに見事だったので、僕の出る幕がなくなってしまった」
フリエーネは鋭い眼差しを向ける。
「失礼ですが、どなた?」
青年は大仰にボウアンドスクレイプをする。
「これは失敬。フォルス王国第二王子アルトス・フォルマージュと申します」
――会場がざわつく。
第二王子が、決して格の高くない夜会に潜んでいた。
殆どの人間が目を丸くする。
だが、フリエーネは動じていない。
「第二王子殿下は若くして王国の食糧事情を統括する立場にいらっしゃるわね。あなたがここにいる理由、なんとなく分かりましたわ」
「さすがに鋭い……」
第二王子アルトスは18歳の若さで、王国の農作物や食糧についての政策を指揮する立場にある。
就任してまだ数年だが、すでに新たな用水路建設や新しい作物の導入など、数多くの改革を行っており、王国の収穫高は飛躍的に向上した。
この夜会は本来王子が来るような場所ではないが、アルトスはお忍びのような形で参加していた。
その理由を語る。
「近頃、貴族の間でこんなスラングが流行っていると聞いてね。『チーズパン大口開けて食ってそう』だったか。……実に嘆かわしい」
ダレッドの顔が青ざめる。
「我が国は小麦粉の生産が盛んで、酪農も上手くいっている。チーズパンはそんな二つの産業のマリアージュともいえる、まさに我が国の誇りといえる食べ物だ」
アルトスの目は怒気をはらんでいる。
「それを民の模範であるべき貴族が、民を見下し、まして他者を侮辱するための道具に使う。到底許せることではない。そこのダレッド君だったか。君の家には第二王子アルトスの名の下に、しっかりと抗議を行わせてもらうよ」
するとダレッドは――
「ま、待って下さい! そんなことされたら私は……!」
約束されていた次期当主の座は間違いなく泡と消える。
「お慈悲を……! 二度とこんなスラングは使いませんから!」
アルトスは冷酷に告げる。
「自国のパンに誇りも持てない貴族に慈悲を与える必要があるかい? そもそもパンのことがなくても、先ほどのシルフィ嬢への態度は立派に貴族失格だ」
「あ、あうう……」
「もちろん君だけじゃない。夜会での出来事を徹底的に調査して、公の場でチーズパンを引き合いに他者を侮辱した者は、きっちり報いを受けさせる」
この言葉に、周囲の何人かはダレッドのような表情になった。
心当たりがあり、自分も近い将来同じ目に遭うと悟ったのだろう。
「チーズパンを食べて出直すことですわね」
フリエーネのこの一言がトドメとなった。
ダレッドの両膝が床につき、呼吸もままならない様子で、口をパクパクさせる。
その姿は奇しくも、大きめのチーズパンを丸呑みしてしまい、喉に詰まらせてしまったかのような光景だった。
ダレッドはアルトスの従者によって運ばれていき、シルフィは自分が邪魔になると思ったのか、礼を言うとそそくさと退散する。
アルトスがフリエーネに向き直る。
「ところで君は、なぜさっきの彼に抗議を?」
「抗議というほどのものではありませんし、あなたのような崇高な目的もありませんわ。私はただ“図に乗っている輩”が気に食わなかっただけです」
フリエーネの動機は明快だった。
ダレッドのように自身の地位を利用して、反撃できない者をいたぶる。そういう輩が気に食わなかっただけ。
「あまり見ないタイプのご令嬢だ」
「褒め言葉と受け取らせて頂きますわ。それと……」
「それと?」
「チーズパンは気取った食べ方をするより、こう食べた方が美味しいとも思いますので」
フリエーネが再びチーズパンにかぶりつく。そのままもしゃもしゃと噛んで味わう。
「……なるほど、確かにその通りだ」
アルトスもまた、近くにあったチーズパンを手に取って、そのままかぶりついた。
「美味い。パンとチーズがよく調和している」
これにはフリエーネも目を白黒させる。
「驚きましたわ……」
「確かにこう食べた方が美味しいね。これは大発見だ」
フリエーネは「ふふっ」と笑い声を漏らした。
「私からも一言。あまり見ないタイプの王子様ですわね」
「褒め言葉と受け取っておくよ」
笑い合う二人。
「この夜会のラストにはダンスタイムがあるという。それには参加せず帰るつもりだったけど……よかったらパートナーになってもらえないか?」
「かまいませんわ。チーズパンを食べて、食後の運動をしたかったので」
「光栄だね」
その後のダンスタイムで、フリエーネとアルトスは手を取り合って踊った。
今日出会ったばかりにもかかわらず、二人のダンスは息ピッタリで、周囲に感嘆の息を漏らさせるほどだった。
帰り際、アルトスは――
「また会えるかい? 今度はぜひ城の晩餐会に招待したい」
「よろしいの? 王家の方がこんな場所で女性を誘うなんて……」
「そういった方面は兄上が担ってくれているんでね。僕の相手は僕が選ぶつもりだ。ただし自分の役目はしっかりこなすけどね」
王家の繁栄のための婚姻を結ぶのは第一王子の役目。その分アルトスは身軽になれたので、自分の伴侶は自分で選ぶという。その代わり、王国の食糧統括責任者としての使命はしっかり果たす。だからこそ、夜会で下卑たスラングを使う者を自ら調査しに来た。
「では、ぜひそのお誘いに乗りますわ」
「ありがとう、フリエーネ」
「ただし、テーブルにはチーズパンをお忘れなく」
「分かっているさ」
フリエーネはそのままアルトスと別れ、帰りの馬車の中で――
「お嬢様」
「なぁにロモン?」
「夜会を“破壊”したら、思わぬ“展開”となりましたな」
フリエーネは苦笑いする。
「ロモン、あなたもすっかり“おじさん”になったようね」
「……失礼しました」
その後、フリエーネは城の晩餐会に出向き、そこでもチーズパンをかぶりつくように食べ、アルトスとの交際を本格的にスタートさせる。
やがて二人は婚約、婚姻を結ぶこととなる。
結婚式は盛大に開かれたが、メインディッシュの一つにはチーズパンが用意されたという。
余談となってしまうが、冒頭のスラングは急速に廃れ、夜会でそれを使っていた者たちはいずれも厳しい処分を受けたことは言うまでもない。
***
フリエーネが王子妃になってからしばらくの時が経った。
妃として貫禄を得たフリエーネが、あることを思い立つ。
「アルトス様、今日は久しぶりに夜会に出ようと思うの。今の社交界がどんな風になっているのか、肌で感じてみたくて」
「だったら僕も付き合うよ」
「嬉しいわ。ならデートと洒落込みましょ」
二人はある貴族の屋敷で開かれている夜会に出向く。すると――
出席者たちが皆、チーズパンを大きな口を開けて食べている。
「あーん……」
「美味しいわぁ~!」
「この間、大きなパンでやろうとしたら顎が外れかけたよ」
フリエーネとアルトスの件もあり、今若い貴族の間では「チーズパンを大口開けて食べる」のがブームになっているのだ。
高貴な男女が揃ってチーズパンにかぶりつく光景に、フリエーネもやや呆れる。
「また妙な流行が生まれてしまったようですわね……」
横に立つアルトスが微笑む。
「まあ、他人をバカにするような流行じゃないし、かまわないんじゃないかな」
「それもそうですわね」
フリエーネはうなずくと、近くにあったチーズパンを手に取り、大きな口を開けてかぶりついた。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。