9 食生活と食堂問題
「つまりは、この世界が幻か何かじゃないかとなやんでるってことか?」
「シンプルですね、…。その通りです」
仕方無く長身を無理矢理アンティークな白い椅子に座らせて、黒スーツに黒ネクタイに険相の関が問うのに、藤堂が応える。
ちなみに、アンティーク兼クラシカルな洋館のティールームに、関はまったく似合っていない。可愛らしい系のレースで出来た格子窓にかかるカーテンが半円のドレープを描いているのも、レース敷きのテーブルクロスが掛けられた円卓もまったく同じく似合わない。
うんうん、と篠原守が棒茶をいれた湯呑みを両手に抱えてうなずき。
藤沢紀志もまた無言でうなずく。
それらと藤堂を等分にみて、関がため息を吐く。
「だからって、…。そんなものの解決を丸投げされてもな、…滝岡の普段いってる意味がよくわかるな」
あきれながら、この場を関に丸投げして去って行った橿原の消えた扉をかるくみて、それから再度、藤堂の顔を見直しながらいう。
「まあ、それで、まずひとつわかるのは、昨夜きみに食事をおれが作ることになったのは、あいつがあれでも医者だからだな。一応、光に頼まれたあいつが、きみがコンビニからめしにもならないものを買ってきていて、栄養的にやばいとおもったから、おれが呼ばれたんだ」
「その、…ご迷惑をお掛けしました」
「いや、そこはそうでもない。元々、おれは料理をするのが好きなんだよ。確かにいきなりでどうしようかとはおもったが、あいつらに突然めし作れと呼び出されるのもなれてるしな」
――…それが慣れているというのは、ちょっとどうなのだろう、とおもったがくちにしなかった藤堂の内心がわかったのか。
関が、そうやって突然呼びつける幼なじみ達を思い浮かべて苦笑しながらいう。
「まあ、腐れ縁でね。それで、あいつがきみがちゃんとしたものを買ってきてないとわかったのは、あいつ自身がそういう食生活をしているからだ」
そういったときに顔を関がしかめる。昨夜、藤堂が出逢った永瀬に対してのものだろうが、険相で眉をしかめると非常にこわい。
「あいつに、きみの食生活面なんてものを頼む光も光だが、…。隣りだからって絶対に向いていないだろうに。いずれにしたって、あいつはそもそも、ちゃんとした食生活を普段から送ってないんだ。医者の不養生、紺屋の白袴だな」
不機嫌に言い切る関に、篠原守と藤沢紀志が深くうなずいている。
「あの、二人とも?」
「永瀬さんとも、付き合いは長いですからねえ、…。もう少し、養生してくださると、ぼくとしても心配しなくてすむんですけど」
「確かにな、せっかく養生させてもすぐに無茶をする。仕事が仕事だから仕方ない面もあるが、…。せめて、本人が自主的にまともな食生活を送るようにしてほしいものだ」
篠原守と藤沢紀志の言葉に、藤堂がおもわずきく。
「養生、ですか?その」
「養生だな、…。放っておくとまともにめしを食わない。自宅で食事を作るなど、不可能に近いな」
「本当は逆に藤堂さんにお願いしたいくらいなんですけど、…。普段からちゃんと家でも食事をとるようにって、…食べるのきらいなわけじゃないんだから、ちゃんと食事が作れなくても外食でも何でもいいですから、職場以外でもきちんと食べてくれればいいんですけどね、…。食べにいくとか、何かちゃんとしたものを買ってくるとか、そういう自発的な食生活管理といいますか」
へんに具体的で普段から困っているという感じの篠原守の言葉に藤堂がくちを噤んで見返す。それに、関が肩をすくめて。
「まあ、そういうことだ。あいつもなあ、…。夜勤とかあるだろ?面倒になって家に帰るとほとんどものを食わないんだよ。身体によくないだろ?それ」
「…そうですね、…」
自宅で一人の食事をするのに、面倒で乾き物やら、確かにまっとうな食生活を送る気であるとはいえない買物をコンビニでしてきた自覚のある藤堂が明言を避ける。
――一人で食事に気を使うとか、面倒なのはわかるな、…。
もといた世界、では職場が月基地だった為、強制的に食事は支給されていたから、何も考えずに食べていればよかった。何処かに食べに行くとか、買うとかはまったくできなかったから、あわない人にはあわなかったようだが。食事を面倒ととらえる傾向のある藤堂にとっては非情に良い職場だった。
そんな風に考えながら視線を逸らしている藤堂をおいて、関達が会話をしている。
「それで、現実的に考えたら、食堂で食べさせるしかないんじゃないのか?藤堂さんの職場、あのマンションに入ってるってことは滝岡の処なんだろう?光が世話を頼むのもそうだが」
関が訊ねるのに、篠原守がうなずく。
「そーなんですよ!光くんの処の研究室あるでしょ?ふっちゃんのとこ。あそこに、濱野さんを上司にして勤め始めた処なんですよ」
「…濱野さんの処か、…それはダメじゃないか。食生活管理とか、栄養に気を使った健康的な生活とかと対局にある処だろう、あの研究室は?」
眉を大きく寄せて本気で憂う視線で関がいう。
「ですよね、…。まだ、しばらく本当は家の寺で過ごしてもらった方がよかったかもしれないんですけど。藤堂さん、納豆が好きなんです。姉ちゃんの納豆の味噌汁なんて大好きですからね?あ、でも姉さんは婚約者いるからダメですよ、関さん」
「…――誰がなにをいった、…まだ何もいってないだろ。…しかし、納豆好きなんですか、藤堂さん」
関が不意に顔を向けてきて、藤堂が逸らしていた視線をあわててもどす。
「あ、はい?そうです、…が」
「それはどのくらい?三食納豆でもいける方か?それこそ、パン食でも納豆食べられるとか」
真剣にきく関にうなずく。
「どちらかといえば。確かに、…米でなくても、納豆は食べたいですね」
昔、大学で友人達にそれはないだろう、といわれたことを思い出す。
納豆にご飯はありえても、納豆とパンはないだろうと。
ガチで納豆勢である藤堂からしてみれば、納豆さえあれば生きていけると思っているのだが。
「そういえば、…。この世界に来て、生きていけるとおもったのは、納豆がある世界だったからですね、…」
しみじみと一人うなずく藤堂に、関が腕組みしてひとつうなずく。
「なら、何とかなるかもしれないな。食生活に関しては、しばらく、ご自宅で食事をとるのはあきらめてもらって、必ず仕事場で食べるようにしてもらいましょう。この際、濱野さんを巻き込んで、三食職場で食べるように」
「え?仕事場で、ですか?」
驚いている藤堂に関が深くうなずく。
「元々、濱野さんの食事についても相談されてましたからね、…。おれとしても、濱野さんとあいつの食生活については常々頭が痛かったので。この際、藤堂さんには悪いが、二人を藤堂さんの栄養面を大義名分として巻き込むのが一番だろう」
「できますかねえ、…」
篠原守の懐疑的な言葉に関が視線を向けて腕組みしたままでいう。
「やるしかないだろうな。いつまで持つかはわからんが、納豆が好きなら常備品にして、他の栄養もあわせて一緒に決まった時間に食事をとるように藤堂さんに努力してもらえれば、…――あの研究室でも何とかなるだろう。永瀬は、…」
「光くんはあてになりませんしねえ、…。」
篠原守の慨嘆に関が即答する。
「それは当然だな。どうするか、…。食堂、使ってもらっても大丈夫何だろ?福利厚生的に」
「それはいいんですが、濱野さんには例の問題があるので」
藤沢紀志が指摘する問題を関も理解しているのだろう。眉間のしわが深くなる。
腕組みをしたままうなる関に、藤堂が声を掛ける。
「あの、…。室長の問題、というのは?」
問い掛ける藤堂に関が視線を向けてまたたく。
「ああ、まだ知らないのか?」
藤沢紀志と篠原守が真剣にうなずく。
「そこはまだ、判断できてないんですよ、関さん。例の問題って、藤堂さんも罹患するかもしれないでしょ?」
「…罹患、…?濱野さん、なにかの病気なんですか?」
心配になっていう藤堂にうなずく。
「病気っていうか、――やまい?重度のなんだろう、…フリーク?」
「まあ、それならな、…。藤堂さんがどうなるのかはしらんが、…その懸念があるとしたら、食堂には連れて行けないか」
篠原守の言葉に、関が困ったようにいう。
「食堂に案内できれば、一番簡単なんですがね」
藤沢紀志もいうのに、関がため息を吐く。
「そうだな、…。そうか。でも、まだ別にそうなるとは限らないんだろう?」
「―――そうといきたい処なんですけどね?」
「予測が難しいからな、…」
考え込んでいる三人に、藤堂が困惑して何かいおうとしてやめる。
―――食堂に何かあるのか?
どうやら、藤堂の食生活をきちんとしたものにしたいと考えているらしき三人だが。
食堂というくらいだから、多分、そこではきちんとした食事が出るのだろう。
「…総合病院の食堂なんですか?職員用の?研究室所属でも、使える処なんですか?そこは?」
「ああ、その通りだ。…研究室だから、使えないってことはないんだが、…」
訊ねる藤堂に関が応えて、腕組みをしたままうなる。
「…まあ、とも限らんのなら、使わせてみれば、濱野さんの処で食べさせるだけよりはいいかとおもうが」
うなりながらいう関に篠原守がうなずく。
「バリエーションとかもありますしねえ、…。食堂のご飯は美味しいですし」
「やらせてみればどうだ。そもそも、まだ知らないんだろう?」
「知らない間なら、…確かに」
藤沢紀志が慎重に言葉にする。それに、関が。
「遭遇するとも限らないだろ」
「ですけど、いらっしゃる確率は高いですよ?ほとんどの食事をあそこでとっておられるでしょう?ご自宅に帰ったらまた別でしょうけど。最近、帰られてます?」
「…―――あいつに私生活がないのはいつものことだからな、…。」
――誰か、が食堂にはいるんだろうか、…?おれに会わせたくない?永瀬さんではないんですよね?
永瀬にはもう会っているので違うだろうと考える。
そんな風に謎を抱えている藤堂をおいて、真剣に三人が考えている。
議題は、藤堂にいかにしてちゃんとした食生活を送らせるか、という点になるのだろうか?
――最初の、…おれが現実とか、幻とかかんがえて悩んでいるのを、橿原さんがこの人に丸投げした、はずなのが何処かにいってるな、…。
そう思いながら、藤堂は考える。
いつのまにか、この人達をみてると、…―――。
何だか、特に関という人が。
昨夜は殆ど会話らしきものは無かったのだが。ちなみに、関は彼らの食事を作り、悪いが一緒に食べる時間がないから、後片付けは頼む、といって食卓に食事を並べたあとはすぐに立ち去っていた。だから、なお藤堂は関に悪いと思ったりしたのだが。
――一体、何があるから食堂に連れて行けなくて悩んでいるんだろう?
そんな疑問や、あれやこれやが出て来て、しばし藤堂は先に吐露した悩みを忘れていた。
この世界にいるという現実が、幻ではないのかと。
現実と幻の境は、何処にあるのかと、――それは、一度疑い出せば何処にも証拠も肯定も否定もする材料がなくなる疑念。
この世界が夢ではないのかと。
その疑念を、悩みを。
いつのまにかわすれて、藤堂は謎の食堂問題に関するヒントがないか三人の会話を思わず真剣にきいてしまっていた。――――