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7 吹き寄せの地 3 ――七夜語り 2――


「それは、…同じという条件が何かによるのではないでしょうか?」

藤堂の問いに橿原が微笑む。

「その通りです。僕の問いに応えようと思いましたら、まず前提条件を確認しなくてはなりません。例えば、此処にあります三つのおまんじゅう。あら、葛菓子かしらね?」

あら、これ、おまんじゅうかしら?と首を傾げて。

「まあ、いずれにしましても、僕の前にありますこの二つになってしまったひとつに」

 橿原が手で薄青の美しい菓子をしめす。

 橿原の前に二つに割れた薄青の菓子。

 藤堂、藤沢紀志、篠原守、三人の前に三つの菓子。

 どれも良く似た殆ど変わらない大きさの菓子だ。

 色合いも、もとより材料も同じく作られたものになるだろう。

 そう。

 殆ど外観もかわりのない、取り替えてみてどれがもとのといわれたら、わからなくなりそうなものだ。

「どれも、同じにみえますよね。ぼくはすくなくとも、これを取り替えていただいても、お皿に置かれた位置とかそういったものを憶えていなければ、どれがどれだったか、わかりはしないでしょうねえ。お味も同じでしょうし」

 三つの薄青の球体。本当に良く似た見分けの付かない菓子が三つ。

「では、これを世界のかわりと考えてみましょうか。量子論や何かですでに世界が多重存在であるということは自明の理とされてはいますけど、多すぎても考えにくいですからね」

例として設けるには、三つくらいが丁度いいでしょうからね、と橿原が三つの皿に乗せられた薄青の菓子をしめす。

 それを世界とみれば、先に菓子として示した際とは意味合いが違ってみえる。

 菓子に世界を仮託して、橿原が語る。

「世界がひとつしかない方が考えるには簡単ですが、現実には残念ながら、複数の世界が同時に多数存在しております。そして、世界の中で存在するものが相互作用をしているように」

三つの柔らかな球である菓子――いや、世界の仮託をされたこれは世界か――に橿原が視線をおいて。

「世界もまた他の世界と相互作用をいたします。多くの世界もまた、無数にある世界同士が作用しあいながら存在しているという、―――無限に続くとも思える世界間の繋がりの中にあるのですから。で、あればわたくしたちの日常はとても簡単なものです」

やわらかな菓子の輪郭は淡い。球をつくりながらも、淡々とゆらぎはっきりとした輪郭をもってはいない。

「たとえば、この菓子は材料を同じくして作られています。そこからわかれて、それぞれの形に丸められ、この菓子のひとつひとつの形をとりました。同じように、我々の住む世界もまた同じような材料で、おなじように存在をはじめました。ですから、こうして殆ど見分けのつかない世界になります」

「…――――」

薄青の世界を藤堂が見つめる。その視線が、おもわずというように橿原の手許に置かれた二つに割れてしまった菓子――世界に向かう。

 月に人の住む世界に、―――その世界に藤堂は居た。

 月に人の住む世界は、藤堂の世界は。

 もう、滅んで存在しない。

「もとには、…――」

 藤堂がぽつり、とくちにしていた。

 三つの菓子は、とても似ている。橿原の手許に割れた菓子とも。

 けれど、二度と藤堂の世界が元には戻らないように。

「失われたものは、…――もどらない、―――」

「戻りはしませんね」

誰にいったわけでもないような。そうした藤堂の独り言に近い漏れた言葉を拾うように、橿原が応える。それに、藤堂が何ともいえない視線を返す。

 泣いているわけではなく、表情にどうあらわしたらいいかわからないような。

「戻りませんか」

「ええ、戻りはしません、…。いかに、他に似たような世界があろうとも、そして、もし、」

割れた菓子を、行儀が悪いですけどね、といいながら黒文字で寄せる。

 ころん、と半身を転がせた半球は、継ぎ目を無視すればもとの球体にもみえるだろうか。薄青の菓子は、見る方角を選べば少しも割れたことなどないようにもみえる。

 ――世界が、こわれてはいなかったように。

それは唯、見る方角を別にすれば、単純にわかる欺瞞でしかないが。

「こう割れた球を修復したとしても、それは以前とは同じではない、―――。同じ世界では有り得ないのですよ。藤堂さん」

「はい」

顔を向ける藤堂に。

「世界は常に無数の玉突きが行われているように、互いに次々と影響しあって変化していきます。ですから、これがあなたのいた世界Aとすれば。」

割れた菓子をしめして、橿原がいう。

「こちらの世界A2は、殆どあなたの世界と見分けがつかないくらいなのに、滅んではいないかもしれない」

そして、と。

「残りを世界BとCにしましょうか。A、B、Cと記号がかわる度により異なる度合いが大きくなり、Aに1,2,3と数字がつく変化では、細かな小さな変化があるとしてみましょう」

仮に、と橿原がいう。

「AとA2が近くにあるとしましょう。そのとき、互いにもとより相互作用があったとすれば、Aが滅んだとき、A2に影響はあるでしょうか?」

「お話をきく限りでは、影響があるようにおもいますが」

藤堂の言葉に橿原がうなずく。緑茶を入れた湯呑みを手に、少し呑んで。

「ですが、その影響がないこともあります」

「どうしてですか?例えば、それまで相互作用がある仮定とすれば、その影響がなくなったことの影響があるはずですが」

「その通りですね、藤堂さん。論理的にいってその通りです。ですから、影響がないというのは誤りですが。その影響を殆ど度外視してもいいくらいに影響がすくなくなってしまうこともあります」

「それは?」

眉を寄せる藤堂にてのひらで薄青の球体をさししめす。

 世界を仮託された球。

「例えば、玉突きで突いた先の球が、思わぬ軌道を描いて、遠くの球を突き出すように」

球を棒で突いて遊ぶビリヤードで、隣りに置かれた球ではなく、離れた位置にある球を鋭角に突くように。そして、あるときは対角線上の一番離れた位置にあった球がポケットに落ちるように。

「影響が何処へどう出るのかは、実際に起こってみなければわかりません。何故なら、観測を行うか行わないかによって現象がかわるように」

 それは、量子力学で語られる矛盾だ。

 ねこは生きているのか、死んでいるのかと。

 事象は観測されるかどうかによって、決定されると。

「この世界Aが滅んだとき。はたして、その影響を大きく受ける世界が、A2になるのか、BかCになるのか」

それはまったくわかりはしないのですよ、と。

 やさしくしずかに。

「さて、それは先にもあなたに説明したことでしたね。世界の理を」

「橿原さん」

「世界は残念ながら、たったひとつが滅んで終わることができるような、単純なものではありません。貴方が、…――藤堂さん。」

橿原が不可思議な色をもつ眸で藤堂をみる。

 それは、何を思う視線であるのか。

「世界が滅んだ残滓として、一人生き残らなくてはならなかったように」

 その残酷と。

 月に人の住む世界は滅んだ。

 そう、唯一人、藤堂を生き残りの住人として。


 ――世界は、藤堂の生きていた世界は。


 

 

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